悩み
蒼がじっと天黎を見つめて言葉を待っていると、天黎は苦笑した。
「誠に主は素直なヤツよの。人であった時に被っておった穢れも、あっさりと消えてしもうて誠に清浄な事よ。善良だが普通の人であった主が、月など務まるのかと最初は悩んだものだが、やはり主に月の命を与えて良かった事よ。」
蒼は、それを聞いて驚いた。
「え、オレの命はそういうことですか?」
天黎は、穏やかに頷いた。
「そう。まず、維月と十六夜が陰陽の月となった時、主がまた月の声を聞く人の能力者として神と関わり始めたのを見て、これは残しておくべきかと悩んだ。だが、維月も十六夜も主を大変に大切に想っているようであったし、そうすると死したら地上を守るのも立ち行かなくなるかもしれないと考えた。ゆえ、主の人としての命を一度黄泉へと送り、維月の腹に新しい命として主の月の命を送った。入れ替えであるから結構面倒なのだがの、あの時は気まぐれにやってやろうと思うたのだ。実際、良かったと思うておる。主は皆を癒しておるし、他の命の世話もようしておるから。」
蒼は、下を向いた。世話をされる方が多いように思うんだけど。
「…オレなんて、維心様や他の神の王達に助けてもらってばっかりで。オレが助けてるのって、神世の本当の弱者達だけなんですよね。はぐれの神の救済もまだ進んでないし。他の月の眷族たちと比べて、オレってほんと、力も無いし人が抜けないし…。」
人じゃなくなって、もう何百年も経つのに。
蒼は、自分にため息をついた。生まれ育った間に習得した習慣や考え方は、なかなか抜けないものなのだ。
天黎は、首を振った。
「主には主の役目がある。神世に、力ばかりが強い神が揃っておってもあれらの癒しの場が無いのだ。主のような命が居ることで、あれらも癒される。それで良いのよ。」
蒼は、驚いて天黎をまじまじと見つめた。
あれだけ薄情そうだと思っていた天黎だが、今この瞬間は、確かに父親のような愛情を感じるのだ。
蒼は、思わず言った。
「…天黎様。それって、きっと親の愛情ですよね。」
天黎は、驚いた顔をした。
「これが?」と、戸惑った顔をした。「…主を元気付けたいと思うただけなのだが。」
蒼は、頷いた。
「はい。元気になりました。というかオレ、そういう感情に敏感で。天黎様からは、母さん…維月が、オレをいたわる時に発する気とそっくりなんです。だから、きっと親の愛情っていうものを、天黎様は今、感じていらっしゃるのではないかと思うんですけど。」
天黎は、目を丸くしたままじっと虚空を見つめて言った。
「…これがそうか。」と、じっと自分の中を確認するように、考え込んだ。「…だとしたら…我は、前々からこういう温かいようなものを感じておった。これが、感情の中の愛情か?だが…我の世界の命の皆にこんな風に感じておるが、主や碧黎などには特にハッキリと強く感じる。主らが言う、月の眷族という者達ぞ。」
蒼は、うんうん、と頷いた。
「だろうと思います。だって、オレ達は天黎様の子供って言ってもおかしくない命ですものね。月の眷族は正確には親子という間柄ではないって碧黎様から聞いておりますけど。」
天黎は、律儀に頷いた。
「命は皆同じ。どこで発生しようともの。」と言ってから、息をついた。「とはいえ、確かに主らには特別に想う感情があるのやもしれぬ。ずっと見ておったからの…影響力があるからであると思うておったが、動きまでつぶさに見て気に掛けていたのは主らだけ。わざわざ手を貸していたのもな。確かに碧黎など、最初に生み出して送り出した命であるし、真面目で長い間文句も言わずにひたすらに地上の繁栄のために努めておる姿を見て、誇らしい心地になったし、胸が熱くなった。何でも叶えてやりたい心地になったもの。」
蒼は、頷いた。
「それこそが愛情です。碧黎様がかわいいと思われておるのですよ。愛情には、いろいろな種類があります。父母が子に与える愛情、男女が共に生きたいと感じる愛情、師が弟子に感じる愛情…。ほんとにそれぞれで。」
天黎は、大真面目に頷いた。
「分かって参った。上から見ていて、一応分かったつもりでいたが、感じた事がないと思うておったから、実感もなくての。実は主に話したいと申したのも、そのことなのだ。」
蒼は、やっぱりな、と思いながら頷く。
天黎が蒼と話したいなど、そんなことしか考えられなかったのだ。
何しろ、蒼が知っていることなら天黎は何でも知っているだろうし、天黎が知りたいことといったら、そのことしか思い当たらなかったのだ。
「そうですか。多分そうだと思っていました。だって、天黎様は何でもご存知だし、オレと話したいならそれしかないなって。でも…維月と、まだ命を繋ごうと思っておられるんですか?」
