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5.ブラウニングの子供たち


「品の無い言い方をしてしまえばエサだよ、ハロルド。私はエサだ」


そして彼女は針だった。

オルトンの断言は穏やかで、うっすらとした微笑みには慈愛のようなものすら浮かんでいる。ハロルドの頭の回転数が途端に跳ね上がって眩暈がした。エサと針。そのふたつから連想されるもの。簡単だ。川遊びを覚えた子供にすら容易に想像が付く。


―――――釣りだ。


釣りをするにはエサが要る。それを引っ掛ける針が要る。そして何より重要なのは―――――それで一体、何を釣るのか。ついでに、釣り人は誰なのか。

ハロルドの思考はぐるぐると巡る。オルトンはそれを黙って見ていた。この弟は待っていれば正答を導き出すだろうという兄の信頼が伝わってくるが、そのプレッシャーを跳ね除けるのは中々どうして骨が折れる。

熟考は一分にも満たず、オルトンの青い目に映った自分の困惑を眺めながら、ぽつりとハロルドは問いを投げた。答えを元手に、率直な疑問を。


「………何故、()()が兄上をエサに釣りなど?」


釣り人が誰なのかは明白だった。他でもないオルトン本人が了承の上でエサの身に甘んじているということは、それを強いるだけの力を持った上位者がいることになる。公爵家よりも立場が上で一番分かり易いのは王家だ。他の公爵家とのパワーバランスはともかく地位としては横並びなのでこの場合においては少し弱い。加えて、兄の言葉を鵜呑みにする限り事は凄まじく大きくなっている筈なのに、社交界における兄の噂はあくまで『とある舞台劇のモデルと思しき悲恋の貴公子』止まり。実際には王家の威信を揺るがしかねない不敬な詐称も出ているのに事態の収拾を命じられた気配もない。と、なれば釣り人は王族の誰かと考えるのが妥当である。誰か、とぼかしておきながら、ハロルドは内心で国王陛下だと直感していた。

ここまでは予想が付く。けれど―――――狙いが分からない。兄とその婚約者を使ってまで釣りたい魚がなんなのか、ハロルドには皆目見当が付かなかった。


「さぁて、何を釣りたいのだろうね? 無論、婚約者候補などではないが」


王家が釣り人だと否定しなかったというとこは、それがそのまま答えである。オルトンは穏やかにそれだけ言って、またも口を噤んでしまった。ハロルドには分かる。あの目は完全に面白がって遊んでいる。つまり、自力で考えて考えて答えなければならないらしい。簡潔に、それでいて不備なく的確に。スパルタかよ兄上。知ってたけれども!


「………………すみません、兄上。ヒントください」

「おや。少々諦めが早いぞハロルド」


まぁ、些か判断情報が少ない点は認めるけれども。

意外と素直に認めるが早いか、オルトンはあっさりとヒントをくれた。


「そうだな。では、私に『ミュリエル』ですと取り入って得をするのはどんな輩だ?」

「婚約者として取り入ればブラウニング家と縁が結べますからね。出自が貴族であれ平民であれ損をする輩はほぼ皆無でしょう。兄上と子を成せばそのまま跡取りに据えてゆくゆくは公爵家を乗っ取れる可能性も―――――ん? いや、待てよ。そもそも『ミュリエル』嬢が王家の血筋なんて話は一体何処から? そういえば兄上を王家の血筋と宣った不届き者も居たんでしたか。どちらかに王位継承権があるとほのめかして何になる? そこを焚き付けて何になる? 薄まっているとはいえブラウニングは王家の傍流、この上で更に王族の血を濃くする設定を盛った旨味は何だ? この件で騒ぎを起こしてどうする? ブラウニングを引き摺り降ろす? 弱いな。ごたごたに託けて国際的信用を貶める? 王家の権威の失墜? 国家転覆を目論んだ? ここまで来ると飛躍し過ぎか………? いや、その混乱に乗じることこそが狙い?」


袋小路に止まりかけた足が、ひとつの光明を見出す。ブラウニングは公爵家。王家に次ぐ地位の高さを誇る。例え同格である他の公爵家であったとしても、縁を結べば誰だって大抵は得をしてしまう。損をする輩の方が圧倒的に少なくて―――――だからこそ、エサに相応しい。婚約者が既に故人であるのも都合が良かった。だからこその配役。だからこそ立った白羽の矢。


オルトン・ブラウニングとミュリエル・エヴァンスはとても分かり易いエサだった。


「他国の間者、紛れた諜報、不穏分子の洗い出し、ですか」

「ああ。国の内外を問わずね」


さして迷う必要もなかったひとつの可能性を明示すれば、オルトンは鷹揚に頷いた。


「昨今の国際情勢はけして穏やかとは言い難く、薄氷の上を往くような危うい均衡を保っているのは既に察しが付いているだろう、ハロルド。特に隣接する二ヵ国とは数年前から既に水面下で情報戦の様相を呈している。そこで王家は忠節厚い我がブラウニング家を見込んで父―――先代の公爵に密命を下した。生まれて間もなく命を落とした『ミュリエル・エヴァンス』とオルトン・ブラウニングの婚姻、そしてその事実を利用した意図的な情報操作だ」


オルトンの声は冷静で、感情の揺れが見当たらない。事実だけを述べているそれ。情があるのかないのかさえも不透明で見えやしない。

ミュリエル。ミュリエル・エヴァンス辺境伯子。死んでしまったご令嬢。義理の姉になる筈だったひと。それは死んでから決められたのか、それとも死ぬ前から決まっていたのか。


