〜特性全部盛りで生きる〜
娘は青くてキラキラしているモルフォ蝶が好きだ。どうぶつの森で知ったその蝶の標本を科学館で見つけて目を輝かせ、帰りには売店でキーホルダーを買ったほどだ。
モルフォ蝶は、飛んでいる時だけ青く輝く。羽の表は光の角度で色が変わる構造色で、どの色も本当だ。けれど羽の裏は枯葉色をしており、止まると風景に溶けて見えなくなる。
娘と一緒に図鑑で調べたとき、この蝶は、まるで娘みたいだと思った。
3歳半健診のとき、あまりにも常に踊っている娘を見て「多動ではないか」と相談したが、保健師さんには否定された。
娘が私の隣で、おとなしく自分の番を待てていたからだ。広いホールには観察できる子どもたちが大勢いて、静かに待つ必要もなかった。娘は落ち着いていた。
娘が自然体でいられた環境では、特性は見逃された。
5歳の発達相談は逆だった。逃げ場のない個室に、知らない大人が3人。静寂と視線。娘が最も苦手とする条件がそろった空間で、彼女はひと言も喋らず、お絵かき帳に衝動的な絵を描きなぐった。
その場で「小児科を受診してください」と言われた。娘を追い詰めた環境が、特性を表出させた。
なぜもっと早く見つけてあげられなかったのかと、当時は後悔した。けれど今は、5歳で見つけられたこと自体が奇跡だったのだと思う。
それを機に、小児科、就学相談と、娘の苦手な場所に行くことが増えた。娘はそんな時、回る、走る、いたずらをするなど、発達障害児の顔を強く見せるようになった。
娘の発達特性がどんどん明るみに出てくるにつれ、私は疲弊していった。なのに、紙の上の検査では、ADHDもASDも数値が低く出た。
衝動的と言っても、娘は危険なことはしない。むしろ慎重に見える。
自閉傾向を聞かれても、社交的でお友達と遊ぶのが大好きだ。
幼稚園の帰り道、娘が突然走り出したことがある。これが衝動性か、と追いかけると、娘はちゃんと家の前で待っていた。
道路には飛び出さない。赤信号は止まる。横断歩道では手を上げる。交通教室でおまわりさんに教えてもらったルールを、娘は完璧に守る。走り出す衝動を、ルールへのこだわりが止めている。
逆もある。いつもと違う道を通ったとき、癇癪を起こした娘は、コンビニが見えた瞬間、チョコアイスが食べたいと笑った。こだわりの怒りを、衝動の喜びが吹き飛ばした。
高いところから飛び降りる時も、危険でない高さを選ぶ。雲梯はやらない。
衝動はある。けれど、ブレーキをかけられる。ただし、疲れているとき、暑いとき、楽しすぎるとき、そのブレーキは効かなくなる。
小児科で渡された2枚の検査用紙に丸をしながら、ずっと違和感があった。ASDも、ADHDも、その型の中に、娘はほとんど当てはまらない。
「どういうことだろう?」
私は困惑しつつも、数値の低さに安心した。当時はまだ、ギフテッドという言葉も知らない発達障害素人だったからだ。
もしかして、やっぱり娘は発達障害ではないのかもしれない。無知な私は、そう期待した。
数値の低さは、喜ぶべきことではなかったのに。
ADHDとASD、それぞれの書類では、娘の特性は説明できなかった。併発児用の検査様式があれば、結果は違ったのかもしれない。
娘の発達特性は、薄いのではない。それぞれが強く存在しながら、互いを打ち消し合っている。
小児科医、心理士、作業療法士、相談員、教育関係者。その他、たくさんの専門家たちの中に、発達障害素人だった私に、そのことを教えてくれた人はいなかった。
けれど、今なら、それも無理はなかったのだと思う。
娘は本当に、行く先々で違う子になる。まるで、イッパイアッテナのように。
幼稚園で見れば、困っていない子だった。社交的で、お友達と遊ぶのが好きで、先生の話も聞ける子。
発達相談で見れば、強く特性が出る子だった。喋らず、視線を避け、衝動的に絵を描きなぐる子。
発表会で見れば、本番に強い子だった。大勢の前でも淡々とやり切る子。
家で見れば、ずっと歌ったり踊ったりする子だったり、切り替えられず、お風呂の度に癇癪を起こし泣き叫ぶ子だったり、工作に夢中になり、手が止まらない子だったりする。
どれも、本当の娘だった。
専門家なのにわかってくれないとか、そんな次元の話ではなかったのだ。
