第三十四話 祈りの先で
——時は遡りリヴァージュ地方
リヴァージュ地方の空を、巨大な鳥獣が静かに滑空していた。
その背には少女と老人が乗っていた。
「見えた…。あそこにお願い。」
少女が指を差すと鳥獣は羽ばたきを弱め、降下していく。
「ありがとう…。」
「ここは…?」
「…ここは涙が落ちた場所…。」
鳥獣が降り立ったのはグレイスラックの湖畔だった。
少女は桟橋へと歩いて行く。
老人は首を傾げ、鳥獣は毛繕いをする。
(ワシが感じ取れなかった物がこんな所に…。)
少女は歩きながらそよ風に揺れる水面を見ていた。
そして桟橋の先端に立ち、目を瞑った。
(ここ…感じる……。)
再び目を開け、少女の視線は水底へ吸い寄せられる。
(見えた…けど…ボヤけてる。)
水面に映る月が揺れ、蒼い影がゆらりと浮かび上がる。
少女は目を凝らす。
「…人……!」
少女は屈み込み、水面に手を伸ばした。
(助けて…。)
目を瞑り心の中で祈る。
少しの間——。
「あ…あれは何じゃ…!」
桟橋の先、水面が激しく波立つのを見つけ、老人は声を上げる。
「大丈夫よ。ここの主だから…。」
少女は老人に振り返りそう言うと、激しかった水面はシーンと静まり返る。
そして、少女の足元の水面が僅かに波打つと、水底から大きな影が現れる。
ゆっくり大きくなっていく影。
やがて、水面から人をも超える大きな大蛇の頭が浮かんできた。
「この人…。」
大蛇の頭には男が乗っていた。
大蛇はその男を桟橋へそっと降ろし、口の中の蒼く輝く宝石を差し出した。
「ありがとう。」
少女は宝石を受け取り、大蛇を撫でる。
大蛇は身体を揺らし、振り返る。
そして水に溶けるように静かに消えていった。
「その男は…?」
「分からない…。けど怪我を負ってるみたい。」
(この人…宝石に乗るように沈んでいた…。宝石の力で死んではいないみたいね…。)
桟橋に仰向けになる男の前に座り、少女は手を組んだ。
(…傷を癒して……。)
心の中で祈るように唱えると、少女の手は白い光に包まれる。
そして、男の胸に手を当てる——。
「ゴホッゴホッ…。」
男は口から水を吐き、片目を開けた。
ゆっくり上体を起こし辺りを見回す。
そして、視線を自身の胸元に移す。
「…え…治ってる…。」
「ハァハァ…。」
目の前に座る少女は息を荒くしていた。
(アイ…ベルさん?…いや違う。明らかに子供だ…。髪の色も目の色も全然違う…。)
目を丸くする男に少女は微笑む。
だが、突然少女は立ち上がり、山の奥の空を見つめた。
次の瞬間——。
遠くの空に、月光を押し退けるほどの白い光が一瞬現れる。
(…この気配…ダメ…いなくならないで……。)
少女の瞳には涙が溜まっていた。
(今の光の方向は…ダイアボ……?)
男は心の中で呟く。
「今すぐ…!!」
少女は汗を滲ませ、険しい表情を浮かべる。
涙を拭い駆け出した。
「ま、待ってくれ!僕も連れてってくれ!!」
「でも…乗れないわ…!」
すると、湖畔の元に一匹の馬が現れた。
馬は鳴き、少女を呼んでいた。
「君は…。」
男は思い出す。
(馬小屋にいた…アイベルさんの馬だ。たしか…名前はエヴァル……。)
エヴァルは少女の前まで来ると屈む。
「私を……?この白い毛は…。」
少女はエヴァルの身体に触れる。
(この子を癒したのね…。)
「主人の所に行こう!貴方はあの子の背に!」
少女はエヴァルに飛び乗り、跨った。
老人と男は急いで鳥獣の背に乗った。
そして、鳥獣は大きく翼を広げ、上空へと飛び立った。
「付いてきて!」
(お願い…走って!)
エヴァルは少女の想いを受け取ったかのように、風を切り裂いて駆け出した——。
快速を飛ばすエヴァルはあっという間に街道へと出た。
ダイアボに向かい、土煙を上げながら一直線に走る。
「お主…よく生きておったな。名はなんと言う?」
老人が男に話し掛ける。
「僕はディルケです。自分でも死んだと思いました。でも…水の底まで沈んだ時…背中に暖かさを感じたんです。そこからは記憶がありませんが…。」
(でも…生きてた…!アジル、ごめんね…。)
「ほう…。不思議じゃのう。」
「そ、それより…!鳥獣に乗るなんて…夢を見ているみたいです!こんな大きな鳥獣を見るのも…初めてなのに!」
ディルケは必死に鳥獣の体毛をギュッと掴んでいた。
「そうじゃのう。ワシも初めてじゃ。」
「……?」
ディルケは目覚めてから、衝撃的な出来事の連続で混乱し言葉を失う。
「あ、あの子は…あなた達は一体何者なんですか?」
「ワシはただの年老いた商人じゃ……。あの子は……」
(……ハッ——。気配が…薄れていってる…。もうすぐなのに!)
