22 城址跡公園の幽霊
朝早く起きたエキナセアは、いつものようにお仕着せに着替えて台所へ行った。
そして、自分で作ったサラダとハムエッグ、それにライ麦パン、それにミルクという、簡単だがバランスのとれた朝食を摂った。
本当は気持ちが急いでいて食事どころではなかったが、昨日アリス先輩に言われた言葉が心に残っていて、こんな時こそしっかり栄養を摂らなくては、と思ったのだ。
台所を出る直前に他の使用人達もやって来たので、暫くアリーチェ様の命で留守にすることを伝え、子供達のお世話をお願いした。
深く深く頭を下げるエキナセアに、皆も快く頷いてくれた。
最初の頃は色々あったが、今では仕事仲間とも、そこそこ上手くやっていた。
エキナセアが外に出ると、ジョージが既に待っていてくれた。
「おはようございます、ジョージさん。朝早くありがとうございます。」
「おはよう、ブルブレアさん。夕べはよく眠れた?」
そう聞きながらも、エキナセアが眠れなかった事は、その赤い目を見れば一目瞭然だったが。
「駄目でした。修行が足りませんね。私失敗するかもしれないので、ジョージさん、よろしくお願いします。」
エキナセアが素直にそう言ったので、ジョージはかえってほっとした。
気負ってはいないな。なら大丈夫だろう。
「フィリアからエドモントさん達と一緒に、ノアも来るって連絡があったよ。」
「えっ? ノアさんも来てくれるの? 嬉しいわ。」
エキナセアは、パッと顔を輝かせた。
わかる。俺も嬉しい。
ノアならきっと、何とかあの変人魔法使いの手綱も上手に握ってくれるだろう。何せ変人の扱いには慣れている。
二人はフィリアガーデンの店内に入った。
見た感じはあまり変化はなかったが、カーテンが全て厚みのある物に変わっていた。外から透けて見えないようにだろう。
さすがジョージは細かい所に目が届くわ、とエキナセアは感心した。
はっきりした変化は疑われる恐れがある。
他人からは気付かれずに、しかもプライバシーが守れるように、あちらこちらに工夫がされていた。
店を閉めたらあやしまれる。
そのため、関係者の出入りは裏口にして、そこから直接二階に進めるように仕切りも造られていた。
「こんな短期間に凄いですね、ジョージさん。流石ですわ。」
「カーテンはアメリアのアドバイスだけど。」
ジョージは少し照れながら言った。
成る程、とエキナセアは頷いた。アメリアならではの気遣いだ。
「流石だわ、アメリアさん。」
ジョージとアメリアは恋人同士だ。
『このカップルが居れば、フィリアは安泰ね。』
エキナセア心底思った。
エキナセアはいつものように、お仕着せから普段着に着替えをした。
動きやすいように青に近いグレーのパンツに、長袖の白いシャツを着て、叔母からもらったつばの広い白い帽子を被った。
そして、肩から掛けたポシェットには経口補水飲料の入ったボトルと、リッカルドからもらった塗り薬と飲み薬を入れた。
エキナセアとジョージが店から出ると、リッカルドが準備してくれた馬車が待っていた。
二人はそれに乗り込み、城址跡公園へ向かった。
まだ午前中だというのに、真夏の太陽がギラギラと輝き、城址跡公園内は猛烈な暑さだった。
それでも噴水の周辺を中心に沢山の人が集っていた。
エキナセアとジョージは人混みの中を石碑のある高台の方に向かって急いだ。
するとあちらこちらから
「キャー、キャー」
という女性の悲鳴があがった。
ジョージはエキナセアの手を取り、用心深く辺りを見回した。
そして、叫び声を上げた女性の側まで近寄って声をかけた。
「どうしたんですか? 何があったんですか?」
すると蹲って震えていた、二十代と思われる女性が顔を上げてこう言った。
「幽霊、ううん、悪霊が私の肩に触れたの。」
幽霊、悪霊?