それぞれが、真摯に、一人ずつの娘に向き合ってくれていた。
ただ、娘がたくさんいたのだ。
一つの場所で見た娘は、その一つの顔でずっとそこにいる。そこでは、他の顔を見る機会がない。
点で見たとき、娘はそう複雑ではなかったのだ。
だから私は、生活の中に散らばった矛盾を、自分で繋ぎ合わせていくしかなかった。
ひたすら娘を観察して、本を読み、自分で調べた。
娘の中には、ギフテッド傾向、ADHD傾向、ASD傾向、DCD傾向が同時に存在している。
これらが互いのブレーキになり、アクセルにもなる。豊富な語彙と観察力で擬似的に適応し、マイルールで衝動を抑え、発想力で不器用さを覆う。
一見うまく適応しているように見えても、実際は小さなズレと負荷が生活全体に散らばっている。
娘は常に場を解析し、自分を調整し、周りに合わせ続けている。けれど、それは、周りに合わせたほうがいいと考えて、努力しているわけではない。
例えば、3歳のいとこと遊ぶ時は3歳児のように走り回って全力で遊ぶ。10歳のいとことは、静かに座ってポケモンカードバトルをする。
はじめて会う大人には、試し行動をする。はじめての場所で走るのも、どこまで許されるのかを探っているのかもしれない。
娘はいつの間にか、自然とそれをやっていた。3歳半健診のときにそうしたように。
高速で観察し、理解し、補正する。
なんと疲れる生き方だろう。
けれど自分に余裕がなかった当時の私は、娘のその疲労に気づいていなかった。
私は娘の発達特性を「すぐ忘れる」「ずっと動く」「偏食」といったマイナスの困りごととして見ていた。
なぜ言う事を聞いてくれないのだろう?
なぜこんなに簡単なことができないのだろう?
マイナスばかりが目につく日々。
けれど、娘を観察し続け、本を読み漁り、専門家に質問し、発達障害を深く知るうちに、娘の強みの多くもまた、発達特性のプラスの側面だと気づいた。
娘を困らせる特性と、娘を支える強みは、繋がっている。
空間を立体的に把握すること。ルールを作る能力。好きなものへの過集中。すべてが表裏一体だった。
娘の全てが、特性で説明できる。
では、それらは個性ではないのか。
特性を全部取り除いたとき、そこに何が残るのか。
何も残らないのではないかと、私は怖くなった。
考えすぎるのは、私の悪い癖でもある。
マイクラ、ポケカ、将棋、レゴ…
娘は一貫してルールと仕組みがあるものを好む。娘の好きとは、特性からくるものなのだろうか。
例えば、私はずっと、娘は踊るのが好きな子だと思っていた。
音楽が流れると踊る。待ち時間にも踊る。突然クルクルと回る。それが娘の1番の個性だと思っていた。活発で、表現が好きで、ダンスが好きな子。
それを、踊らずにはいられない子、表現せずにはいられない子と捉えると、踊りも発達特性となる。ADHDの衝動性に見えるからだ。
けれど、そうではないと思い直した。
娘にとって踊りは、考えるためのもの。感じるためのもの。理解するためのもの。ただの、降って湧いた衝動などではない。
娘はあらゆる情報を、頭だけで処理するより、動きながらの方がうまく整理できるようだ。
音、空間、感情、発想…
たくさんの情報で脳が溢れそうになると、娘は身体を動かす。脳の情報整理のために踊りを選択したのは、娘の独自性ではないか。
そこに確かに、娘の個性がある。
同じ特性を持っていても、数字や言葉に向かう子もいる。娘の場合は「仕組み」に向かった。
迷路、地図、要塞、動線…
娘は昔から、どう繋がっているかを見るのが好きだった。気になったものは投げ、裏返し、分解した。
遊びを始める前には延々とルールを作る。工作の工程には夢中になるが、見せ終わった完成品には無頓着だ。
娘はおもちゃを持ったまま、それで遊ばずお喋りをすることがある。そんな時、遊びがなかなか始まらないように見えるし、おもちゃは必要がないように見える。けれど、彼女の脳内では、遊びがとっくに始まっている。
実際に体を動かす必要はない。仕組みを理解すること自体が、娘にとっての遊びなのだ。
このとき、おもちゃは不用品ではない。思考のためのツールとして使われている。
また、無駄なものを買ってしまった。欲しいとあんなに言っていたのに。せっかく買ったのになんで?
