03
暖かい毛布、ふかふかのベッド。
眠りから覚醒しても目は開けずに、あたしは自分を包み込むぬくもりをかみ締めるようにじっくりと味わう。
あたしと父さんが住んでいる風通しがよすぎる安アパートの、中綿がすっかりつぶれてしまったぺしゃんこの布団の寝心地と比べると、まるで天国みたいな快適さだ。
……!……!
近くに公園があるのか、小学生くらいの子供たちの遊んでいるような声が聞こえる。
朝か…。
四肢に力を入れて起き上がろうとする。でもすぐに、そんな必要のないことを思い出して、あたしはその力を抜いた。
今は冬休みだ。早起きして弁当を作る必要も、学校に行く必要だってない。朝だからって、起きなきゃいけない道理だってないんだ。
もう冬休みに入って二週間くらいたっているんだ。いい加減こんな風な贅沢な時間の過ごし方に慣れるべきだろう。習慣というのか、一度体に染み付いてしまったリズムは、そう簡単には変えることはできないようだ。
あたしはまだ目を開けない。
真っ暗な空間に、ぼんやりとイメージが浮かんでくる。
父さん、母さん、姉さん。
……今はいいだろう。どうせ後で考えなきゃいけないんだ。今だけは、家族にまつわるあれこれを考えたくない。
あたしを置いて、仕事に行ってしまった父さん。そのことで混乱してしまったあたしは、久しぶりに会った母さんと姉さんにひどいところを見せてしまった。あたしのことを待っていてくれたのに、結局あたしは母さんの実家には帰らなかったんだ。本当に、ひどい娘。
母さんたちに見放されてもおかしくない。父さんも、あたしのことを邪魔に思っているようだし…。あたしには、もうどこにも居場所なんかないのかも。
目を瞑っていると、どんどん気が滅入ってくる。本当は、さっさと起きてしまえばいいんだ。暗闇を見ていると、変な考えがどんどん浮かんできてしまうんだから…。
でも、あたしはまだ目を開けない。
……というか、開けたくないんだ。
だって、絶対『いる』んだろう…。このところ、もう毎日のことなんだよ。
いや、やっぱりいるよ。だってなんか息かかってるもん…。なんか、顔にあったかい風かかってくるもん…。
いやだよ。開けたくないよ。起きたくないよ。
それでもいつまでも寝ているわけにはいかない。あたしは覚悟を決めて、そうっと目を開けた。
「おうわぁーっ!」
目を開けたとき、やっぱり彼女が目の前にいた。
思わず叫び声を上げてベッドの端に逃げるあたし。さっきまであたしの寝顔をずっと見ていたらしい彼女は、あたしが起きたのを確認してにっこり笑った。
「おはよ…かなたん」
「み、み、澪湖!?だ、だからそれ!もうやめてくれって言っただろう!?」
「それぇ…?それってぇ…?」
あたしが眠っていた二段ベッドの下の段の淵に手をかけて、可愛らしく首をかしげる澪湖。あたしは恐怖で震えながら、無理矢理引きつり笑顔を作った。
「だ、だからね。はは……。朝起きて、いきなり目の前に人の顔があったらびっくりするからさ……。毎日、あたしが寝ているところをのぞき込むのやめてくれよ。な?お願いだから…」
「だってぇ、かなたんの寝顔、すっごいかわいんだもん……。だから、ずっと見てたかったんだもん…」
『あんなこと』があったクリスマスの日から、あたしは澪湖の家にお世話になっていた。
あたしはあの日どうしても、母さんや姉さんの家に行きたくなかった。行ったらきっと父さんのことを悪く言われるのを聞いてしまうから。きっといやな気分になってしまいそうだったから。…たとえそれが、あたしのことを考えてくれているから出る言葉だ、ってわかっていても。
それであたしは、あの後澪湖を車で迎えにきた澪湖のお母さんに、しばらく泊めてほしいと頼んでしまったんだ。…逃げてしまったんだ。
眠るところも、パジャマも、食器も。澪湖の家には何でも二人分の用意がしてあった。澪湖とよお子さんと、二人分の用意。
だから何も言わずいきなり泊まりにきたのに、あたしが澪湖の家で不自由することは何もなかった。澪湖の両親も全然慌てたりはしなくて、本当にあたしを歓迎してくれて……。
だから、あたしが今かかえている問題は一個だけだ。
その問題というのは、あの夜から、二人きりになると澪湖の様子がちょっとおかしくなってしまって…。
「ねぇ、かなたん…」
「い、いや…かなた、で頼む」
「かなたん…私たち……恋人だよね…?」
「そ、その話、今じゃなきゃだめかな?」
「これって、もう同棲だよね……?」
