第七話 銀色のペンダント
「銀色のペンダント?」
エリス王国 ア・ランド・ルセルティ冥城。
「えぇ、第二部長のミラ・サガンの胸元にあったはずの」
「それがどうした?」
「奪われたんです、それだけが。
しかもアズサ氏曰く、そのペンダントには写真が入っていたらしく──」
「──写真?」
「えぇ、しかもその写真というのが──」
◇
「まぁまぁ、ピーター先生。年頃の男の子が、女の子の夢をみて遅刻……非常に可愛らしいじゃん。ねぇ?」
「ヘルムート先生?!」
ピーターという厳格な教師はさっと顔をクリサスからヘルムートへと移すと、しかしですね、と言いかけて止めた。
「ま、まぁわかった。だが遅刻は信用を損ねるからな、そこら辺はオトナとして注意させてもらう」
ピーターはその部屋を出がけ、クリサスに言った。
「準備ができたら闘技場に来い。試験をはじめる」
「はーい」
沈黙。部屋に、ふたりきり。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「ひどいなぁ、助けてあげたのに」
「……マルフィスと言う女だ。アンタなら知ってんじゃねぇか?」
クリサスはギロリと睨む。
「なんで私に?」
「なんとなく」
「すっごい信頼! 先生嬉しいよ〜」
「答えろッ」
「知らない──と、言えば嘘にはなるかなぁ」
「誰なんだ、アイツは」
ヘルムートはクリサスを横目に見下ろしながら、頭を掻いて笑った。
「ニシシ、クリサスくん、美人局にご乱心?」
クリサスは口を噤んだ。
誘惑が、弱さに染み入る甘い蜜が、かつてあれほど心地よく闖入してきたことはなかった。
「ま、でもさ、それは後。今は君、試験に集中しな。でないと普通に、死ぬよ、まじで」
ヘルムートは声を低くして、背を押した。
「さ、存分に負けて来い!」
◇
レガリア学府・第一闘技場。
そこは最早、学校の試験場などという生易しい空間ではなかった。
「広……」
クリサスは思わず呟いた。
白亜の円形闘技場。 幾重にも連なる観客席。 上空には魔術式による蒼い障壁が展開され、陽光を反射している。
そこを360°取り囲むほどに巨大な観客席には、学生たちがびっしりと座っている。
おしなべて青い制服を着ているために、青空に見つめられている気分になる。
ざわざわ。
「あれが特例編入?」
「遅刻してきた奴?」
「弱そう」
「魔力はさほど感じねーな」
「おーい、誰と寝たら入学できたんだー?」
容赦のない視線と、野次馬。
クリサスは舌打ちした。
「……だり〜」
その瞬間。
「──転入生ぃ!!」
ドゴォンッ!!
怒号と共に、巨大な何かがクリサスの目前へ叩き落とされた。
石畳が砕ける。土煙が舞う。
「ッ!?」
反射的に飛び退く。
その中心にいたのは──
「遅刻とは良い度胸だなァ、おい」
長身。
筋骨隆々。
灰色の短髪。
学府の制服を着崩し、肩に巨大な戦斧を担いだ男だった。
周囲がざわめく。
「うわ、ガルド先輩だ」
「一年潰し大好きな人じゃん」
「不運だねー、アイツ」
男──ガルドは、ニタァと口角を吊り上げた。
「特例編入。つまりコネか? 貴族か? それとも教師の妾かァ?」
「……知らねぇよ」
「気に入った」
気に入ってなさそうだった。
ガルドは戦斧を持ち上げる。
「試験官補佐でもある俺がァ、お前の実技試験、担当してやるよ」
「ま、まじかよ! ガルド先輩が?!」
「死んだわ、アイツ」
ざわっ。
観客の興奮と、呆れ。
空気が揺れた。
戦斧を頭より高く掲げたガルドの額に、青筋が浮かぶ。
「……転入生ェ」
ガルドは笑った。
獣みたいに。
「加減は、いらねぇよなァッ!!」
──瞬間。
地面が爆ぜた。
「いきなりかよッ!?」
凄まじい勢い。
巨体とは思えない踏み込み。
戦斧が唸りを上げ、クリサスの脳天へ振り下ろされる。
──遅い。
クリサスの視界では、その一撃はあまりに鮮明だった。
筋肉の動き。
重心。
呼吸。
全部見える。
全部見えるのに。
──身体が追いつかないッ。
「チッ!」
ギリギリで回避。
斧が石畳を砕き、爆音が轟いた。
「っぶねぇ……」
「へぇ?」
ガルドの目が細まる。
「避ける、か。フッ、まぁいいさ」
「当たったら死ぬだろ今の!」
「この程度で死ぬ弱者なら、レガリア学府の格が下がるってもんだァ!!」
「!?」
再び斧撃。
横薙ぎ。
クリサスは咄嗟に身を屈める。
風圧だけで頬が裂けた。
血。
「……ッ?!」
この斬撃は囮か?!