放置されるおもちゃを見るたび、私はいつも落胆していた。
けれど、娘の部屋に溢れた、使われないおもちゃの山。あれは、娘の思考の足跡なのだ。
仕組みが見えるということは、完成形も見えているということだ。
娘の頭の中には、常に精緻な設計図がある。それが娘の強みになる。けれど同時に、その設計図が娘を苦しめることもある。
娘には強い完璧主義がある。
3歳からピアノを習っているが、初見の楽譜を前に、娘は固まる。
頭の中の高度な完成予想図がある。けれど、DCDと感覚情報処理障害のある6歳の指は、それに追いつけない。
音符が多くて目が追いつかない。楽譜を見ていたら手がもつれる。イメージと違う拙い音に、どんどん苛立ちが募っていく。
すると、娘はとうとう、「こんな人生嫌だ。死にたくなる」と泣き叫びながら、怒りに任せて乱暴にピアノを弾いた。
それでも娘はピアノを弾くのをやめなかった。ついさっき死にたくなるとまで絶望したのに、納得のいくレベルで弾けた瞬間、ケロッと笑顔になり、体を揺らして、即興の歌も口ずさみ、全身で楽しさを表現する。
ピアノは、花丸を貰うと、また最初から始まる。何度も絶望を繰り返す。
「いつか、トルコ行進曲が弾きたい」
娘は、どんなに絶望を繰り返しても、キラキラした目でそう言える。
困難だからこそ、成功が一段と輝くことを知っている。自らその道を選んでいる。
あるとき、私が楽譜の半分を隠した日があった。すると娘は余計なことをするなと怒った。けれど別の日、自ら楽譜の半分をもう一冊の楽譜で隠すと弾きやすくなると発見して、以来そうするようになった。
口や手は出されたくない。なのに「ママがいないと弾けない」と言う。
もしかしたら娘は、ピアノに挑むとき、いつも絶望へ立ち向かっていたのかもしれない。だから、もしものときにすくい上げて欲しくて、私をそばに置くのだろう。
ただ安心材料として、必要とされている。それだけでいいと思う。
家では、失敗したら最初から弾き直す。感情の赴くままに弾く。けれど、娘は発表会では、ミスタッチで止まったりしない。感情的に弾いたりもしない。
お辞儀をして、弾いて、お辞儀をして、戻ってくる。
ピアノは習慣化した。けれど、何度言ってもできない日常のことも多い。
朝の「早く食べて」「着替えて」、夜の「お風呂入ろう」「動画はおしまい」。
毎日、何年も同じことで衝突し、私は疲弊していた。
なぜ、こんなに毎日言われてもできないのだろう。
娘は、前の行動がトリガーになる決まった流れには乗れる。けれど、過集中からの切り替えや、夢中になっていることの終了が絶望的に苦手なのだ。
これは、過集中から抜け出せないADHD特性と、状態の変化に抵抗するASD特性が重なっているからだと思う。
「やめられるところで、自分でやめてね」
そう声をかけるようになってから、自分で動画を終われる日が増えた。
毎日言っても変わらないのは、そもそも繰り返しによる習慣化ができる種類のことではなかったのだ。
娘は外側から決められた流れにはうまく乗れない。けれど、自分で組み立てた仕組みの中では、驚くほどの速さで動く。
休日、家族3人で、他には誰もいない、ただ広いアスファルトの広場へ行った。
あるのは、サッカーボールが一つ。
娘は夫とサッカーをはじめたと思ったら、一瞬で止め、今度は複雑なルールをその場で作り始めた。
サッカーボールをサイコロのように使うらしい。なにやらよくわからないカードも出てきた。桃鉄のようなゲームだろうか。
再開されないボール遊びに焦れ、困惑した夫が、それはルールブックにまとめてから今度やろうと提案した。
