表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

第一話:暗がりの底で、今日も私は息をつく

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 何も感じない。

 何も見たくない。

 何も聞きたくない。

 何も感じたくない。

 ただ虚無でありたい。ぽっかりと穴の開いたような、空虚な存在に。私は此処に居る、ただそれだけの感覚。その感覚だけで良い。あとは何も要らない。私は私。それだけ。

 先ほどからうるさい程に雑音がしている。戸をたたく音、壁に石を投げつける音、下衆な人間たちの罵声。うるさい、私本当にうるさい。

 何も、もう何も私の中に入って来ないで。さもないと、私は壊れてしまう。しかし、私が壊れてしまっても誰も気にしてはくれないのだろう。今日も、そしてこれからも未来永劫そのそうなのだろうと思う。だからこそ、私はただ虚無でありたい。

 ここはとてもうるさい。

 とても、

 とても。

 嫌気がさして、家の更に奥に籠もる。

 居間の西側の襖を開ける。真っ直ぐ伸びる廊下。突き当たって、二方に分かれるうち右の廊下を進むと、正面に小さな木戸が見える。

 三畳ほどの物置部屋。窓はなく、湿った、淀んだ空気が、肺いっぱいに広がる。ここはとても、落ち着く。何も聞こえない。この独房のような感覚が、今はとても心地よい。暗がりの底で、今日も私は息をつく。何となく、私は明日もここに来る、来てしまう、そんな気がする。本当に、何の根拠も無いのだが。

 闇と一体になれる気がする。いっそのこと、私の身体、このまま闇の中に溶けてしまえばいいのに。溶けて、いっさいの感覚がなくなってしまえばいい。

『それは死ぬということか』

 闇が私に問う。

 違う。私は死を望んでいるわけではない。

『いっさいの感覚を失うことと死ぬこと、どこが違う』

 違う。私が望むのは無。虚無なのだ。不安や恐怖、悲しみに捕らわれることのない無出会いの存在。それが、ただそれだけが欲しい。

『何も感じることをしたくは無いとお前は言う。しかし、何も感じることが無いのなら、それは人間と呼べはしない。ただの抜け殻にしかすぎない』

 違う、違う。そうじゃないんだ。

『この世に在ると言うことは、何かを感じると言うことだろう。何かを感じてこそ、生きていると言えるのではないのか』

 違う…

 闇は私を威圧する。とても、とても。そして問う。

『お前の言う虚無とは何なのだ』

 私が望むのは無。何にも捕らわれることのない空虚な存在、虚無。

『それは死ぬと言うことだろう』

 違う。違う。そうじゃないんだ。

『矛盾している』

 幾度なく、無限に繰り返される問い、問い、問い。私はこの生涯の内に、この問いの答えを見いだせるのだろうか。

 私は虚無を望む。しかし、その“虚無”とは何なのだろう。

 死ぬのは嫌だ。冷たい抜け殻になって、炎に焼かれて、灰になって…。その灰ですら、引き取ってくれる者のいない私は、どこか知らない土地に風に吹かれて飛んでいって。私が生きていた証などどこにも残らずに…

 この家も、そのうち焼かれるのだろう。イカレタ人間たちに、灰にされて。

 私たちが何をしたのだろう。私たち一族が、何を?

“集団社会は、いつでも異物を排除する”

 母さんの口癖。私たちは異物なのだろうか。本当に?本当に?

 こんなチカラ、望んでいたわけじゃないのに。阻害されるだけで、何の役にも立たない。

 生きることが、生きているという事実が、こんなにも苦しい。

 チカラのせいで、どんなにあがいても光の下を歩くことは私には許されない。母がそうであったように。

 どんなにもがいても、どんなにあがいても、私には闇しかない。見えない。何も聞こえない。楽しそうな同年の少女たちの話し声なんて、聞こえない。聞こえない。

 この独房のような空間が、不意に忌々しく思えた。私を捕らえる、この空間。 私は小さな木戸を力一杯開け放ち、廊下へ踏み出した。相変わらず外からは耳障りな雑音が絶え間なく響いてくる。

 やめて…やめてくれ…やめろ!!

 私は実体のない、何かもやもやとした、どす黒い感情にただ突き動かされて、気がついたときには玄関の戸を開けはなっていた。目の前にあったのは、呆然と、しかしはっきりと恐怖の色が浮かんだ中年の男たちのカオ。その手にあるのは、つい先ほどまで我が家に投げつけられていた小石。響いていた罵声は、水を打ったようにやみ、辺りには張りつめた緊張だけがあった。

 私は自分自身が作り出した状況が、目の前の状況を、上手く飲み込むことができず、ただ呆然としていた。

「なっ…何をする気だ…俺たちに…何を…」

 小柄な、鼠に似た男が、恐怖で目を見開きながら、私に言った。

 私は何もする気はないし、出来ない。この人は何を言っているのだろう。困惑を伝えようとする。けれど、

「出て行け!!」

「バケモノがっ」

 小柄な男の一言が、緊張の糸を切ったのだ。

 ぶつけられる罵声、罵声、罵声。

 やめろ!やめてくれ!!

 私の足元には、先程男たちが投げつけていた小石が散乱していた。私はほとんど無意識にそれを拾った。指先から硬く、丸っこい感触が離れる。

 小柄な男が倒れた。

「私がそんなに怖いか?」

──私の前からは、誰もいなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