1話
「ここはどこ、私は誰……」
気がついた時、芦屋石橋一面真っ白な部屋にぽつんと佇んでいた。
「ブンッ」という音がして背筋に寒気が走った。反射的に振り返ると、そこには眩いばかりの光を放つイケメンが立っていた。
「私は神だ」
白銀色のローブに身を包み、腰まで届く長い金髪をなびかせた男。彫刻のように整った顔立ちと、何より全身から放たれる圧倒的な威圧感があった。
神………。
意図したわけでもないのに、石橋の膝は勝手に折れ、その場に平伏していた。疑いなど抱くことは欠片も無かった。頭も体も動かない。ただ真っ直ぐに神を見続けた。
「聞いているのなら何とか言ったらどうだ?」
怒られている、神に怒られている。絶望と悲しみに押しつぶされそうになりながらも何と言っていいのか分からなかった。ありがとうございます、あえて光栄です。いや、それよりもまずは謝らなければいけない。
「あ、え、ああ……」
自分の口から出たのは言葉ではない何かだった。
「何を言っているんだ?」
「え、あの、あの…」
「猿以下だな」
「え?」
「おい猿!童貞!」
「さる……?」
「もしや、いまようやく言葉を理解し始めたのか?子が親の口調を真似るように?ふん!まさかな」
神は嘲笑した。そして石橋の脳味噌は絶賛混乱中だった。
「どうてい………?」
「この短時間ですでに二つも言葉を学んだではないか、偉いぞ。分かったな?お前は猿で童貞だ」
神。
それは正しき者、唯一の指針。
そんなお方がいま俺を『猿』『童貞』と言ったのか?おっしゃったのか?そんなはずは無い………そうか!!言語が、神と人間では言語が違うのではないか?
その可能性は十分に考えられるぞ!神の使う『猿』という言葉には『素敵』などの意味があるのではないか?神の使う『童貞』には………、童貞には………童貞………。
石橋は思い出したように息を吸い込んだ。
いや、おかしい!これは明らかにおかしい。こいつは本物の神なのか?いや、こいつなんて言ってはいけない。落ち着け。これはきっと何か深い意味が………。
「おい猿童貞!喋らないのならせめて踊れ」
誰が猿童貞だ!誰が踊るか!殴りてぇ、こいつを今すぐに殴りてぇ………。マウントポジションでボコボコにした後でスリーパーホールドで絞め殺してぇ………。
「会話が成立しないのなら仕方がない。必要な説明だけはさせてもらうぞ。………えーと、この度は、こちらの不手際でうっかり殺してしまった」
「は……?」
手違い?いま、手違いと言ったのか?俺を殺したことを………
「まあ、こうした事故はどれだけ気をつけていても起きるものだ。天使たちをあまり責めないでやってくれ。君のことは私の力で生き返らせてあげるのだから、感謝しなさい」
決めた。
こいつに対する尊敬とか畏敬の念とか、そういうのは今この瞬間に全て破棄する。
そう決めた途端に体に重さが戻ってきた。
「発言してもよろしいでしょうか?」
「ほう!ようやく喋ったな。少し面白くなってきた。よし、許す」
「お言葉ですが、別に生き返らせていただかなくて結構です」
「ほう?」
「これまで生きて来て、やりたいことは大体やりましたし、親とかは悲しむでしょうけど、守るべき家族とかはいません。あとはこのまま同じことの繰り返しで年を取っていくだけだと思うんです……なので、このまま天国へ連れて行っていただければ大丈夫です」
「天国だと!?」
「はい」
「天国?」
「はい………」
神は石橋の顔をまじまじと眺めた。
「ぷっ、ぷはははっははははっははははっはっはは!!!!天国!?お前のようなものが天国に良くだと!?はははっはははっははっははっは!!」
堰を切ったように腹を抱えて爆笑しはじめた。それは明らかに人を馬鹿にした笑いだった。
(なんだこの野郎!笑うんじゃねぇ!笑うな!!)
「ぷはははっははははっははははっはっはは!!!!はっはっははははっはーー、ははははは、はははは、はー」
神は笑っている、笑い続けた。その間も石橋の怒りのボルテージはグングンと上がり続け、黙っているのが難しいほどだった。そして今や、神に対する幻想など消え失せていた。
「いやー、失礼した。これは少々笑いすぎてしまったかな」
神は目尻に涙を浮かべながら言った。
「まさか君が自分を天国に行ける人間だと決めつけているとは思わなかった。さすがは人間、恐ろしいほど傲慢だ、これはさすがに笑わずにはいられないよ。面白い、これだから人間というのは面白い。典型的な人間だな、君は、その顔、いいね、面白ね、ぷはははっははははっははははっはっはは!!!!」
そう言って、神は再び笑い始めた。
(殴りてぇ、殴りてぇよぉ………)
石橋は必死に自分を抑える。
(何で天国に行けると思っちゃ駄目なんだよ。俺は別に悪いことはしてないんだぞ。交通ルールは守ってきたし犯罪もしてない。それなのになんで笑われないといけないんだよ。そもそもこいつ、一回も謝っていないじゃないか……!ってかこいつ、俺を殺したことを一回もちゃんと謝ってないよな、何が手違いだよ。人を殺しておいて何だその態度は!)