手綱を持つ少女の手に力が入る。
エヴァルは少女の様子を感じ取り、鳴き声を上げ更に速度を上げる。
「待って…!いなくならないで……!!」
(会いに行かなきゃ…私は……。)
呼吸が乱れ、胸に手を当てた。
視界の端がボヤける。
少女は手綱を離し、手を祈るように組む。
目を瞑ると、涙が頬を伝った。
(絶対死なせはしない……!!お願いだから…!)
再び目を開けると手を白い光が包み、激しく発光した——。
——王の間
アイベルが倒れた瞬間、フィオルの世界は音を失った。
ただ、胸の奥で何かが崩れる音だけが響いていた。
「アイベル…!」
その叫びは、祈りであり、懺悔であり、アイベルを強く想う愛そのものだった。
(待って…!いなくならないで……!!)
アイベルの頭の中にフィオルの声と、聞き覚えのある声が響く。
(この声は……宴の時に聞いた…子供の声……。)
フィオルは何度も呼び掛けた。
だが、アイベルは未だに目を瞑ったまま動かない。
(暖かい……これは…?私の力じゃない……けど…。)
剣が貫いた脇腹に暖かさを感じる。
「お、おい…フィオル…これは何だ?」
デュールはアイベルの脇腹に微かに煌めく光を見つける。
「アイベル!」
フィオルの呼び掛けに呼応するかのように、その光は瞬いた。
次の瞬間——。
一回瞬きするように光は激しく煌めいた。
次第に脇腹を覆うようにゆっくり広がっていく。
「…あ…こ…これ…は?」
フィオルは涙を拭い、目の前の光景に二人は固まる。
光が弾け、粒子となって舞い上がる。
そして——。
目を瞑るアイベルの目がピクリと動き、ゆっくりと目を開ける。
(脇腹から痛みが消えた…。今のは……。)
アイベルは心の中で呟き、脇腹に手を当てた。
「アイベル……!!ごめん……ごめん……。」
(生きてる……生きてる……!)
フィオルは覆い被さるようにアイベルを抱き締める。
力が強く、アイベルは片目を瞑る。
アイベルの温もりを感じた瞬間、フィオルの胸に留め込まれていた絶望が、一気に涙となって溢れた。
アイベルはフィオルを包むように手を回す。
そして涙を拭うデュールに向かい静かに微笑む。
デュールは脚の力が抜け、その場で胡座になる。
アイベルは静かに上体を起こしたが、フィオルは俯いたまま動けずにいた。
アイベルの脇腹から貫通してきた剣が、自分の顔の目の前で止まった光景を思い出していた。
「フィオル…次は私が助けるって言ったでしょ?大丈夫だから…。」
俯くフィオルの袖をそっと掴んだ。
「良かった…。」
デュールは大きく息を吐きながら言った。
「アイベルさん……!!」
三人の後ろから声が掛かる。
振り返ったフィオルは大きく目を見開き固まる。
「エディ…ウス……。無事だったのか!?…怪我は!?」
「大丈夫ですよ…!!」
エディウスは笑顔で返す。
続けて檻の部屋からはユヌスを肩に担ぐアルド、アジルが駆け寄る。
「エディウス……良かった……。」
アジルは涙を浮かべていた。
「アイベルさん…。私の怪我も…治りました。ありがとうございました。」
アイベルは優しく微笑み返す。
「皆さん…!!」
王の間の扉から声が上がる。
扉の前にはコランがいた。
「まさか…肩の人って…。」
ユヌスを見つけ空いた口のまま身体を震わせる。
コランはユヌスを担ぐアルドに向かう。
「彼は…」
「ユヌスさん……!!生きててくれた…。」
コランの目からは大粒の涙が溢れる。
王の間に集まった一行。
檻の部屋から一行を覗くメイド。
先に見えたその光景が希望に照らされ輝いて見え、微笑んでいた。
(この人達がいれば…この国は変われるかもしれない…。)
メイドの視界が涙にボヤける。
「コラン…。今癒すから待ってて…。」
アルドはユヌスを床に降ろす。
アイベルはすぐにユヌスの前へ屈み、手を組む。
白い光が手に纏い、ユヌスの胸の前に手を当てる。
(弱っていくレリッタの人達を助けようと…この国へ一人で…。)
コランは祈るように手を組む。
(たった一人、僕達を助ける為に…ユヌスさんはここへ来た…。目を開けてくれ…!)
