section2『神瀬 匡(かんせ・きょう)』
異世界の痕跡が残るまま、日常へ戻ってきた真。
そんな彼の前に現れたのは、神瀬 匡と名乗る謎の男。
その男は、真の“異変”をすでに知っていたかのように語りかける──
これは「ただの偶然」か、それとも「選ばれた者」への必然か。
夕焼けが廊下を赤く染めていた。
放課後の校舎は、人の気配が薄れて静かだった。
教室を出て歩き出す。
(……今日は、早く帰ろう。ちゃんと寝て、全部夢ってことにしよう)
そんな逃げ道を頭の中で組み立てながら、下駄箱に向かう。
靴箱の前に立ったとき、妙な違和感に足が止まった。
──背後に、気配。
不自然なほど静かで、空気の温度が変わるような気配。
振り返ると、廊下の奥に、ひとりの男が立っていた。
白いワイシャツに黒いジャケット。
年齢は──二十代後半くらいか。どこか軽薄そうで、それでいて、見ているだけで呼吸を浅くしてしまうような、圧。
まるで、異物がこの世界に混ざり込んでいるような──そんな存在感。
「……ようやく、会えた」
男が、笑った。
軽やかに。それでいて、どこか諦めたように。
「……誰ですか」
警戒を隠さずに問いかけると、男はゆっくりと歩み寄りながら言った。
「俺の名前は──神瀬 匡。お前を“見に来た”者さ」
不思議だった。
初めて聞いた名前なのに、どこか懐かしくて、冷たい水のように心の奥に染み込んでくる響きだった。
「お前、最近“視えて”きてるだろ?」
その一言に、心臓が一瞬止まりかけた。
「……なんの話ですか」
「たとえば、誰かの動きが先にわかる。
音が、届く前に聞こえてくる気がする。
世界が、“一歩遅れて動いてる”ような──そんな感覚、あるだろ?」
(……こいつは、知ってる。俺が“視えてる”ことを)
「俺も、かつてはそうだったよ」
神瀬と名乗った男は、まるで昔話のように語り始める。
「最初はただの違和感さ。でも気づく。
世界のほうが“ズレてる”んじゃなくて、自分のほうが“先に進み始めてる”んだって」
飄々としているのに、言葉の奥には底なしの重みがある。
その軽さと深さが、異様な説得力を生んでいた。
「信じるかどうかは、君次第だ。
けど……お前はもう、“戻れない場所”を見てきたんだよ、三國見 真」
──なぜ、俺の名前を?
「お前は、“選ばれてしまった”。それだけのことさ」
神瀬 匡はポケットから飴玉を取り出して口に放り込む。
「さあ、行こうか。……話すことは山ほどある」
その背に伸びる影が、夕焼けの中に溶けていく。
まるで、異世界への“入り口”が、すでに開かれているような──そんな錯覚だった。
名前を呼ばれた瞬間、真の中で何かが音を立てて崩れた。
自分の異常に気づいている者が、世界の片隅に確かに存在していた。
神瀬 匡──すでに“かつて異世界にいた者”。
その背に続く道の先には、“まだ語られていない世界”が口を開けて待っている。