真っ昼間どころかまだ午前中だけど。
二人が首を傾げると、その女性は信じていない事に腹を立てながら叫んだ。
「嘘じゃないわよ。肩を触られて振り向いたら、赤と青の火の玉が浮かんでいたんだから。」
その女性の言葉に、エキナセアとジョージは思わず顔を見合わせた。
そして、それからその女性をよく観察した。
すると、その女性はエキナセアと同じ黒と白のマーブルヘアーだった。もちろん、お洒落で染色したのだろう。
辺りを見渡すと、座り込んでいる女性達は皆、同様に彼女と同じヘアースタイルだった。
これは間違ない。
エキナセアとジョージは確信した。
この幽霊はリアムに違いない。
透明マントで姿を隠し、エキナセアだと思った女性の肩に触れて姿を現しかけたら、振り向いた女性が知らぬ顔だったので、驚いてまた姿を隠したのだろう。
「何故こんなにマーブルヘアーの人が沢山いるの?」
エキナセアが驚いてジョージに尋ねた。
「女子学生に流行っているとは聞いていましたが、まさかこんなに増えているとは。赤とか、青とか、紫とか、黄色とかもいますよ、凄いですね。」
「感心してる場合じゃないわ。」
「でもこれ、ブルブレアさんの影響ですよ。」
「えーっ?」
流行に全く興味がないエキナセアは本当に知らなかった。
目立たぬようにしていたはずなのに、どうしてこうなったのか。
都に戻って来る時、エキナセアは髪の毛をどうするかを悩んだ。
しかし、幼い頃のように染めるのは無理。それが原因でアレルギー症状が出たのだから。
次にウィッグを被る事も一応考えたが、お仕着せの帽子を脱いだり被ったりする時に面倒だと思った。ずれたらそれこそあやしまれる。
そこで地毛で通す事にしたのだ。ダサい自分には似合っているだろうと。
結局これは自己評価が低すぎたエキナセアのミスだった。
彼女はかわいい。
どんなヘアースタイルをしても、どんな服を着ても、彼女の魅力は隠せない事を本人が気付いていないのだ。
とにかく早くリアムに会わなければと、二人は石碑の方に向かって急いだ。
流石のリアムも、きっとパニックになっているはずだ。
石碑が建つ頂上を目指して階段を駆け上り、あと少しで最上階にたどり着く直前、突然、誰かがエキナセアの右肩に触れた。
エキナセアが驚いて後ろを振り返ろうとした時、グラッと頭が揺れた。
いつものだ。予告も無しに唐突にやって来る、いつものあれだ。
『今は駄目、しっかりしなきゃ!』
心の中で叫びながら、エキナセアは弓を描くように背中が反り返り、階段の下段へと崩れて行った。
・・・・・・・・・・
フィリアガーデンへ向かう馬車の中で、ジョージはエキナセアのポシェットの中から薬を取り出した。
すると、それを見ていた赤と青色のオッドアイを持つ、黒マントの男がこう言った。
「僕に任せてもらえれば、直ぐに正気に戻すけど。」
「余計な事はしないでください。これ以上国際問題を増やさないでくださいよ。」
「それは何だ? 何の薬だ?」
「気付け薬ですよ。」
「前に僕が嗅がされたやつか? 大丈夫なのか?」
「これはリッカルド様が作ったお薬ですから安全ですよ。効果は穏やかです。」
「リッカルド殿が作ったのなら安心だな。」
「そうなのか? まあ、エキナの作ったやつよりは安全か。僕の時は、空まで飛び上がったぞ。」
「またそんな大袈裟な事言って。」
「いや、本当だって。お前あの時居なかったじゃないか。」
「助けを呼びに行ってたんですよ。だいたい、お嬢様に薬嗅がされてなかったら、馬に蹴られて死んでましたよ。」
「いや、飛び上がって、また落ちた時頭打ってたら、そっちで死んでたよ。」
「いつもいつもそうやってお嬢様を脅してますよね。今回だって面倒事押し付けて。さっきだってお嬢様がもっと大変な事になってたら、貴方、リッカルド様に抹殺されましたよ。冗談抜きで。」
