58 英雄だった祖父
キアラが学校から戻ってくると、チャールズは子供部屋で一人で本を読んでいた。
表題を覗くと『騎士道競技会史』という本だった。
「まあ、珍しい本ね。どうしたの?」
チャールズは既に文字が読めるので、武道だけではなく読書も好きだ。特に冒険者や騎士の出てくる物語の本を好んで読んでいる。しかし、今日読んでいるのは物語ではない。
「執事のマッドさんにお願いして、お祖父様が載っている本を探してもらったんです。お祖父様の事、たくさん書かれています。」
チャールズはニコニコしながら言った。
「お祖父様の事が本に載ってるいるの?」
「はい。お祖父様はこの国のヒーローなんですよ。リュカ様が先日騎士道競技会で全種目制覇という快挙を成し遂げられましたが、それまではお祖父様がずっと、最多優秀者だったんです。しかも、銃剣と弓の最年少記録は未だに誰にも抜かれていないんです。」
チャールズは少し興奮しながらこう言った。エキナセアは目を丸くした。
「今日、お祖父様の書斎に行ったんです。そうしたら、トロフィーや楯がたくさん飾られてました。
それに、お祖父様はおっしゃいませんでしたが、初等学院から大学までずっと首席で卒業されたようです。リッカルド叔父様と同じ賞状と楯が置いてありました。」
「まあ!」
キアラも驚いたように目を丸くした。そして納得した。
学校の授業で指されて返答した時、試験で満点を取った時、運動の時間に一番になった時、必ず先生方はこう言ってキアラを褒めるのだ。
「さすがはベネフィット公爵のお孫様。」
と。そしてたまに若い先生方には、
「叔父上のリッカルド様を見るようです。」
と言われる事もある。しかし、
「さすがはグリーク様のお子様ですね。」
と、言われた試しがない。
父のグリークも成績優秀だったと聞いているし、若くして秘書長官になったのはとても凄い事らしい。しかし、祖父はもっと優秀だったようだ。
そんな祖父が急に引退すると言ったので、お城では大騒ぎらしい。体調が悪いのかと、会う人毎に尋ねられた。それはそうだろう。
孫が学校へ上がるような年になったから引退すると言っているが、祖父はまだ若い。なにせまだ三十代で孫が生まれたのたのだから、キアラと一緒にいたら祖父と孫には絶対見られない。普通に親娘に見えるだろう。
しかも実年齢が若いだけではなく、鍛え上げられた体は贅肉一つなく、濃茶の髪はふさふさ、白髪もしわもない。ナイスミドルというより、むしろまだ青年といった感じで、いわゆる一般的なおじいさんのイメージは全く当てはまっていないのだ。
お城では王様の片腕で、皆に信頼され頼られている存在らしい。それなのに、何故引退? 何故隠居するのか?
ここ数日で、祖父に対して好評価の情報が、次々と耳に入ってきていて、キアラの祖父に対する認識も変わりつつあった。
もっとも、過去に叔母にした事、今の現在の叔母に対する態度は決して許せないと思ってはいるが。
「僕、お祖父様から武道を教わる事になりました。」
と、チャールズが言った。
「まあ、それは良かったわね。」
キアラは素直に喜んだ。騎士道競技会のかつての優勝者に教われるなんてそうそうない事だろう。しかし、
「それに、先生がお戻りになるまで、勉強も教えてくださるそうです。
と続いた言葉にキアラは方眉を上げた。
一体祖父は何を考えているのだろう。今までは一切孫に関わってこなかったのに。裏があるのではないだろうか。油断してはいけない。
と、キアラはもうすっかり懐柔されてしまった弟を見ながら思った。
夕食の席でグリークが父に向かって言った。
「今日、父上がお休みでお城はてんやわんやでしたよ。お休みを取って、何をなさっていたのですか?」
「チャールズやキアラと色々な話をしていたよ。」
「はぁ?」
父親の呑気な答えに息子は、何馬鹿な事をいっているんだと目を上げた。
「いやね、隠居して暇になるのなら孫の世話でもしていろと、リッカルドに言われたものでな。」
「「「えっ?」」」
一斉にみんなの目がリッカルドに向けられた。
「私は別に引退を勧めたわけじゃありませんよ。ただ、父上が引退するとおっしゃるから、それならチャールズの跡取り教育でもしてください、とお願いしただけです。兄上が全くおやりになっていないので。執事やスクール任せでは公爵家としては恥ずかしいでしょう。子弟の教育は当主の義務ですから。」
リッカルドは普段通り平然と答えた。
グリークはムッとした顔で私は忙しいのだと言った。そして自分も父から教育を受けた覚えがないと。
「その通り。私は忙しがって、グリークだけじゃなく、子供達を今まで放りっぱなしだった。だからこれから、その罪滅ぼしをしようかと思っている。その手始めにまず孫の世話をしようかと。」
父の言葉にみんな呆然とした。
「今更何つまらない事を言っているんですか。四国会議の準備もあって大変な時に。」
「ああ、その事なんだが、トールキャッスルとの交渉を今、リュカ殿下とリッカルドが行っているだろう。二人はまだ若いので、補助するようにと陛下に命じられたのだよ。最後の仕事にと。」
「「はっ?」」
息子二人が同時に驚きの声を上げた。
「父上は、通行認定証をとりに行かれなかったではないですか。あれを持っていない者では役に立ちませんよ。」
リッカルドの思っている事を兄のグリークが言ってくれた。しかし父は事も無げにこう言った。
「私は若い頃に銀色のパスをもらっている。きちんと半年毎に更新もしているから問題はない。」