「どうしたんだい?そんな顔をして。不愉快だったかね、すまんすまん、申し訳ない」
ちっとも申し訳なさそうに見えない顔で、神が告げる。
「君が天国に行くには、ポイントが圧倒的に足りないのだよ。特に悪事を働いたわけでもないが、かといって善行を積んだわけでもない。つまり君は、この人生で何一つ成し遂げていないということだ。ただ飯を食い、寝て、時間を無為に浪費したに過ぎない。そんな無価値な人間を天国に送ることなど、残念ながらできないのだよ」
「ポイント………?」
「天国に行けるかどうかは基準がある。そしてその基準は、君の価値観とは無関係なのだよ。残念ながらね」
(こいつ、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ?力があれば、力があればこいつを………)
「異世界に行きなさい」
「え?」
あまりにも唐突な提案に、思考が追いつかない。
「さっきは生き返すと言ったけど、よく考えたらそんなことをしたところで意味はないと気が付いた。危ない危ない、労力の無駄をするところだった」
「どういう事をすれば天国に行けるのか教えてもらえれば、頑張ります」
石橋は真剣な表情で言った。それさえわかれば努力する自信はあった。
「頑張っても難しいだろね。なぜなら君は10年後に癌で死ぬから」
「癌!?」
「そう、癌」
「あり得ない………」
病気にならないために、肉を我慢して野菜中心の生活を送っていたのだ。サプリメントや青汁だって毎晩欠かさず飲んでいた。
「あり得るのだよ。というよりもこれは決定事項だ」
「そ、そんな……」
「そして、死んだ後は地獄行きだ。天国に行くためのポイントが足りないのだからね。しかし、異世界で頑張れば話は別だ。あちらは過酷な分、効率よくポイントが稼げるからな」
「良く分かりません。どうして異世界に行くことが天国に行くことになるんですか?」
「君は分からなくてよろしい。さっきから言っているように、君の意思や考え、価値観では計り知れない事があるのだよ」
石橋の怒りは積み上がっていく。
(さっきから何なんだよ一方的に………)
「というわけで、これから君には異世界に行ってもらう」
「けど……魔物とか、いるんですよね?」
「もちろんだ!優しい世界でスローライフ!とか、そういうのをうだうだやられたって面白くもなんともないからね。一寸先は闇、ではなく一寸先は死、そういう世界だ」
「死………」
石橋の背筋に寒気が走った。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫。君も良く知っている世界だよ。小説とかアニメで見たことがあるだろう?代表的なもので言えばゴブリンだな。小さくて緑色で、あらゆる面において愚劣な存在だ。そういうのがウジャウジャいるぞ。君はそういう世界の中で勝ち残っていかなくてはいけない。そして我らを存分に楽しませるのだ」
「え、楽しませる?」
「こっちの話だ、気にしなくていい」
「そうですけ、けど魔物と戦うなんて自信がありません。俺は戦士では無いので」
「本当にそうかな?君にはその素質が十分にあると思っているよ」
石橋の心臓が跳ねた。
「けど、まあ安心したまえ。君にはチート魔法を授けてあげるからね。一生懸命頑張れば生き残っていけるくらいには強力な魔法をね。そういうのが好きだろう?」
「好きは好きですけど、それでもちょっと自信がないというか………俺は人見知りだし心が繊細なので、そういう危険な世界で生き残っていける自信がないと言いますか………」
「よし、決まりだな!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「君に与えるのは、特殊魔法『100万回生きたねこ』! 死ねば死ぬほど強くなって蘇るという、素晴らしい個性の魔法だ!」
「し、死ぬ!?」
「それでは頑張りたまえ! アディオス!」
「うわぁぁぁぁぁーーーーー!?」
石橋の視界が、洗濯機の中に投げ込まれたかのように高速で回転し始めた。あまりにも一方的で、傍若無人な態度。結局あいつは、最後まで一言も謝らないまま俺の人生を勝手に決めた。
大嫌いだ。あいつの存在のすべてが、心底大嫌いだった。
「馬鹿野郎ーーーーー!!神の糞馬鹿野郎ーーーーーーーーーー!!」
石橋は叫んだ。腹の底から、力いっぱい叫んだ。そこに神がもういないことを、切に祈りながら。
そして異世界へと転生した。
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