「忘れるから後ではできない。今やらないと、もうできない」
娘は、忘れっぽさを自覚している。自分の頭の中にあるものが、今しか存在しないと知っている。後でやるでは、もう、やりたい気持ちは消えているかもしれないのもわかっている。
だから、娘は今を全力で生きる。
「私が10000点取って勝った!」
いつの間にか、娘の脳内でゲームが始まり、終わっていた。
実物のボールを投げると、思い通りには飛ばないかもしれない。脳内では、全てが設計通りに動く。実際に遊ぶ必要はないのだ。
空間が広ければ広いほど、娘の想像力は無限に広がっていく。本だけでなく、娘の人生にもまた、余白が必要なのだ。
次の週は、お気に入りの広い屋内遊び場へ行った。そこにはピアノやバスケットゴール、たくさんの遊具があり、人も多い。
娘はまず、不安定な半月型のバランス遊具の上に、慎重に立った。
そして一瞬天井を見つめ、誰かが弾く上手とは言えないピアノの音に合わせて、不安定な遊具の上で踊り出した。
この時、世界には娘が一人。いつも、人がいたら恥ずかしいから踊らないなんて言いながら、踊っている時に周りなんて気にならない。
私は、今日の娘のステージはここか、と思った。
次に娘が向かったのは、大きな青いイマジネーションブロックのコーナーだった。
最初はブロックを二段積んだ四角いスペースを作った。そこに、まず、主砲か望遠鏡のようなものが出来た。
すると、そこに椅子を作り操縦席にした。もう一つ椅子を作り、副隊長の席にした。
初代副隊長は夫だった。それが、要塞が完成に近付くと、数人の知らない子たちが入ってきた。
娘は操縦席に座り、入ってきた子、それぞれに役割を与えた。複数人が苦手なはずなのに、一緒に遊べている。
制作中、誰かがブロックを崩しかけると、その度、壊さないでと神経質なぐらい直した。けれど完成した瞬間、娘の中で何かが切り替わった。
「もういい」
そう言った後は、ブロックがどんなに派手に壊されても、もう無関心だった。
守りたかったのは完成品ではなく、完成させる過程だったのだと思う。
娘は、人に褒められるための行動をしない。人の評価の目が怖い。見られていると感じるだけで、続きができなくなる。
同時に、自己評価のハードルも高い。できないと、ぐちゃぐちゃにしたり、破ったり、投げ出したりする。
けれど、自分の思い通りに出来上がったものは、誇らしげに見せに来る。
そんな彼女だから、完成へのこだわりは人一倍なのかもしれない。
自分の思い通りのものが作れさえすれば、不特定多数の介入があっても気にしない。自分の世界の邪魔にならないなら、娘は何人でも、どんな人でも受け入れられる。
そうか、自分の作った世界の中なら、娘は人が何人いようが平気なのだ。
ふと、幽遊白書のテリトリーを思い出した。これも、怖い世界で生きていくための、彼女の自衛方法なのかもしれない。
その後も娘は遊び続けた。ボルダリング、三輪車、フラフープ、回転遊具。
全部、自分で選んだ。目についた順に、全部遊んだ。何も、彼女を縛るものはない。
その時、解放された娘の脳は、自分のしたいことでいっぱいだった。その場のうるささなんて気にする余裕がない。どこに誰がいるかなんて、気にする容量などない。
だから、平気で遊べる。そして、満足したら、自分から言った。
「もう帰る」
楽しい時に、娘が自分からもう帰ると言えた。
もしかしたら、いつもやめられないのは、それが途中だからなのかもしれない。この日、娘が完成させたり、満足したら、すぐにやめられることがわかった。