「ドンッ」
ガルドの足がクリサスを蹴り上げた。
「ぐぁッ」
「これで終わりだ、転入生ッ」
宙に浮かぶクリサスに、再び斧を振りかぶる。
だがその瞬間。
クリサスの黒い瞳が、僅かに細まった。
見える。
完全に。
──隙。
ガルドの左脇腹。
斧を振り切ったあと、いつもコンマ数秒の硬直がある。
以前のクリサスなら、 千回殺して余る隙だった。
だが今は違う。
「クソッ!!」
ガルドの斧が空気をきり裂く。
その一瞬を、……見極める。
遅い。
弱い。
軽い。
それでも。
──ドッ!!
ガルドの想定以上に早く着地したクリサスの拳が、ガルドの脇腹へ突き刺さった。
「……は?」
ガルドの顔が止まる。
観客席も静まり返った。
効いていない。まるで岩を殴った感触。
なのに。
ガルドは、一歩後退していた。
「……今の」
クリサス自身が、一番驚いていた。
入った。
読めた。
通せた。
ガルドは脇腹を見下ろし、それから笑った。
「ハッ」
笑う。
どんどん笑う。
「ハハハハハハハッ!!」
戦斧を肩へ担ぎ直し、獰猛に歯を剥いた。
「いいじゃねぇか、転入生」
その目が変わる。
試す目から、 “狩る目”へ。
「名前は?」
「……クリサス」
「覚えたぞ、クリサス」
ガルドは戦斧を構えた。
「テメェ、弱いくせに戦えるな?」
観客席がどよめく。
クリサスは拳を握った。
人間の鼓動がうるさい。
神の心臓は、相変わらず落ち着いている。
「筋がいい」
その時。
観客席の最上段より上。
ガラス窓の個室の特等席。
白衣姿のヘルムートが、頬杖をつきながら笑った。
「それで?」
白い虹彩が細められる。
その隣。
誰もいないはずの席に、
グラマラスな女が座っていた。
「クリサスに何のようだい? 君ともあろうお方が──マルフィス」
マルフィスは微笑む。
「可愛いでしょう、彼。……壊したくなるくらい」
◇
世界政府。
謁見の間。
「先日メイファーズの特務兵を一掃した折に、ミラという女の首にあった銀色のペンダント。そこには青年の写真が入っていました」
胸に世界機関の紋章を掲げた白い軍服の男──アデリアは、その玉座に腰を据える朱色の皇帝に報告を始めた。
「その青年の名は?」
一言一言が質量を持つ砲弾のように重々しい。
「無貌局が総員をあげ、世界中の戸籍と照らし合わせて検べたところ、──わかりませんでした。名前も所在も、……何者であるのか、一切」
「……」
「私が殺害したメイファーズのメンバーの戸籍も同様に存在していないため、この青年もメイファーズの可能性が」
「ただの流れ者集団とは考えにくいな」
「えぇ、僕はむしろこう考えます。──メイファーズとはどこかの国家が、世界に反旗を翻そうとして組織したものではないか、と。
この青年の所在を、すでに十帝会のひとりに探させております。その者は生け捕りにせよ、と」
「担当は?」
「──マルフィス」
【マルフィス】
十帝会が一角。
【ガルド・ヴァンヘイム】
レガリア学府上級生。試験官補佐を務める巨漢の戦士。
巨大な戦斧を扱う近接戦闘の猛者。
豪快かつ暴力的な戦い方を好む。
“一年潰し”の異名を持ち、新入生から恐れられている。
粗暴で好戦的だが、戦士としての実力や覚悟には敬意を払う性格。
弱者の戦い方を理解しており、クリサスの才能をいち早く見抜いた。