「い、いやあ…、そ、それは、どうなのかなあ」
「ねぇ……」うっとりとあたしを見つめる。「……キス、しよっか?」
「なぜっ!?」
驚いて思いっきり飛び上がったせいで、ベッド二段目の底板に頭をぶつけるあたし。澪湖はそれをクスッ、と笑いながら言った。
「だってぇ…、したくなっちゃったんだもんっ」
――あーあ。カナが、『あんなこと』するから…――
目をつむって、ゆっくりと顔を近づけてくる澪湖。そのときのあたしは、顔を真っ青にしながら、どうかこれが悪夢であれ、と願うことしかできなかった。
「二人ともぉー?ご飯できたよぉー?食べないのー?」
「あっ、うそうそっ!?食べるしっ!すっごい食べるしっ!すぐ行くーっ!」
まさに間一髪。
ちょうどそのとき、階下から届いたあたしたちに朝食の準備ができたことを伝える澪湖のお母さんの声。澪湖はそれを聞くなりすぐに階段を下りて行ってしまって、おかげで、あたしはその危機からなんとか脱することができたのだった。
それから十分後。ダイニングにある四人掛けの木目調のテーブルを囲んで、あたしたちは朝食をとっていた。
「お母さんっ!おかわり!つゆだくっ、肉だくっ、米だくっで!」
茶碗に大盛りだったご飯を口の中にかきこんで、お母さんに突き出す澪湖。朝からがっつり牛丼なのは、この家にとっては普通のことなので、もうあたしもすっかり慣れてしまっていた。
「かなたちゃんはおかわりどうするぅ?」
「あ、もう大丈夫ですっ!ありがとうございます!」
この家にお邪魔するようになってから、もう結構な日がたつ。あたしはいつの間にか、澪湖の両親に自分の家族みたいな居心地の良さを感じるようになっていたんだ。
「音遠ちゃんといい、澪湖ちゃんの友達の女の子ってぇ、結構小食なのねぇ…?」
澪湖のお母さん、美船さんは、細かいことを気にしないとても気持ちのいい人だ。プチ家出気味のめんどくさいあたしを、文句も言わずにすんなり受け入れてくれるのもそうだし、何より『澪湖の母親』っていう大役を毎日笑顔でやれているってことだけで、もう十分尊敬に値するだろう。
「かなたちゃん細いんだから、ダイエットとかしなくてもいいのよぉ?」
そんなことを言って、あたしに際限なくおかわりを食べさせようとすることだけは、嫌ってわけではないんだけど、ちょっと見直して欲しいなと思ったりしていたけれど。
「…澪湖、御飯のときはテレビ消しなさい…」
澪湖のお父さん、港さんも、澪湖のエキセントリックさからは想像できないけど普通に、いい人だ。あまりしゃべる方ではないけれど、たまに口にする言葉には威厳と風格があって、いかにも父親。ザ・父性ってイメージ。うちのいつも弱気なダメ父さんとは全然違ってて、とても頼りがいがある、一家の大黒柱って感じだった。
「おい、聞いてるのか?」
完全に隣のリビングにある大きな液晶テレビに釘付けになっている澪湖は、そんなお父さんの言葉を完全に無視。一応ご飯を食べる手は止めないけれど、体は完全にテレビの方を向いていて、行儀も何もあったもんじゃない。まあ、今テレビに流れているのは澪湖が大のお気に入りらしいアニメだったから、それはしょうがないのかもしれないけど。
かわいらしい恰好に変身した女の子たちが巨大なモンスターと戦っている映像に合わせて、澪湖は「いけっ」、「よしっ」、「あ、今のエロいっ!」とか言いながら、全身を揺らしている。時々勢い余った彼女がテーブルを蹴るので、食器が倒れないように、美船さんとあたしで左右から彼女を押さえつけていなければいけないくらいだった。
もう我慢ならないという風に、港さんは立ち上がった。
「おいっ!澪湖!」
「うるさいなぁー。もうちょっとでCMだから待ってって、さっきから言ってんじゃん?」いや、言ってないぞ澪湖。「てかさぁ、いつもそんなこと言わないのに、最近お父さん無駄に厳しくない?かなたの前だからって、カッコつけようとしないでくれるー?」
「…う…」
おずおずと、また席につく港さん。
言い負かされちゃった…。一家の大黒柱でも、一人娘のわがままには勝てないのか…。
「あ、かなた!OP始まるよ!?いくよ?いくよ?……せーのっ、『二人でセマフォア!Mux Heart!』」
勝ち誇ったように、小さな女の子向けのそのアニメのテーマソングを、テレビと一緒に歌う澪湖。彼女のそんな姿は、さっきのおかしな様子とは大違いで、すこぶる子供っぽくて、かわいらしかった。