誰もいないアスファルトの広場と、ごった返した賑やかな遊び場。正反対の場所で、娘は変わらず自分の世界を作った。そこで起きたことは、共通している。
アスファルトの広場では思考が、にぎやかな遊び場では身体が、思うままに繋がっていった。止められることなく、気が済むまで自由に。
これまでも、娘がイキイキとしているときは、いつもそうだった。そしてこれが、頑張って適応している姿ではない。何かを補正している姿でもない。負荷なく世界と繋がれている時の、娘の本来の姿なのだと思う。
けれど、そんな場所は多くない。特性、環境、常に何かに邪魔をされながら、娘はどうすれば真っ直ぐに育つことができるだろうか。
娘の成長は、トトロのドングリの木みたいだと思う。小さな芽が、一気に巨大な木々となる。どう育つかは、誰にもわからない。
娘の森は、剪定されない。整えられた美しい庭にはならないだろう。
枝は伸びすぎるし、絡まるし、倒木もある。鬱蒼とした魔女の森だ。
その森で、木は真っ直ぐに育たないかもしれない。けれど、太く育つ木もある。曲がりながら高く伸びる木もある。
倒木が養分となり、スペースとなり、肥沃な土地に木漏れ日が降り注ぐ、そんな場所もある。そして、そんな樹海だからこそ咲く花も、あるのかもしれない。
先日、嵐の中で、それが見えた。
本番だ。
3歳の頃から、娘はダンス、バレエ、ピアノ、たくさんの発表会を経験してきた。そして、全ての発表会を、淡々とこなしてきた。
なぜできるのか、わからなかった。けれど、確信を持って「本番はやれる子です」と、私は言えた。
先日の運動会は、人が多く、待ち時間が長く、炎天下だった。娘の苦手な条件が、これでもかと入った中で、娘はやはり、運動会を淡々とこなした。
娘は「運動会頑張る」と言ったけれど、緊張したり、気合が入っていたりする風ではなかった。
いつもそうだ、本番は、淡々とこなす。
完成形が見えているとき。作りかけのものがあるとき。途中で終われないとき。娘は、完成させるべきものが見えていれば、完成させずにはいられない。
地図があれば、そこに、最速、最短距離で到達しようとする。
本番というのは、すべきことと終わりが明確な場だ。
入場して、準備体操をして、退場して、テントで待って、出番前に並んで…
と、なにをして、どうなったら終わりかまで、流れがわかっている。リハーサルも繰り返した。
そんな時、ASDとADHDとギフテッド、この三つが奇跡的な噛み合い方をするのかもしれない。
ASDのこだわりが道を作り、ADHDの勢いがそこへ突き進み、ギフテッド傾向の処理速度が、それを更に加速させる。
ゴールが見えた瞬間に、三つが一つの方向を向く。だから爆発的な出力になる。
娘に特性がたくさんあることは、困ったことではなかった。娘の強さにもなっていた。まるで三本の矢だ。
「頑張る」は覚悟ではなく、完成への着手宣言だったのかもしれない。
不確かな要素がないとき、不安感が消える。すると、暑さも、人の多さも、待ち時間も、見えなくなる。ただ、完成させたい。余計なものに構っていられない。だから、娘は淡々とやる。
そういえば、娘の感覚過敏は不安なときにしか出ないものが多い。
感覚統合訓練のリハビリ用の一室、いつも娘は臭いから嫌だと言って、入れない部屋があった。
けれど、その部屋しか空いていない日、作業療法士の先生は娘に前もって予告してくれた。
脳内で、シミュレーションしたのだろうか。その日、娘は嫌がらずにその部屋に入り、一度も臭いと言わなかった。
