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初めての想い

天媛は、ただただ十六夜の訪れを待って月の宮に居た。

時々蒼が気を遣って話に来てくれるのだが、十六夜は一向に降りては来ない。

何もなく過ぎて行く毎日に、天媛は胸の痛みが増すように思えた。

それでも、強引に出ては十六夜は自分を疎んじてしまう。

命を繋いだ時にいろいろと知ったが、十六夜はあれこれ指示していた天媛を、面倒で逃げ出したいと思っていたようだ。

こちらとしたら十六夜のためだと思っていたことも、十六夜にとってはただ疎ましく、面倒でしかなかったらしい。

天媛は、後悔していた。十六夜が気ままで縛られるのを嫌がるのは知っていたはずなのに、あのように四六時中側でやいのやいの言っていては、それはそうだろうと思えたのだ。

だが、あの時の自分は、十六夜が自分をどう思おうと構わなかった。

何も気遣っていなかった自分が、腹立たしかった。

あまりに長く姿も見ないので、堪らず月へと話し掛けてみても、十六夜は気のない返事しか返さなかった。

それとなく維月のどこが慕わしかったのかと聞いてみるものの、維月は妹でだから大事なのだとしか答えない。

命を繋いだといっても、知らない感情のことまで、天媛には理解出来なかった。

十六夜が前世で維月を愛していたのは確かで、女性として愛していた時があったにも関わらず、その時もどうして愛していたかという点に関しては曖昧だ。

十六夜の記憶でも、気が付けば愛していたという程度で、それがなぜかなど、十六夜自身にも分かっていないようだった。

ただ長い年月共に来たというだけでは、説明がつかない。

十六夜が世話した、他の月の女にはそんなことはなかったからだ。

ただ維月の真似をするしかないのか…。

天媛は、思った。維月のことは、その初めから知っている。まだ出海として生きていた時から、天媛の記憶にははっきりとあった。

なので、完璧に真似をすることは出来たが、その維月を、今の十六夜は女性として愛してはいないらしい。

何が十六夜の心の琴線に触れて、十六夜に愛してもらえるのか全く分からなかった。

天媛が、そんなことを考えながら、今日も庭を散策しながら空を見上げてため息をついていると、そこへ北の対に住んでいる、ヴェネジクトと高瑞が歩いて来た。

二人は、松を見上げて何やら話し合っているようだ。

…思えばここは、北の庭だった。

天媛は思って、ここで身を翻すのも神の中では体裁が悪かろうと、じっとそこに立って二人がこちらに気付くのを待った。

すると二人は、ハッとしたようにこちらを見て、そして慌てて頭を下げた。

かつては王であった二人だが、ここでは何の地位もない。

月の眷族である天媛は、月の宮では王族とみなされるので、居候である二人よりは地位が高いことになる。

天媛は、地位というのが今一分かってはいなかったのだが、神の中ではそんなもの、と会釈を返した。

そして、二人にしずしずと歩み寄り、声を掛けた。

「美しい庭でありますこと。こちらはお二人が作られましたの?」

目が覚めるほどに美しい姿の天媛に話し掛けられて、二人は目に見えて動揺したが、高瑞が答えた。

「は。今は松を直そうかと話し合っておりました次第。天媛様にはこちらをお楽しみでしたか。」

天媛は、頷いた。

「ええ。退屈でふらりと参った庭ですけど、思いもかけず美しいので和みましたわ。いつもは南ばかりでありましたので、目新しくて楽しめまする。」

ヴェネジクトが、頷いた。

「それは良かったことよ。岩などにも苔をと考えておりまして…あちらの方角には池も有り更に見甲斐がございましょうぞ。」

天媛は、微笑んだ。

「ならば、そちらも見て参ります。」と、松を見上げた。「…ところで松でありますが、神達は空からも庭を楽しむものでございましょう。こちらを少し、剪定すると空から見ても美しいのではないかと。降りてみようと思わせるのに、有効かと思いますわ。」

二人は、ハッとした。

確かに、月の宮を訪れた神は上空から月の宮全体を見る。その時に、目に付いた庭が美しければ、そこへ降りて見てみようと思うものなのだ。

庭は歩くもの、という先入観があるので、どうしても歩き回ってその景観ばかりに固執しがちだが、やはり庭を造るからにはたくさんの神に訪れて欲しいもの。

そういった事も加味して考えた方が良いのは確かなのだ。

「…参考になり申す。」高瑞が、言った。「確かにそのように。言われてみれば龍の宮などでも、そうやって庭を造るのだと聞いておりますな。空からも見て決めましょうほどに。」

天媛は、扇を美しく上げて微笑むと頷いた。

「楽しみにしておりますわ。」

そうして、天媛はそこを離れて奥の池の方へと歩いて行った。

高瑞は、それを共に見送るヴェネジクトに言った。

「誠に、あのかたは庭にも造詣がおありなのだな。普通、女神はあまりそういった事には言及せぬのにの。庭を造るのは、その庭の主という考えであるから。」

ヴェネジクトは、頷く。

「我もこちらへ来て王が庭の松の枝ぶりにまで指示をすると聞いて驚いたものだったが、こちらではそうであるものな。あちらでは、庭師に任せきりで大体のテーマだけを指示するのよ。まして、女神は花ぐらいにしか興味も無うて。だが、やってみたら面白いよの。ここは腕の見せ所であるぞ、高瑞。主が入ってこの庭が良うなったと言われたらしめたものぞ。将維殿も自分が居た時より力が入っておると喜んでおったしな。」