いつから仕組まれていたのだろうと、場違いにそんなことを思った。


兄は構わず先を続ける。


「さて。情報を、意図的に弄って歪めて付け足して、その上で拡散したとする」


例えば東の国に通じていると疑わしきあたりには、“彼女は今も生き延びている”とか。

例えば西の国の者が紛れていると思わしきあたりには、“彼女は王族のご落胤だ”とか。

例えば売国奴との容疑が色濃い輩には、“彼女の双子の片割れがまだ生きている”とか。


例えば遠い遠い地から訪れた野心を胸に潜む連中には―――――“実はオルトン・ブラウニングこそが秘匿された王家の胤”だとか。


それとなく、秘密裏に、秘密にしていた情報であると誤認させたまま握らせて。

誰も知らない知られていない、最高の切り札を手にしたのだと各々に思わせておいて。

あとは機が熟すまで待てばいい。先代のブラウニング公爵が落命して間もなく、正式にオルトンが跡を継ぐことによって情勢は一斉に動き始めた。匂わせて、泳がせて、食い付いたところを捕まえる。それはまさに釣りだった。釣り場は無数に存在しているが『ミュリエル・エヴァンス』というラベリングがされているから出所はかなり分かり易い。外交の罠、派閥争い、抜け駆け出し抜き独断専行、権謀術数渦巻く釣り場でオルトンというエサを引っ掛けた『ミュリエル』という針は踊る。魚は自ら寄って来て、上手い事エサにありつこうと口に入れて初めて気付くのだ―――――引っ掛かってしまえば最後、俎板の上で解体されると包丁の刃を前にして。


「趣向はともかく、無駄がないだろう?」


エサにされている張本人は、事も無げに飄々と、本音を悟らせない声音で嘯く。考案者は父であったらしい。実子を堂々とエサに据えるその合理性は彼らしい、と、同じ父の血を引くハロルドは思った。そこに個人の感情や感傷を絡めなければなんとも有効で簡単な罠だ。エヴァンス家の方々には申し訳ない気もするが、あちらは既に全員が鬼籍に入っているので咎は何処からも上がらない。仮に責めを負うとしてもこの兄なら平然と受け入れるだろう。そんな確信だけはある。

真似出来ないなぁ。

改めて兄の置かれている状況を把握した上で浮かんだ第一声がそれだった。己にはとても真似出来ない。きっと何処かで襤褸が出る。


「それで、兄上はいつまでエサのお役目を?」

「だいぶ片が付いてきたから近いうちに釣りも終わるだろうよ。大陸の仙人でもあるまいに、魚影のない池に糸を垂らして物思いに耽るような趣味はないさ」


そう言って皮肉気に笑ったオルトンは、どうして自分にこの話を打ち明けたのだろうか。どう考えても国家秘密だろうに。ただ弟であるというだけで、重要な案件を包み隠さず詳らかにするような兄だろうか。

ふとそんなことが気になって、ハロルドは居住まいを正した。


「何故、お話しくださったので?」

「なぁに。それもすぐに分かる―――――今までは言わばリハーサル。これまでの騒ぎの顛末もつまるところは其処に行き着く。お前も準備しておきなさい」


いざその時が来た瞬間、最善を尽くして立ち続けられるように。

そんな不穏な発言でこの後に何か一悶着あるぞと匂わせるだけ匂わせてきた兄に、いやいや兄上リハーサルってなんですか、と心の中で盛大に切れのあるツッコミを入れて。


実際にハロルドがその瞬間に立ち会ったのは、それから僅か五日後の、王家主催の外交が絡んだ一大園遊会だった。


_______________


「ブラウニング公爵閣下―――――いいえ、オルトン・ブラウニング! 公爵位を賜っておきながら恐れ多くも国王陛下を弑して王位を簒奪せんとする貴方の企みは既に暴かれているのです!!! 大人しく己が罪を認め、これ以上の醜態を晒す前に貴族家に生まれた者として慎んで裁きを受けなさい!!!!! ここにわたくし、貴方の双子の妹である『ミュリエル・()()()()()()』が、すべての真実を明らかに致します!!!!!」


ああうん、兄上―――――確かにリハーサルと心構えは要ったわコレ。


でももうちょっと何とかならんかったんですか。


無言で思いっきり渋面をこさえたハロルドの心中何のその、渦中のオルトン・ブラウニングは涼しい顔をして平然と悪役の位置に立っている。相対するのは主演女優、この度は貴賓として招き入れられた筈の隣の国の王女様。聞き捨てならない名乗りを上げた彼女の周りには祖国から連れて来たと思しき従者と自国の騎士や高位の貴族子弟などが烏合の衆よろしく取り巻いて、本当に陳腐な舞台劇のよう。


「事実無根にございます」


しれっと紡がれる兄の台詞―――本当に、ここまでくるともうただの()()である―――には澱みも揺らぎも嘘もない。気色ばむ面々。ざわめく観衆。なんだこれ、と思いながらも兄の忠告した通りその場に立ち続けるハロルド。


「ああ、義姉上―――――『ミュリエル・エヴァンス』嬢。貴女は一体何人居るのか」


呟いたところで答えはなく、たった一人の本物はとっくの昔に死んでいる。だからハロルドに姉は無く、居るのは唯一兄だけだ。いくら事態が取っ散らかっていてもそれだけは終ぞ忘れまい、と胸に刻んで息を吐いた。


茶番舞台劇大一番、最後にして最大の閉幕式が始まる。


これにて終了です。

お付き合いまことにありがとうございました。

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