魔術師ダミアンの事情 後編
「どうしてリリスは老婆になったのか」
それはリリスと暮らし始めてから、ずっと疑問に思っていたことだった。
リリスに魔女としての素質があることは確かだ。そうでなければダミアンの「歳」をその身に取り込むことなどできはしない。一瞬で朽ちて砂になるか、器である肉体が粉々に弾け飛ぶか。
だとしてもである。本来、「歳」を取り込みたい人間などそうそういないのだ。ダミアンのように自らの「歳」を不本意に奪われたものならばともかく、通常は「歳」を捨てたがる人間ばかり。このペンダントも、死や老いを恐れた高貴な人間たちによってたびたび使用されてきていたりする。
ならば一体どんな理由で、魔道具が発動してしまったのか。
その答えは、リリスにペンダントを渡された時に明らかになった。それは、ダミアンが考えていたよりもずっと簡単で、魔道具の本質から考えれば、非常に当たり前のことだった。
「今すぐ老いてしまいたい」
そう彼女が願ったからこそ、魔道具は発動したのだ。
ペンダントを通して見えたのは、リリスの人生、リリスの心。
一刻も早く年老いて、世界のしがらみから解き放たれることを願うリリスの世界は孤独なものだった。
子どもは、大人の庇護下でしか生きられない。けれどリリスには、彼女を守ってくれるはずの大人がいなかった。
年頃になれば、結婚しろ、子どもを産め、家族の世話をしろと責め立てられる。自由もなく、存在するのはしがらみばかり。
だから彼女は一足とびで老婆になることを無意識で願ったのだ。早く、ひとりになりたい。誰にも煩わされることなく、ひっそりと静かに生きていたいと。ただのリリスとして生きていくには、美しさも若さも不要なものだったのだから。
心から必要としていたから、魔道具が呼び掛けに応えた。考えてみれば、ごく簡単なことだった。心からの願いに応えること、それは魔道具のあり方そのものなのだから。
けれど、それはあまりに悲しいことではないのか。リリスが、幸せな人生を送ってきたのではない。それは時々リリスから聞く話や、御用聞きからの情報で把握していた。しかし、知っていることと理解することは、これほどまでにかけ離れているのかと、ダミアンは悲鳴をあげたくなる。
リリスを幸せにしたい。けれどどうすれば彼女を幸せにできるのか、それがわからない。悔しくて悔しくて、気がつけばダミアンは走り出していた。肉体の幼さに精神が引きずられてしまったのかもしれない。まさかそのせいで、リリスをあんな危険にさらしてしまうとは思わなかったが。
***
ダミアンが森の中で元の青年の姿に戻ったのは、完全に予想外のことだった。
突然高くなった視点、力強い手足、体に満ちる豊潤な魔力。けれど嬉しさを感じるより先に覚えたのは、強い焦りだ。
「おい、カラス、いるんだろう。出てこい、これはどういうことだ!」
「ちょ、ちょっと、カラスは鳥目なんですよ。夜は弱いんですから、急な呼び出しは勘弁してください」
「どうせ俺が移動すれば張り付くように指示を受けているだろう。リリスは見なかったか。俺が元の体に戻ったのなら、リリスも元の姿になっているはずだ」
「魔女さまはわかりませんが、この森に良からぬ者が入り込んでいます」
「馬鹿野郎、先にそれを言え!」
老女の姿であれば、追っ手に見つかっても知らぬ存ぜぬで逃げることだって可能だろう。しかしリリスの本来の姿であれば、なまじ美しい容姿であるがゆえに、しらを切ることは難しい。
慌てて森全体に意識を巡らせる。本来の姿であれば、それくらい造作もないことだ。そこでダミアンは気づいた。リリスが怪我を負わされていることを。さらに毒をその身に受けて、危険な状態に陥っていることを。
リリスは自分のもの、そうナチュラルに認識していたダミアンは、あまりの出来事に怒りで目の前が赤く染まった。
「ダ、ダミアンさま!」
「跳ぶぞ」
「がっ、ぎいっ、舌噛んだっ」
「リリス、大丈夫か!」
一足でリリスの元に跳んだダミアンは、速攻で治癒呪文をかけた。今では、最上級の神官であっても使うことのできない手足の欠損さえ復活させる呪文だ。特殊な毒の解毒もできる。
しかし、そのぶん負傷者の体力を消耗させるため、ダミアンは気が気ではなかった。早く、リリスを自宅に連れて帰りエリクサーを飲ませなければ。そのためにも、害虫退治は迅速に行う必要がある。
