24.ver.he
許せないのだとはっきり思った、たったそれだけの、事なんだ。
笑った男は手元のそれらを転がし、唇をつり上げる。
その笑顔も消え失せ、彼は防護用の眼鏡を装着した。
「見ていればいいよ、そこで」
どこに行くのだ。
問いかけられない己の無力さと人間の弱さを痛感しながら言えば。
「そこにいれば、僕の範囲に入らない」
彼はするりと身を翻し、走っていく。
届かない。
届けない。
この手の無力さを嫌と言うほど思い知らされながら、叫ぶ。
「行くな、おい、バカ弟!」
呼びかけにいらえは無くそして、己に追いかけるという選択肢は存在しないのだ。
己はここに縛られている身の上。国境線の防衛と言う任務を課せられている。
勝手にこの城塞からどこかへ、走っていけるわけがない。
たとえ実弟が、塔のてっぺんから余りにも見事な動きで飛び降り、塔の周辺で死肉をもとめて飛び交う巨大なカラスの足につかまり、どこかへ行ってしまっても。止めると言う事は、出来なかったのだ。
「弟、弟!」
名前を認められない弟だった。
家名を名乗る事も許されない、そんな身の上の追放された弟、どこを渡り歩いたのか、この国には発見されていない物をいくつも見つける弟。
それでも遠い昔に、手をつないで川の上流を目指してしかられた、唯一生き残った弟。
数多の流行病をわずらい、それでも一人生き残った悪運だけは間違いない弟。
その弟がいってしまう。死地と言われるその場所へ。
相手の国の使う、数多の毒の採掘が可能な、あの国の守り抜く偉大な山へ。
近くに寄ればたちまちのうちに、体が毒でただれて溶ける、と言われているそこへ。
それ故にその国では、死刑を宣告された罪人は、その山に連れて行かれる。そして骨まで溶けていくまで、毒を採掘させられるのだ。
その有様は地獄絵図だという。聞くだけで恐ろしいそこに、弟は行くつもりなのだ。
「弟!」
行ってくれるな、俺の弟。
必死にすがりつこうと伸ばした手、だというのに、その手を見ることすらしないでカラスは飛んでいく。
飛んだカラスから、弟はひらりと手を離し、当たり前の動きのように、城塞の近くを飛んでいた、大人の男すらかどわかして食ってしまう大鷲の足にぶらさがるのだ。
弟があり得ないほどの物をいくつも持っているのは知っていたけれども。
これほどとは。
「さらばだ、弟」
頬を伝ったのは涙だったのか。
それとも別の何かだったのか。
しらしらと降る雪に、赤い色が転々と落ちていくのを見ていた。
それは超特大の、そして超強力な稲妻が立て続けに降るような振動だった。
しかし外はからりと晴れており、鴆の山は今日も毒の煙が上がる。
はずだったのだが。
何なんだあれは。
ひきつる事と現実逃避は一体化していた。
爆発が起きる。どんな手段を用いても、決して並みの者は近づけない毒を吹き出すその山が、山が。
信じがたい炎を吹き上げ、崩れていくのだ。
炎とともに、超高熱を弱点とする毒がただの水蒸気に変わっていく。
この国の大変な財源が、目の前で消えていく。
元々枯渇気味と言われながらも、あと数百年は変わらないとも言われていたその山が。
消えていく。
「なんなんだ」
近くにいた同僚が呟いた。其れを聞きながら、同じ事を思った。
「鴆の山が燃えている……」
そして半日かからず、鴆の山は燃え尽きて吹っ飛ばされ、そこは大穴と化したのだ。
「様子を見てこい」
行ったのは直属の上司で、命の覚悟をしてそこに赴いた。
そこでは一人の青年が黙々と、何かに焼け土をかぶせていた。
奴隷の首輪だった。罪人の足かせだった。
それらに優しい唇を見せて、土をかぶせていく青年。
言葉もでないでいると、その青年が顔を上げる。
光を遮る目的か、色の濃い防護眼鏡が顔半分を覆う青年が、もしゃもしゃの頭でこちらを見たのだ。
その青年はそこまで体格が良いわけでもなかった。だが威圧感は王者の其れを飛び越える。
「やあ。」
声をかけてきたのだが、その声は立ちのみ酒場で話しかける気軽さだった。
とても現状とあわない。
「君も、そこで立っているなら、手伝ってほしいなあ」
彼は土をかぶせていく。
ここで死んだ人間すべてに、土をかぶせるのだろうか。
問えば答えは返ってきた。
「だってぼくが、吹っ飛ばしたのだもの。せめて残るものには土をかぶせて、それから」
花を植えよう、花の種。木を植えよう。見事な大木になるどんぐりを。
其れをするのか。
まるですべての死者が皆等しい、と言うような頭の変なその男。
「一人で何年かかるかな。でもやったことの結果だもの」
手を止めずに言う彼に、言った。
「何をしたいんだ」
「……」
手伝ってくれるの、ありがとう。
ほほえんだ青年が間違いなく、胸を刺し貫くのを感じた。
彼が鴆の山を吹っ飛ばした張本人だと聞いた後、上司に報告をすれば、陛下がとても興味を持ったと言う事で、青年を召し出すようにと言った。
青年は断った。
土をかぶせ終わっていないのだと。種をまいていないのだと。
それでも召し出すようにと言われ、青年は何人もの兵士に押さえ込まれて引きずられて、行った。
