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世界征服方法を企画せよ 〜ある商社マンと生成 AIの7日間〜  作者: 松本 俊介


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第一章 召喚

## 第一章 召喚


その朝、私は何も知らなかった。


いつもと変わらない月曜日の朝だった。地下鉄の混雑に揉まれながら、昨晩読み返した四半期報告書の数字を頭の中でぐるぐると反芻していた。三十八歳、商社勤務十五年目。担当課長として、いくつかのプロジェクトのリーダーも任されるようになって、少しずつ成果も出てきた頃だった。


焦りも、特段の不満も、なかった。もちろん理想を言えばキリがないが、この年齢にしては悪くないキャリアを歩んでいると思っていた。毎朝きちんとネクタイを締めて、終電前に帰宅できる日は自炊して、週末には多摩川沿いを軽くジョギングする。そういう、穏やかで、まあまあ充実した日々が続いていた。


会社のある駅を降りて、いつものコーヒースタンドでブラックを買い、改札を出る。朝の風が少し冷たかった。上着の前を閉めながら、今日の午前中にこなすべきタスクを頭の中でリスト化していた。午前九時の定例ミーティング、午前十時半の取引先への確認電話、午後に社内提案書の最終調整——。


「松本さん、秘書室からお電話です」


オフィスに着いて、スーツの上着を椅子の背もたれに掛けた直後だった。隣の席の後輩、入社三年目の田中が、こちらに受話器を向けてくる。その顔がほんの少し、ぎこちなかった。


秘書室。


その二文字を聞いて、私は一瞬、頭の中が空白になった。秘書室と私のあいだに、これまで何の接点もなかった。あそこは社長や会長の動きを管理している、いわば雲の上の部署だ。平社員どころか課長レベルの人間が直接電話をもらうような場所ではない。


受話器を取ると、落ち着いた女性の声がした。


「秘書室の橘でございます。松本様、誠に恐れ入りますが、至急、会長室へお越しいただけますでしょうか」


「……かい、長室、ですか」


思わず声が裏返った。橘さんは動じることなく、「はい」と繰り返した。ご用件については現地でのご説明になる、とだけ言って電話は切れた。


周囲の視線が少し集まっているのを感じながら、私はゆっくりと受話器を置いた。田中が「どうかしましたか」と言いたげな顔をしていたが、私は「ちょっとね」とだけ言って立ち上がり、上着を着直した。


エレベーターを待つあいだ、考えた。


リストラ、という言葉が頭をよぎった。しかし業績が悪いわけでもないし、ミスをした覚えもない。そもそもリストラなら人事部経由のはずだ。あるいは何か大きなプロジェクトのアサイン話か。それとも単純に、上の人間が誰かと混同しているのか。


どう考えても答えは出なかった。


会長室のある最上階のエレベーターホールは、普段の執務フロアとは空気が違った。絨毯の厚みが違う。壁に飾られた絵画の雰囲気が違う。廊下を歩く人間の数が、違う。すれ違う人間の目つきが、どこか研ぎ澄まされている気がした。


秘書の橘さんに案内されて、会長室の隣にある会議室の扉を開けた瞬間、私は思わず足を止めた。


すでに、十数人の人間が座っていた。


見渡してみると、知っている顔もあれば、初めて見る顔もある。共通しているのは、全員が自分とそう変わらない年代——三十代後半から四十代前半——で、全員が一様に硬い表情をしていることだった。後から知ったことだが、その中には一流大学を経て入社した生え抜きのエリートも、外資系コンサルや商社からヘッドハンティングされた中途入社組も混じっていた。要するに、会社が「優秀だ」と評価している人間たちが、部署も経歴も関係なく、この部屋に集められていた。


空いている椅子に座りながら、隣の人間とさりげなく目が合った。互いに軽く頷いたが、言葉は交わさなかった。誰も喋っていなかった。それどころか、咳払いひとつ聞こえなかった。ただ静かな緊張だけが、室内に満ちていた。


数分後、扉が開いた。


社長が入ってきた。その後ろに、会長が続いた。会長は背筋を伸ばしたまま歩いており、老齢であるにもかかわらず、その存在感は圧倒的だった。


会長は無言のまま上座に座り、目を閉じた。瞑目したまま、ぴくりとも動かない。


社長が軽く咳払いをして、口を開いた。


「急に、すまないね。実は、一週間与えるので、企画を出してほしい」


テーマは、世界征服。


そのひと言が部屋に満ちた瞬間、誰もが息をのんだ。部屋の温度が、一瞬、下がったような気がした。


「なお、このオーダーはこの場にいる君たちと、ごく一部の幹部しか知らない。株価にも影響することなので、他の人間には言ってはいけない。家族にもだ。職場での相談も不可。このメンバーでチームを組んでの企画もダメ。あくまで、一人で作ってくれ。以上」


社長が話し終えると、沈黙が部屋を支配した。


私は思わず手を挙げかけた。「世界征服って、どういう意味ですか」と言いかけた瞬間、会長がゆっくりと目を開けてこちらを見た。


その視線に、言葉が喉の奥に張り付いて、どうしても出てこなくなった。


怒っているわけではなかった。責めているわけでも、威圧しているわけでもなかった。ただ——見ていた。それだけなのに、次の言葉が完全に消えた。


会議は、それで終わりだった。


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