高瑞は、頷いた。

「我がと申すより主と将維殿と共に造った庭であるわ。我が単独ではここまでに出来なんだしの。将維殿がしばらく滞在しておった間、大変に深い知識でいろいろ教えてもらえた。王であった時にはここまで庭をじっくり見ることもなかったし…こういうのが我の性に合っておったように思う。主は時々訓練場にも行っておるが、我はそんな気にもなれぬしの。」

ヴェネジクトは、クックと笑って浮き上がった。

「我は体が鈍るので動きたいだけぞ。それより、天媛が申しておった通り上空から見てみよう。盛りたい場所があったら急がねば、木々は時間が掛かるからの。さ、参ろう。」

高瑞は、頷いて浮き上がった。

この、信じられないほど気が清浄な宮で、何の憂いも無く己が楽しいと思う事を穏やかに楽しんでいられる現状に、今これほどに幸福だとはと、高瑞はただただ自分の幸運に驚いていた。


蒼は、十六夜が降りて来ないのはいつもの事なので、特に気にすることも無く、月からは毎日話しながら過ごしていた。

天媛の様子をたまに見に行くのは、十六夜が来ないので痺れを切らして何をするか分からないと思い、面倒を避けるためだった。

蒼が面倒を起こしてくれるなと思って訪ねているにも関わらず、天媛はいつも、快く迎えてくれた。

それに、長く十六夜が降りて来ないのにも関わらず、文句を言うことも無く、蒼に当たることも、愚痴を言うことも無く、それは落ち着いていて、さすがに大きな存在だなと感心していた。

気の乱れも綺麗に抑えていて、恋をしている乱れの他は、本当に落ち着いていて一緒に居ると和んだ。

天媛は天黎とは違い、とても愛情深い目で蒼を見た。それは、男性に向ける視線ではなくて、母が子を思うような優しい穏やかな愛情だ。愛情を知らなかったと言っていたが、恐らく天媛には、そういう母性の下地があったのだろう。その上で、十六夜を異性として愛するような事になったのかもしれないと蒼は思っていた。

天黎に父性があるかと言われたら、蒼には分からなかった。

何しろ、天黎は出現してからこの方ずっと碧黎にくっついて、ただその行動を眺めていただけだからだ。

たまに宮の会合などにも現れたが、基本傍観者であり、無表情でそこに愛情などは全く感じられなかった。

碧黎に対して、便宜上親という存在だと言ってはいるが、親としての意識があるのかどうかは別問題だ。

人も神も、自分の子供には愛情を持つことが多い。

だが、天黎に同じものを感じ取ることは、蒼には出来なかった。

感じ取るには、あまり単独で接していないからかもしれない。

そこは、碧黎に聞いてみるよりないかもしれなかった。

ちなみに碧黎は、とても子供が好きだ。

維月と十六夜の事も根気強く憤ることも無くいつも傍に居て育てていたし、維織が生まれた時もほとんど碧黎と十六夜が育てた。

維月と維心の子達のことも、生まれた時から足蹴く通い、なので皆碧黎の事を慕っていて疎んじたり、怖いと感じたりはしていなかった。

最近では、蒼と杏奈の子の納弥のことも、頻繁に訪ねては話し相手になったり、遊び相手になったりしている事がある。

そこには確かに父性愛があったし、蒼もそれを感じていた。

あれで碧黎は、とても面倒見の良い命だった。

もし天黎が愛情を知りたいと言うのなら、まずはそこからではないか、と蒼は思っていた。


そんなことを考えていた午後、蒼が居間でぼーっと庭を散策する杏奈と納弥の楽し気な姿を見ていると、何の前触れもなく、パッと蒼の目の前に天黎が現れた。

蒼が、慣れているとはいえ一瞬固まると、天黎は指を口に当てて、静かにするようにという仕草をした。

天黎が、人や神のような仕草をするのに更に驚いていると、天黎は言った。

「すまぬの。主と話したいのだが、ここに居ると碧黎が気取るゆえ我と共に来て欲しいのだ。一時ほどぞ。良いか?」

蒼は、何を話したいのだろうと思ったが、一時と聞いてそれぐらいならいいか、と黙って頷く。

すると、天黎は微笑んで頷いて、そうしてそのまま、蒼の視界は激しく歪んで真っ白になり、何も見えなくなった。

そして、どうなるのだろうと目を白黒させていると、視界が戻って来て、そこはそれは広く、何も無い、地平線も霞んで見えるような明るい場所だった。

温かいような雰囲気がする色合いで、なぜかホッとする場所だ。

蒼が回りの状況を理解していてハッと自分の脚元を見ると、自分は浮いていて、空中にある椅子に座っているように、空気の上の何かに座っているようだった。

「ここなら大丈夫ぞ。」気が付くと目の前に居た、天黎が言った。「主に聞きたいことがあるのだ。」

蒼は、こんな場所へと連れて来て、いったい何を聞かれるのだろうと、構えながら天黎の、端正な顔を見つめた。

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