手から光が消える。
全員が息を呑み、静寂が訪れる。
そして——。
ユヌスの目がゆっくりと開いた。
「…あ…。俺は…。」
「ユヌスさん!」
視界に入るコランの泣き顔。
「ま…まさか…。コラン…なのか…?」
「はい…。そうです…。コランです!!」
((生きていてくれた——。))
二人の言葉が重なる。
「君達がソウルガーディアンズか…。本当に…助けに来てくれて…ありがとう…。」
瞳から溢れる涙。
(また涙を流す事が出来る…。俺の涙は枯れてなかったのか…。)
八年もの間、囚われていたユヌスの感情が解放される。
ユヌスは立ち上がり、コランと抱擁を交わした。
(希望だわ……。)
メイドは一行を見つめ心の中で呟いた。
ミシッ——。
軋んだ音——頭上から小石が落ちてくる。
一行は天井を見上げる。
「崩れる…!」
「急いでここを出るぞ!コラン、アイベルが必ず癒す!」
コランは大きく頷く。
「こっちに外へ出れる近道があります…!!」
メイドは涙を拭い、声を上げた。
一行は振り返るとメイドは手を挙げた。
「急いで!」
そしてメイドを追うように一行は王の間を出ていった。
地面が大きく揺れる。
ゴゴゴ…ッ——。
天井が崩れ落ちる音が響いた。
迷路のような道が続き、二つの扉の前で止まる。
「建物の裏へ…!」
アイベルは豪邸の裏に在った黒い幹を思い出しメイドに声を掛けた。
「わかりました!」
メイドは返し、豪邸の裏へ続く扉を開けた。
——暗い森の中
ダイアボを離れ森を歩くアイザム。
轟音が響き、オルコの豪邸に振り返る。
(崩れたか……。まさか傷付きながら俺を癒すとはな…。また…邪魔された…。)
心願によって治された腕をギュッと掴む。
「また会おう。」
アイザムは森の奥へと消えて行った——。
——豪邸裏
扉を開け外に出た瞬間——。
豪邸の上層部、王の間が崩れた。
「まだだ!走れー!」
デュールは叫ぶ。
一行の頭上から瓦礫が次々と落ちてくる。
間一髪で避けるが土煙が一行を包んだ。
「皆…無事か…?」
フィオルが声を上げるとそれぞれ声を出す。
土煙が晴れ、視線を上げる。
「これ…は…。」
目の前に在る黒い幹。
「もしかしたらラヴィエルだった物かもしれない…。」
アイベルは黒い幹を見つめ言う。
黒い幹から見える黒く歪んだ気。
ゆらゆらと揺れ、邪悪な気を放出しているように見える。
「オルコ王はあの幹の一部になろうとしてた…。でも…」
「あの強い光で止めたんだね…。」
「ええ。私が鎮める…。」
手を組むとアイベルの全身を白い光が包む。
「す、凄い…。」
フィオルは圧倒され口を開ける。
(この邪悪な気を…。)
アイベルの放った光が黒い幹へ向かって流れ込む。
次の瞬間——。
光は更に強く発光し、一行は眩しさに目を瞑る。
静まり返る一帯。
一行は再び目を開く。
ゆらゆらと揺れていた黒い気が一瞬だけ鎮まる。
「消えた……?」
コランが声を漏らす。
だが——。
黒い幹の奥から再び濃い闇が溢れ出した。
「そんな……。」
(ダメ…。どうすれば…。)
アイベルは拳を握り締める。
——豪邸の先の森
息を荒らげるエヴァルが鳴いた。
「うん…!感じる…!あそこね!」
エヴァルに跨る少女は森の先に見えた光を見つけていた。
「あそこよ…!!」
上空から追う鳥獣に乗る二人に声を掛ける。
「凄い光だった…。しかし…何だろう…あれは…。」
ディルケは目の前に見えた黒い幹に声を震わせる。
「アイベル…。」
フィオルは不安そうにアイベルの背中に声を掛ける。
「一瞬だけだった…。鎮められない……。」
アイベルは俯き、震える手で服を強く掴んだ。
「……!」
突然アイベルは森を見つめた。
「森から…空からも…何か来るわ…!!」
その言葉に一斉に武器を構える一行。
森の奥に馬のような影を見つけ、そして上空に大きな鳥獣の姿を捉える。
アイベルは目を凝らす。
「エヴァル…!!」
「え…?」
「でも…誰か乗ってる……。」
エヴァルはアイベルを見つけ、鳴いていた。
上空から風が吹き付け、一行の足元に大きな影を作る。
一行は空を見上げ、武器を強く握る。
目の前に鳥獣が降り立ち、二つの顔が陰から現れる。
「ディルケさん!!」
アジルは大きく声を上げ駆け寄る。
「何で…一人で背負ったのよ……。」
ディルケの胸に飛び込み、アジルは声を上げて涙を流す。
「でも…君達は倒してくれただろう?良かったよ。」
「はい…。でも何故助かったん…ですか…?」
涙を拭いながらアジルは言った。
「あの子だよ…。」
ディルケはエヴァルに跨る少女に指を指した。
エヴァルはアイベルの目の前で止まり、少女は地面に降り立った。
少女はアイベルをまっすぐ見つめていた。
その瞳に涙が浮かぶ。
(どういう……ことだ?)
フィオルは少女の姿に時が止まったかのように固まる。
集まる誰もが同じ思いをしていた。
そして——。
「会いに来たよ…。お姉ちゃん——。」




