150話 炎の中で、君と手を繋いで
※前半帰蝶視点、「***」以降は別視点です。
炎はあたたかい。けれど、近づきすぎると焼かれてしまう。
身を焼かれぬよう、ほどほどの距離にしておかなければいけない。歩幅を見誤ってはいけない。
家屋という家屋、見える建物すべてに火をつけ、逃げ惑う僧は身分に限らず斬って捨てた。
それでも数はだいぶ少なく感じたので、帰蝶が告げに行ったすぐあとに、女子供を連れて逃げたのだろう。織田が斬り捨てた者の中に、幼い子供や女性はいなかった。
この程度でいいだろうと、火の収まりはじめたところで山を下りると、なんと、総大将自ら私達を出迎えてくれていた。
目立つ赤い髪が、先程まで見つめていた焔のごとく揺れている。
「信長様!」
「おう。こっちは終わったから様子見に来た。どうだった?焼き討ち」
「案外、すっきりしました」
「だろ?焼くとすっきりするよなあ」
以前は「魔王度が上がるからやめい」と思っていた焼き討ちだが、これは重要なイベントだなと思わず肯定してしまった。私も女ボス度が上がってしまったかもしれない。
なんというか、天めがけて上がる火柱を見ると「やった」という達成感がこみ上げてくるし、一旦灰にすることで「ゼロに出来た」と思えるのだ。
一度ゼロに。白紙に。ここから再スタート、と。
「行くぞ、光秀」
ほとんど燃やし尽くされてしまった山寺を見上げる私に、声が掛かる。
これは私の名だ。
いったいどれだけの人が気付くだろう。彼が「ミツ」と呼ばなくなったことに。
「十兵衛」と呼ばれる者がいなくなり、私が、「明智光秀」と呼ばれるようになったことに。
「はい、信長様!」
見れば「はやく来い」と急かすように、その手が差し出される。
夫の瞳は笑んでくれていた。焚き火のような安心する色。けれどこの人の赤は、おそろしい程の人の血を吸って染まった色だ。
殺されたもの、燃やされたもの達、その子や親から見れば、私達は、修羅にしか見えないだろう。
それでも、一人じゃないから、大丈夫。
地獄の業火の中だろうと、私は歩いてゆける。
君と、手を繋いで。
***
やはり、この子ならきっと、あの人を救ってくれる。
私では成せなかった。
私では出来なかった。
私では、駄目だったのだ。
この子が明智光秀になるのなら、きっと。
控えめな足音が、静かな場に響いた。音から、持ち主の緊張が伝わる。
ここへ誰かが来るのは初めてのことだ。どうもてなしたら良いだろう。
ずっと一人だったから。自分の姿すら、名すら、忘れてしまうほどに。
「やあ、いらっしゃい。お疲れ様」
妙に響く自身の足音に驚いたのか、彼はさらに音を立てぬようにして、それでも慎重に歩を進めた。
薄闇の中で、その輪郭がだんだんとくっきり描かれていく。
きっと町娘達が放っておかないだろう憂いのある顔が、その中で目立つ切れ長の瞳が、驚きに大きく開かれていた。
「ここ、は……」
「ここは、何と言ったら良いのかな。私も正確なところはわからない。けれど、狭間なのではないかと思う」
「狭間、ですか」
「そう。君は本当に、ここまで良くあの子を導いてくれたから、私から少しだけボーナスステージをあげようかと思って。初めて呼んでみたのだけど、来てくれるものだね」
「はあ……あなたは、一体」
疑問はたくさんあるだろう。しかし彼は、きちんと一つずつ、最も気になるものから無意識に潰していっている。たいしたものだ。あの帰蝶と長年一緒にいただけはあるというものだ。
「人によっては、私を神とも仏とも、鬼とも悪魔とも呼ぶ。好きに呼んでくれてかまわないけれど、あの娘たちは、私のことを神様と認識しているようだね」
安心させるよう薄く笑んでみたが、余計に彼は訝しんでしまったようだ。
整った形の良い眉根に、ぎゅっと皺が寄る。その癖は止めた方がいいぞ。
どれだけ考えても、無駄なことだ。
ここはどこなのか。
なぜ生を終えたはずの自分が、まだこの世に存在しているのか。
そんなの、私にだってわからないのだから。
「君は、この世界が何で出来ていると思う?」
的を得ない問に、十兵衛と呼ばれていた彼は、さらに眉を顰めて返した。
正解を教えてあげよう。
この世界は、悪役令嬢の願いと、ヒロインの望みと、それから……
***
以上で、第二部完結となります。
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次回更新は、執筆と修正作業をしつつ、年内を予定しております。
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