安心できていれば大丈夫。
それは、娘の根底にずっとある。
安心して通えた幼稚園が、娘の土台となっている。
社交的に見える日も、明らかに発達障害児に見える日も、驚くほど高い能力を見せる瞬間も、すべてが本当の娘だ。どれか一つが偽物なわけではない。
2E児は、環境によって見える顔がガラリと変わる。だからこそ、本人が心身を補正し続けなくてもいい環境が必要だ。
教育委員会の判定を押し切り、娘の進学先に支援学級を選んだ。
ある日、担任の先生から聞いた。通常学級に行くと、緊張するみたいだと。入学して間もないころだった。娘が自分から弱音を吐いたことに、まず驚いた。
支援学級の6人のクラスは、あっという間に娘の安心できるテリトリーになっていた。幼稚園がそうだったように。
娘にはどんな場所でも、自分の居場所を作る力がある。ピアノ教室、バレエ教室、リハビリ、放デイ、小学校。どこでもそうだった。言語化して、先生に助けを求めることもできる。それは、これから娘を救ってくれる力になるだろう。
運動会は、通常学級でもきっとできた。でも、負荷がかかる。できるけれど負荷がかかるなら、かからない方でいい。無理に、通常の中に存在しなくてもいい。
去年、支援学級にするか迷っていたときから、通常学級でもできはするだろうと思っていた。けれど、それには余分に負荷がかかる。
できるけれど負荷がかかるなら、より負荷がかからない方でやればいい。無理に、一般的な通常の中に存在しなくてもいい。
あの時に私はそう思った。その気持ちは変わっていない。だから、今のところ、支援学級を選んで正解だったと思っている。
娘の中で一番強い特性はどれなのかと、私はずっと探していた。それが、娘の困りごとを減らすために必要なのだと考えていた。
今回、なぜ苦手が多く重なった状態なのに、娘は本番に崩れずに済んだのかを考えたとき、そのヒントになるのではないかと思った。
けれど、違った。特性を単体で見ようとすることに、意味はなかった。すべての特性が、娘を娘にしている。
発達特性は、できないことに焦点を置きがちだ。けれど、マイナスにしかならないものではない。
本番に強い娘を見ていると、それと同じくらい、プラスの要素があるのだと思う。
娘のような特性全部盛りの子は、決してレアケースではなく、ただ見つけられていないだけではないだろうか。
一見困っていないように見える。飛び抜けて賢く見えるわけでもない。そんな2E児が、確かに存在している。
生まれた時から大きくは変わらないと考えられていたIQの常識が、研究によって変わってきたように、ギフテッドという言葉のイメージも、これから少しずつ変わっていくのだろうか。
今の日本で、我が子をギフテッドだと言うことには、まだためらいがある。誤解もされやすい。リスキーだとも感じる。
けれど、ここにいるのだ。
飛び抜けて見えなくても、困っていないように見えても、確かに特性が存在している子どもがいる。環境によって見える色を変えながら、見えない負荷を抱えて生きている子がいる。
手を挙げなければ、存在しないものとして見逃されていく。だから私は、娘のことを書いていく。
モルフォ蝶は、飛んでいる時だけ青く輝き、雨の日は休眠する。どの色も本当だ。人も、きっとそうなのだと思う。本当の一色など、ない。
苦手な環境で消耗した娘もまた、トイレにも起きずに熟睡してエネルギーを急速充電する。
いつも飛び続けている美しい蝶が、たまに羽を閉じて、枯葉色の裏羽を見せて休む。
私は、娘がいつでも羽を閉じて休める、安心な場所であり続けたい。




