7 王女退場 〈2〉
御久し振りです。
Xの方に浮気しておりましたが、ぼちぼち亀の呪いでも再開しようと思っています。
でも、王女様は手強いです。
巨大な通廊前の扉が控えめに開かれするりと王女が出てきた時、通常は扉前に立つ衛士が退出の確認をするものなのだが、王女に声は掛らなかった。
「何をしている」
戸惑い固まっている二人の衛士の前には喪服の侍女が佇んでいた。
構わず問う王女に侍女は居住まいを正し、慇懃に礼を取った。
「殿下お迎えに参りました」
そんな普通の侍女のようなまねをする女だっただろうかと王女の眉間に皺が寄る。
侍女服が喪服仕様になっていることも気掛かりで、王女は侍女を促し歩き始めた。
衛士たちの金縛りが解け息を吐き出す気配を感じ舌打ちをする王女に、コロコロと侍女は笑いながら窘める。
「可愛いではありませぬか。殿方は元来繊細なものです」
それへ胡乱気な視線を送り前を見たまま反論する。
「人がましいことを申すなこの妖怪が。精気を吸い取る獲物を見るような目で見ているから敏い者には敬遠されるのだぞ」
実際この侍女の事が嫌いななわけではないが、その出自に問題があるために表向きには使えないことに、能力主義の王女は常々不満を抱いていた。
しかも借り物という名の監視者という性質があった。
「おお怖い。そんなにプリプリされては許婚者のマシュウ様も難儀なさいます」
口に手をやり、癇に障る言い回しをする侍女に足を止めかけたが歩みは止めずにこの不毛な会話を継続することになった。
扉前から王女の宮までの回廊は実に広大な王城の端から端という距離があるのだが、二人は歩くと言うスピードをはるかに上回る速度で息も切らさず進んでゆく。
途中、不幸にも出くわした者はその迫力に慄き、自然と回廊は駆け足の大名行列を見守る人々といった体であった。
「王女様にはもうお気付きになられたということでよろしかったでしょうか」
さらりと一の手を出す侍女に、上着のカラーを外しながら王女が応じる。
「お前も勿論知っていたのだろうが、賭けていたのか」
芯の通ったような美しい姿勢のまま王女に従う侍女は、放り投げられたカラーを受け取り答える。
「胴元は王妃様ですが恐れ多くも殿下を賭け事になど…とてもとても」
しれっという侍女。
王女は繊細な上着の飾りボタンを引きちぎるように外してゆく。視線は前、速度は早まりこそすれ遅れることは無い。
「いくら儲かった」
熱のこもらない問いにうきうきとした声音が返ってくる。
「国王陛下の御馬様ほどではございませんが、城下に小さな屋敷を一棟買い取ることができましたの。
御蔭様で引退後はのんびりできそうですわ」
話を返せばいくら小さいとはいえ城下の一等地に屋敷を購える金額よりも馬一頭の方が高いということになる。
頭が不快な痛みにずきずきしだした。
「国王陛下も王妃殿下もほくほくされておられましたわ」
そんなことを聴きたい訳じゃないと、上着を侍女に投げる王女。
目の前にはもう王女の宮の外扉がある。
高貴な女性が上着を自らの宮の前とはいえ外で脱いでいることに、立っていた女衛士たちが真っ赤な顔で出迎えた。
「殿下。王女殿下であらせられる御身が上着を宮外で脱がれることは感心致しませぬ。せめて扉内まで我慢なされて下さい」
当たり前のように苦言を呈す侍女に、煩いとばかりに繊細なレースの襟が付いたブラウスが投げられた。
慌てて扉内に引き入れられてはいたが、周囲のハラハラはいや増していた。
「旅装用の乗馬服を。ごてごてした飾りがついていたら全て外せ」
王女の居間で侍っていた侍女たちが「かしこまりまして」と短く受けて動き出す。
能力主義実力主義の王女は、『お話し相手』が主な業務の女官たちを追い出し、王女の意思を正しく受け取れる侍女のみを残した。
王女の命令は素早く丁寧にを心掛け未だ暇を出された者はいないという少数精鋭の侍女たちだった。
彼女たちと王女に付き従ってきた喪服の侍女は明らかに違った。
それは主が王女ではないという事実からも複雑な関係だった。
「着替えが終わったら軽く摘まむものと携帯食と水。レイラ長靴に綿を詰めてくれ。
私はこれから遠征する。お前たちは私が城を出た後はこの宮を閉め全員宿下がりをせよ」
幼い時分から自分に仕えてくれた侍女頭に詳しい説明はせず、支持のみを伝え王女は浴室へと消える。
王族にはかつてないことだったが、王女は浴室に侍女を入れることを拒んでいる。それは戦場で受けた傷に慄いた若い侍女の瞳に侍女も同じ人間だということを知ったからだ。自分が傷つくことには無頓着な王女だが、他人のそんなことに傷つく人間がいることが王女には小さくは無い衝撃を受けた。
あの時はマシュウが飛んで来てこんこんと説教していった。そんな記憶も、肌を晒す時に人を入れない理由となったのだった。
「何があったのでしょうか」
声音は落ち着いていたがレイラは喪服の侍女が全てを知っていると知っていた。
身分と言えば目の前の正体不明な女の方が上。だがここは王女の宮だった。
「殿下に御聞きなさいな。私ごときが貴女程度の者に何を言えと?」
一回りは歳の離れた二人は己が守る者の為にだけ動いている。正確に役職を上げれば目の前の女は侍女ではないが、確かに自分ごときが踏み込めない相手だった。
「これから事が動くわ。王女の不在中は忙しいわよ。宿下がりするの?」
話題を変える相手に一礼すると、レイラは強い視線で見返すときっぱりと答える。
「まさか。殿下がお戻りになって何もできていません等と、許されませんわ」
昂然と言い切るレイラに喪服の侍女が艶然と笑う。
「だからあなたの事は好きなのよ。私の片思いだけれどね。殿下じゃないけれど後はヨロシク」
軽い調子で言う女に唖然とレイラが問う。
「付いて行かれるのですか?」
「そうなのよね。まあ主様には特別手当ももらったし、面白いものが見られそうだしね」
いっそ清々しいほどの軽さに、レイラは女を見直している。
強いということは聞いているし感じている。
自分は戦場や政治向きの世界には付いてはいけない。それを王女も望んでいなかった。
自分は自分の仕事をする。
レイラは改めて女に深く礼をすると、浴室から聞こえてくる気配に身を引き締める。自分は自分たちの戦場は王女を迎え休ませるこの宮なのだと。