ダミアンの怒りが具現化されたように、空気が急激に冷えていく。リリスの近くだけは空間が保護されていることに気がついたらしい御用聞きの男が近くに滑り込もうとして、思い切り結界に弾かれていた。
「貴様、よほど死にたいらしいな。俺のリリスに手を出すとは」
「そんな、馬鹿な。これはまるで、失われた禁術……まさかお前は!」
「俺か、俺の名は……。いや、お前に名乗る名などない。俺の名は、リリスに呼ばれるためだけに存在するのだから」
一瞬でリリスを傷つけた男の意識を奪うと、ちょうどよい次元の隙間に放り込む。そう簡単に死なせるつもりはないが、今は尋問する時間も惜しい。くれぐれも先に入れた人間の息の根を止めぬよう念を押した上で、適当な魔物を呼び出すと同じく次元の隙間に押し込んだ。
「リリス、もう大丈夫だ」
意識を失ったようにぐったりとしたリリスを抱え、ダミアンはその額に唇を押しつけた。
***
「これで、一安心だな」
「ええ、何事もなく本当によかったです」
「何事もなかったわけではないがな」
「いやいや、これで魔女さまの身に何かあれば、ダミアンさまが闇落ちしていたからかもしれませんからね」
「そうだな、リリスのいないこの世界に意味はない」
部屋の中には、普段よりもずっと甘い匂いが立ち込めている。貴重な花を惜しみなく使い、ダミアンはリリスのために高濃度のエリクサーを仕上げ、飲ませていたからだ。
ダミアンの苦手な掃除をこっそり行なっていた御用聞きは、自分が漏らした正直な感想に、ダミアンが同意を示したことで肝を冷やしていた。どうやら世界は、危ういところで救われていたらしい。
恐ろしさに胃が痛くなった御用聞きは、慌てて話題を変える。
「それにしても、ダミアンさま。どうして、魔女さまは若返り、ダミアンさまは元の姿にお戻りになったのでしょう。魔女さまは聖女さまのように、年齢を自由に出し入れする術は身につけていらっしゃいませんよね?」
「魔道具は人間の強い想いに反応する。今回のように、『善き願い』であるならなおさらだ」
つまり「若返って早くダミアンを探しに行きたい」というリリスの願いと、「早く大人に戻ってリリスを守りたい」というダミアンの心が重なったから、リリスに宿っていたダミアンの年齢が、本来の持ち主であるダミアンに戻ったのだろうということだ。
「だがな、これだけではわからないことがある。それならばなぜ再び、俺の『歳』はリリスに戻ってしまったのか。それぞれの願いを叶えたのであれば、本来の状態に戻っているはずなのに。そもそも俺にかけられた聖女の呪いは、人間らしい心を持てば解けるはずではなかったのか」
ダミアンは納得がいかないとひとり首をひねる。
「俺が大人になるのはもっと先でいい、まだ子どものままでいてほしいとリリスが願ったからだろうか」
「それもありますが……」
珍しく歯切れの悪い御用聞きを見て、ダミアンが眉をひそめた。
「さてはお前、何か知っているな?」
御用聞きは、ダミアンのような高い魔力は持っていない。しかし、聖女の思念が定期的に送られてきているせいで、ダミアンの知らない情報を握っている。
「それがですねえ、聖女さまいわく、『ストッパーのないヤンデレはヤバい』とのことで」
「は?」
唐突に聞かされた謎の言葉に、ダミアンが眉をひそめる。
「ダミアンさまは、聖女さまが天界の神の花嫁となったことはご存知ですよね」
「当然だ。急に何を言っている」
「それがですね、文化の違いとでもいうのでしょうか。旦那さまの束縛が激しいそうで……」
惚気かと思いきや、どうやら事態は深刻らしい。御用聞きのため息に、ダミアンが口元を歪めた。
「相手は神だぞ。そもそも人間の感覚で物を考えているはずがない。それに合わせられないのなら、求婚に応えるべきではなかったのではないか」
「ダミアンさま、手厳しいですね……。まあ、あれです。何かあると一族を滅ぼしたり、一国を滅ぼしたり、世界を滅ぼそうとするところを見ていると、結構疲れるそうでして」
「国のひとつやふたつ、好きに滅ぼせば良いだろうに。俺は、神が世界を滅ぼそうと、俺とリリスくらい守ってみせるぞ」
「いや、そこはついでに僕も守ってくださいよ!……って、そうじゃなくて、ちょっとしたことで暴走しがちな神さまを見ていると、あなたをすぐに元の姿に戻すことに不安を覚えたそうなんです」
「……なぜだ」
不服と言わんばかりの顔で、ダミアンが御用聞きを握りしめた。手の中で脱力しながら、カラスに戻った御用聞きが説明する。
