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オーバークロック・ノア  作者: くじらちさと
ノアの胎動
10/57

section1『歪んだ現実』

異世界から帰還した翌日。

すべてが“元通り”のはずなのに、三國見 みくにみ・まことの中で、世界は確実に歪み始めていた。

感覚、記憶、現実──「普通の日常」がほんのわずかに“遅れて動いている”ように感じられる。

戻ってきたはずの世界で、彼は確かに“異物”になっていた。

──翌日、教室の時計がカチ、と音を立てた。




まるで、耳元で鳴ったような鮮明な音。


あの“異世界”で研ぎ澄まされた感覚が、まだ俺の中に残っていた。




教室はざわついていた。放課後を前にした、緩んだ空気。


窓の外にはいつもの街並み。けれど──その“日常”が、どこか嘘くさく見える。




昨日、俺はあの場所から戻ってきた。




錆びたフェンスと茜空。屋上の風。全てが元通りだった。でも、それは“見かけ”だけだ。




(……何かが、おかしい)




視界の端。人の動き、物音、風の流れ。


すべてが、ほんの少しだけ“先に”感じられる。


まるで、次に起こることを体が予知しているような感覚。




誰にも話せない。


話そうとすれば、昨日の“あの感覚”が頭の奥に蘇って、拒絶する。


それでもこの目だけは、今もあの世界を引きずっていた。




昨日は……屋上だった。あの風は確かに俺に語りかけていた気がする。


「戻れ」とも、「行け」とも、はっきりした言葉ではなかったけど。


何かが、俺の中で“始まり続けている”。




「三國見くん?」




突然、肩を叩かれて我に返る。


振り返ると、クラスの女子──木下。手にしたペンを差し出してくる。




「落としてたよ」




「あ、ありがと……」




その指が俺の手に触れる瞬間。




──時が、ずれた。




指先が触れる“前”に、俺はその触れた感触を“知っていた”。




(……まただ)




昨日も、同じことがあった。


異形に襲われる直前、死角の“先”を見た。


“起こる前の現実”が、まるで地図みたいに脳内に浮かび上がる。




「顔色、悪いけど……大丈夫?」




「うん、ちょっと寝不足で……」




笑ってごまかす。誰にも話せない。信じてもらえるはずもない。




彼女は少し気遣うようにして、静かに去っていった。


夕焼けが差し込む教室には、俺一人。




静けさが耳に痛い。世界が、少しずつ輪郭を変えていく。




(……視えてる。今も、まだ)




手を見た。昨日ついたはずの小さな擦り傷は、ちゃんと残っている。


服も靴も元通りだったのに──この傷だけは、“本物”だった。




まるで異世界から持ち帰った“証”のように、赤黒く残っている。




(戻ってきたのに、何も終わってない)




教室の片隅で、誰もいないのに誰かの視線を感じる。


見えないはずのものが、見えてしまいそうになる。


声なき声が、心の奥でささやく。




──まだだ。ここは、ただの通過点だ。




静かに立ち上がる。


教室のドアを開けると、夕焼けが染める廊下がどこまでも続いていた。




その空気が──まるで、俺を“待っている”ように感じた。

傷は消えていなかった。

目に見えないはずの“違和感”が、現実を静かに侵食していく。

そして彼の中で、確信だけが輪郭を持ちはじめる──

「あの場所で起きたことは、夢なんかじゃなかった」

静寂の放課後、その背後から歩み寄るのは、“導く者”。

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