鴆の山を吹っ飛ばしたという青年は、軟弱な体のただの男に見えた。
防護眼鏡を決してはずさない青年は、陛下の近くに行ってから語ると言った。
陛下は其れを許し、青年は問いかけた。
「どうしてあれだけの人を殺して、あれだけの人を溶かして、隣の国に攻めたの」
鴆の山の毒を使い、隣の国に攻めいった事を責めているらしい。
陛下が当たり前の声で言う。
「隣の国が豊かだからだ、わたしはもっと国を豊かにしたい。そのためには隣の国がほしいのだ」
「毒を使っても、残されるのは毒に侵されたただの呪われた土地だけれど」
「そんなもの、隣の国の人間を燃やして毒を浄化すればいい」
「それでいいの」
「無論だ」
「……そう、其れじゃあ許せないなぁ」
ほほえんだ青年。止める隙などどこにもなく。
彼の手がひらめいたと思えば、陛下は床に縫いつけられるように押し倒されていた。
「毒はとても痛かったよ。きっと骨まで溶ける人たちは、その何倍も痛かった」
ほほえむ青年。その笑顔の柔らかさが、青年の雰囲気が、がらりと変わるのは一瞬だった。
幼い子供に言い聞かせる顔で、青年は陛下を見下ろす。
「隣の国を自分のものにしたら、そこはあなたの国だから、そこの人たちの事だってあなたは大事に、しなかったらいけない。燃やす材料なんて、もってのほかだよ。百年たったら、あなたは誰からも尊敬されない極悪人だ」
「偉大な王は、時代に理解されないものだ」
「そうかもしれないけれども、あなたが其れを選ぶなら」
青年が陛下の首に、刃物を突きつける。
「あなたはぼくが、終わらせなくちゃ。あなたの跡継ぎのかわいいお姫様、彼女に罪人と同じ毒をぬりつけなくちゃね」
「わたしの娘に何をするという!」
わめいても、陛下の体は動けない。いいや、動かせないのだ。
見ている私たちと同じように。
「復讐だよ、ぼくはずっと、あなたたちがきらびやかな宝石を買うために体を溶かされ続けてきた人たちの、苦しいっていう声が聞こえるんだ。ねえ王様、あなたには聞こえない? そこにも、そこにも。あっちにも。あなたとあなたのご先祖とあなたの子供たちと、あなたの国民が溶かしていった人たちが立っている」
やわらかな声を、一笑するなんて出来なかった。
聞こえなくとも。
できやしない。
「ねえ王様、選んでよ。ここで斬り殺されるのと、体の中身が死なない程度に爆発するのと、毒でどんどん体が溶けていくのと」
あと、一つ。
「すべてに償うつもりで、生きるのと」
陛下はひいひいとひきつった呼吸をしていた。
そして償う事を選んだのだ。
青年は立ち上がり、そして言う。
「ここはとても、いい国だよ、王様」
「なに……」
「誰もあなたを見捨てて逃げ出そうとしなかった。あなたを信じていたい人たちが多いし、あなたが本当は苦しいことも理解してくれている」
ほほえんだ青年が陛下の脇にしゃがみ込み、明るい日溜まりの笑顔で笑った。防護眼鏡を外した青年は、とてもあどけない無邪気な顔をしている。
とても、陛下を床に縫いつけられるとも思えない顔だ。
「それにね、ここはとても工芸品の技術が高い国だ、それってとってもいい財源だよ、毒なんて簡単なもの、消えるものよりもずっと、すばらしいものがこの国に育っているよ、王様」
その時、陛下からぼろりぼろりと涙があふれ出した。
この国のまっとうな神経の家臣たちも、涙を流していた。
……国がよい方向に進み出す、その瞬間をわたしは物陰から目撃したのだった。
それからという物、陛下はその青年に助言を求める事もした。
それはさながら、賢者に教えを乞う賢王のそれに似ていた。
彼も彼自身が考えた最良の言葉を、陛下に伝えていく。
最初の事で反感を持っていただろう家臣たちも、青年の言葉と態度とそして、揺るがないどっしりと構えた姿に徐々に心を開いていった。
彼は国が戦を止め、新しい方向に向かう事を見届けると、行かなければならない場所がある、そこがとても大事な所なのだと笑って去って行った。
彼の名前をわたしは最後まで知らない。
誰もが彼を、賢者と呼んだのだから。
しかしその彼が、隣国ではとんでもない爆発狂いと呼ばれるようになったと知り、呆気に取られて迎え入れようとした。
だが彼ももともと強情な男なので、婚約者がいるからそちらに根を下ろす事は出来ないのだと言った。
その時の賢者は晴れやかに、そして咲き誇るように笑っていた。全身全霊での愛しているという言葉。
陛下は笑ったのちに、彼が住みやすいように、そして実験に使いやすいようにと、細々とした材料を送っていた。
そして秘密裏に国の一級の建築士などを城に招き、彼が住みやすい家を彼の住まうところに建てるようにと命令し、隣の国まで送らせた。
そんなこんなで彼は、吹っ飛んでも直しやすいという、とても居心地のいい家であり研究施設を手に入れたそうだ。
秘密裏だったというのに、彼からお祝い事に使う花火の、それも最上級品を飛び越えたとんでもない品々が送られて、陛下に手紙が王られてきた辺りで、賢者には色々とお見通しなのだな、とわたしは感心したものだった。