「つまりですね、大切なものができても、守り方を間違えるとすぐに闇落ちしてしまうような気がすると。だから、呪いを解くにはまだ早いとおっしゃっておりまして……」
「……またアイツのせいか!」
「でもダミアンさまも、わりと暴走してたじゃないですか!」
「どの辺りが暴走していたと思うのだ。どれも、必要な処置だっただろう」
「ほら、魔女さまを守るために追っ手を始末しましたよね」
「何か問題でも?」
「だって、情報の吐かせ方エグすぎですもん」
あれは怖かったと、カラスが身震いした。
「やられるのが嫌なら、こういう仕事に手を出すな」
「そのあと、彼を媒介にして依頼者に呪いを送ったんでしたっけ?」
「ああ。ひとが死ぬのはリリスは嫌がるだろうからな。死んだ方がマシだと思う程度の呪いにしておいた」
「それは本当に、死んだ方が幸せだったんじゃないんですかね、そのひと。それから血の繋がりを辿って、魔女さまのご実家を滅ぼしていますよね」
「まだ滅ぼしてはいない。リリスが気に病まないように、緩やかに消滅させる。1年くらいかけて」
「全然緩やかなスピードじゃないです。まあ、こういうダミアンさまの行動に聖女さまが不安を覚えてしまって、本来の姿に戻るのはもう少し様子を見てから……ということになったようです」
話を聞いて気が済んだのか、ぽいっと御用聞きは投げ捨てられた。ほうほうの体でダミアンから離れたカラスが、ゆっくりと人型に戻る。
「納得がいかんな」
「……そうですね」
「リリスのために害虫駆除をしただけで、ここまで横槍がはいるとは。ならばやはり、いっそ国ごと滅ぼすべきだったか……」
「ほら、そういうところですよ」
「……やはり、天界に文句をつけに行くべきか?」
「ダミアンさま、やめてくださいっ。僕、ハゲるのは嫌です!」
「転職したがっていただろう。聖女の使い魔ではなく、俺の使い魔にしてやる」
「結局、おふたりの御用聞きから抜けられないから結構です!」
数日後、リリスとダミアンが住む小さな森の小さな家の近くには、ちょっと背中の煤けた哀愁漂うカラスの姿があったという。
***
そういうわけで、リリスとダミアンの日常は今もさほど変わっていない。少し変化があったとするならば、ダミアンが人間的な心のあり方や常識を勉強するため、近くの町の学校に通うようになったということくらいだろうか。
「リリス、聞いて驚け」
「はいはい」
「なんと、今月もまた俺の身長が伸びた。見るがいい、この成長の証を」
壁につけられた鉛筆の印をリリスに見せようと声をかけるが、リリスは忙しそうに夕食の支度を続けたままだ。こちらを向いてくれないリリスの姿に、ダミアンが頬を膨らませる。
「あら、良かったわね」
「いや、全然見ていないだろうが。背中に目があるなど言わせんぞ。偉大なる魔術師ダミアンさまが、今まさに復活を」
「ダミアン、食器を並べてちょうだい。スープが煮えたぎってしまうわ」
「俺の身長の話が、豆のスープに負けただと!」
ショックを受けたダミアンだったが、本日のメインディッシュが大好きな鶏肉のソテーだということに気がつくと、うきうきと皿を並べ始めた。
先ほどは、状況が良くなかった。今なら話をきちんと聞いてもらえるはず。大好物を頬張りながら、ダミアンは食卓でリリスに告げる。
「リリス、大きくなったら結婚しよう」
よし、決まった!
そう心の中でどや顔をしたダミアンに向かって、リリスがなんとも言えない顔で言った。
「ダミアン。そういうのは、あんまり年の離れた女性に向かって言ってはダメよ。ダミアンが年頃になったとき、『あのときの約束を守って』『後がないのよ。責任持って結婚して』って妙齢過ぎる女性たちからすがられそうで、怖いわ……」
「こんなこと、リリス以外に言うわけなかろうが!」
「そう、それなら安心ね」
「俺には安心する要素など、ひとつもないがな」
「今まで外見でひとを判断する人間になってほしくなくて言っていなかったけれど、あなたは自分がとんでもなく美形だってことを覚えておきなさい」
あっさりとあしらわれ、ダミアンはうなだれる。食欲がないなら、お代わりはやめておきなさいと言われ、ダミアンは涙目だ。
彼の想いがリリスに届く日は、まだまだ来そうにない。
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