「銀色のパスってなんですか、お祖父様。」
キアラが尋ねた。
「普通は、トールキャッスルを通る度に、赤色の通行認定のパスをもらうのだが、銀色のパスをもらえると、半年間はいちいち認定をうけなくても自由に通行出来るんだよ。そして問題がなければ、半年毎に更新してもらえる。」
「お父様は何色ですか?」
チャールズが父に尋ねた。父は偉い人だから、きっと祖父同様に銀色に違いない、と思った。しかし、父は苦々しそうに赤色だ、と答えた。
「大概の人の通過認可証が赤色なんだよ。しかも、それだって貴族の三分の一くらいしかもらえない。」
と祖父のペルクスが説明をした。
「赤色と銀色のパスを貰う基準はなんなのですか?」
まだ幼いのに、キアラは鋭い質問をすると、祖父は感心した。
「その基準はトールキャッスルのものだから、わからないんだよ。私達とトールキャッスルの価値観は違うからね。」
リッカルドの答えにその場にいた者達はみな驚いた。
「それはどういう事だ。我々が正しいと信じてる事でも、間違いだということもあるって事か? そしてその逆も。」
兄の問いに弟は頷いた。
「そうです。例えば、この国では最近までは医薬品の貿易は禁止されていたでしょう。しかしご存じの通り、フィリアでは以前から貿易をしていました。貿易商は普通にトールキャッスルを通過していたんです。それに、ユーゴ叔父上やカミーユ叔母上、エドモントさんも銀色のカードです。あ、ディルもそうですね。」
「「「・・・・・」」」
「リッカルド叔父様は何色なんですか?」
キアラが尋ねた。
「銀色だよ。それこそ私が何故銀色なのかわからないけどね。」
リッカルドは自虐的に言った。それを周りの者達は違和感を覚えた。彼が大変優秀で真面目で素晴らしい人物だとみなわかっているので。
弟に劣等感を抱いている兄のグリークでさえ、銀色のカードと聞いても当然だろう、と素直に思ったというのに。
しばらく間が空いたあと、チャールズが無邪気にこう尋ねた。
「エキナセアお姉様は何色ですか?」
この子は何を言い出すのか。みんなギョッとした。そして母親が言った。
「お母様も頂けなかったんですよ。あの子が頂けるわけがないでしょう。それに、あの子はブルブレアでしょ。」
お母様とエキナセアお姉様とでは、全く違う。雲泥の差だわ。キアラがそう思った時、叔父が言った。
「エキナセアは金色のカードを貰いましたよ。」
「「「金色?」」」
「永久的な認可通行証ですよ。多分、世界中でも数人しかもらえない。」
リッカルドの説明に大人達は絶句し、子供達は目をキラキラさせた。さすがエキナセアお姉様!
「なんであの子が・・・・・」
公爵夫人が呆然と小さくこう呟くのが、リッカルドの耳に入ってきた。
「父上、皮肉ですね、捨てた娘が、貴方の一番大切だったアーノルドさんと同じ金色のパスだなんて。でも、今更後悔しても遅いですよ。エキナセアはもう貴方の思い通りにはならない。」
「ひっ!」
リッカルドの言葉に悲鳴を上げたのは父親ではなく、母親だった。
一斉に皆が顔を向けると、彼女はブルブルと震えながら夫を見ていた。そしてその夫であるペルクスは冷めた表情で妻を見ていた。
そう言えば、両親が会話をしている姿をここしばらく見た覚えがなかった。いつからだろう。関心がなかったのではっきりしないが。
大恋愛で結ばれたと他所では言われていたが、子供の頃からそれは嘘っぱちだろうと思っていた。確かに表面上は仲が良いように振る舞ってはいたが、それが芝居だという事には自分のみならず、他の兄弟達も気付いていたと思う。二人は価値観があまりにも違いすぎるから。
それがいつからか、芝居さえやめてしまい、ただの単なる同居人という関係になっていた。まるでお互いに、いない者とでも思っているかのような感じ。
それに母は、あんなに派手好きで社交好きだったのに、お気に入りだった姉のナスタリナが嫁いでしまった後ぐらいから、あまり表舞台には出なくなっていた。
姉がほとんど里には顔を見せず、しかも嫁ぎ先にも来ないで欲しいと言われたのが、かなり堪えたらしい。
何故母は怯えた目で父を見ているのだろう? まさか、二人の仲がギクシャクしたのは、エキナセアが関係しているのか?
その時、一昨日アリーチェが言っていた言葉が甦った。父がエキナセアの食物アレルギーを知らなかったという話を。あれは本当だったのだろうか。
ペルクスは妻から息子に顔を向け、今度は優しげな笑みを浮かべて言った。
「リッカルド、明後日の休みに、一緒にエキナセアの元へ様子を見に行こう。あの子は責任感の強い子だから、子供達の事も気にしているだろうからね。」
「えっ?」
邪険にしているはずの父からの思いがけない提案に、リッカルドは珍しく動揺した。そして断ろうと口を開きかけた時、チャールズが言った。
「お祖父様、叔父様、僕達も連れて行って下さい。フィリアのひいおばあ様やユーゴおじ様、カミーユおばさまにお会いしたいです。」
「私からもお願いします。夏休みに帰れなかったので、フィリアの皆様にお会いしたいのです。」
とキアラも言った。帰りたい。そう、二人にとってフィリアの方が本当の帰るべき家なのだ。彼らの両親は複雑な表情をした。
「もちろんいいとも。なあ、リッカルド? それに、あちらで会議の打ち合わせもしてこようじゃないか。」
リッカルドはエキナセアに会わせる顔がないと思いながらも、結局子供達の頼みを断る事は出来なかった。