「脅してる?」
エキナセアを横抱きしている白いフードを被った男が、黒いフードを被った男をキッと睨んだ。
「あーっ。」
ジョージは慌てて両手を大きく振った。
「言葉のあやですから、本気にしないでください。この方、ただの変わり者ですから。」
必死に言い募ったが、後で思い返してゾッとした事は言うまでもない。
次期皇帝の事を、本人の前で変わり者呼びしたのだから。
しかし、一触即発の恐れがあったこの場では、そう言うしかなかった。
「君は昨日、エキナセアと一緒にいたよね。キアラ嬢はディルが大学見学の為に一緒だったと言っていたが。君はディルじゃないよね。」
「ディルならフィリアにいるよ。こっちに来たくて騒いでいたけど。」
「お願いですから、貴方は少し黙っていて下さいませんか。ややこしくなるので。」
ジョージはこんな状況でも勝手気儘な魔法使いを一睨みしてから、質問者の方に顔を向けた。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。私は、ジョージ=ジョルジャと言います。フィリア伯爵家に仕える者で、現在は大学の園芸学部の学生です。」
「エキナセア様は今、ベネフィット公爵家の身分を隠して大学へ通っておられます。ですからおおっぴらに護衛を付ける訳にはいかないので、私が行き帰りをお供させてもらっています。」
「成る程、そう言う事だったのか。ところで、そこにいる者は誰かな? エキナセアとも知り合いみたいだが。」
「えーっと。」
ジョージが一瞬言い淀むと、魔法使いが言った。
「人に名前を聞くなら、まず自分から名乗るべきではないかね。まあ、今回は僕のエキナを助けてくれた恩義もあるので、こちらから名乗ろう。」
「ちょっと待って下さい!」
「僕のエキナだと。」
白いフードの男が立ち上がりかけたので、エキナセアの上半身が持ち上がり、その衝撃でエキナセアが目を開けた。
そして、自分を抱いている男の顔を見上げて、更に瞳を大きい見開いた。
「リュカ様、どうして?」
せっかく目を覚ましたのに、エキナセアはその場でまた気を失った。
ノアが仲間達と共にフィリアガーデンに着いたのは、出発した翌日の午後、二時過ぎ頃だった。
そして店長に通されて入った、二階の部屋の中のメンバーを見て、フィリア組は思わず絶句した。
部屋の真ん中に大きな円卓が置かれ、そこにエキナセア、リッカルド、魔法使いのリアム、ジョージ、そして見知らぬ金髪の美少年が椅子に座っていた。
会った事はないが、その少年がリュカ王子である事はすぐに分かった。
しかし、何故こんなところに。
「ノア、ああ、ノア、良かった・・・やっと来てくれた。」
ノアの顔を見た途端、ジョージは泣き笑いの表情で彼に抱きついた。
「いったい、これはどうしたんだ。何故ここにリュカ王子殿下までいらっしゃるんだ。」
「リアム様がまたやらかしてくれたんだよ。城址跡公園で幽霊騒ぎなんか起こしてくれて、もう大変だったんだよ。しかも階段からエキナセア様を突き落とすし、たまたま居合わせたリュカ殿下が抱き留めてくださらなかったら、どうなってたことか、俺、本当に心臓が止まるかと思ったよ。」
「「突き落としただと。」」
リッカルドとリュカ王子が腰の剣に手をやって立ち上がりかけた。
エキナセアは慌てて全身で否定した。
「違います。いつもの眩暈です。突然の眩暈でふらついたんです。」
「僕が、大事なエキナを突き落とす訳ないだろう。ただ肩に触れただけだ。」
「だから、後ろから人を驚かすのは止めて下さいと、いつも言ってるじゃないですか!」
こうして部屋の中はまた騒然となったのだった。