天黎は、顔をしかめた。すっかり神らしい表情の動きを身に付けているようだ。
「いや…天媛が知っていて我が知らぬなどと思うので、一度経験しておきたいとは思うが、碧黎や維心などを煩わせてまでとは考えておらぬ。どうやらあれは大層な事らしいし、維月だとて否だろう。嫌がるものを無理にとは考えてはおらぬのだ。主が申すに、気付いておらなんだだけで我は愛情を感じておったようであるし、ならば急ぐ事もあるまい。どうも人や神を恋うるという感情は、とかく面倒な事も絡むらしいし、それは見ていて知っておる。ゆえ、我だってそんなものを心の内に抱え込んで、まともに世を守れぬようになるのはと戸惑う気持ちもあるのだ。あの、誰に対しても平等で真面目に努めておった碧黎でさえ、維月を愛してからは気の変動が激しくなり、平静ではおられぬ様子を見ておるからの。」
蒼は、天黎が他の何かを愛して固執する未来が見えなかった。
それでも、もしもそうなってしまった時は、恐らく碧黎の比ではないぐらい大騒ぎになりそうだと思っていた。
それこそこの世界を作った命なのだから、何でも思うままだし、チートもいいところだった。
蒼は、言った。
「オレもそう思います。天黎様は冷静に対処なさるでしょうが、それでも恋愛というのは厄介なんです。賢帝だと言われていた維心様でさえ、維月が絡むと未だに冷静には判断出来ません。碧黎様も感情的になって維月だけはと命を投げ出したりする。だから、絶対に大丈夫とはオレには言えません。でも、もし誰かを想う気持ちを知りたいなら、地上の誰かより、本当なら天媛様や、他の天に居る存在の方がよろしいんです。対等でないと…きっと、良い事にはならないと思うから。」
天黎は、フッと肩で息をついて遠く、この空間の地平線の方を見るような目になった。
「ここが、我らの空間。何もない、ただ心地の良い場所であろう?」
蒼は、言われて回りを見回した。
居心地は良いが、確かに何もない。
それよりも、他の命が感じられなかった。
蒼が、他の命を探してキョロキョロしていると、天黎は苦笑した。
「主では気取れぬ。」蒼が何を探しているのか分かったようで、天黎は言った。「主らから見たら、我らにとっての隣りの命でも、かなりの距離になるのだ。我らにとっては、会いたければ気軽に訪ねられる距離ではあるが、己の対であってさえ、結構離れておるのだ。この辺りは我が常居る場所で、天媛はここより向こう…主には見えぬだろうが、その辺りに居た。それでも我にとっては常側に居る面倒な命であったのだがの。」
そんなに離れていたのか。
蒼は、驚いて地平線の辺りを凝視した。
隣りというからにはすぐ側だと思っていたが、そういう感覚まで違うらしい。
「だとしたら、姿も見えないですね…。」
だったら、愛情とかないか。
蒼が思っていると、天黎は苦笑して首を振った。
「蒼、この型をとったのは初めてだと申したの。我ら、主らに合わせてかなり小さくなっておるのだ。本来、我はもっと大きくて、この空間の主が見えている範囲ぐらいはある、光ぞ。天媛も我より少し小さな光ではあるが、主らに比べたら大きい。なので、すぐ隣りと申した。他の命など、なのでもっと向こうなのだ。わざわざ訪ねなければならぬほどにの。」
蒼は、仰天した顔をした。この見えてる範囲って…めっちゃデカい!
「え、物凄く大きいじゃないですか!」
天黎は、蒼の反応が面白かったらしく、声を立てて笑った。
「おお、主は面白いの。その通りぞ、我らは大きい。地上の命は我らから見たら…そうよな、砂粒ぐらいの大きさかの。なので、一粒一粒見るのは難しい。主らは我らが起源であるから色がついて見えるし、育ってきた命は他より大きく見えるので、その中の色付きの石のような感覚ぞ。ゆえにの、命を繋ぐなど、本来無謀でな。相手が負担になるので、そうならぬようにほんの一部だけとなろう。天媛とてそのはずよ。なのであれが十六夜と命を繋ぐとて、主が思うほど完全に繋いだわけではないと思うのだ。それなのに、懸想するなど…いったいどのようなと、思うたわけであるな。それだけ鮮烈な感覚なのかと。」
蒼は、いろいろ知って驚き過ぎてポカンと呆けてその話を聞いていた。確かに、その感じだとそうだろう。
それだけ大層な感覚なら、試しにちょっと試しにやってみるかと思うのも道理だ。
そもそもが、完全に繋ぐなど無理な間柄なのだ。
「それなら…碧黎様も維心様も何も思わないと思うんですけど。」蒼は、渋々言った。「だって一部だけなんですしね。でも…それで天媛様が十六夜を好きになったりしたから、みんなその後を考えるわけです。まさか天黎様が、って。でも、天黎様って他の命が近すぎるのは嫌なかたですよね。だから、面倒な感情なんか持たないとは思うんですけど…確証はありませんしね。」
天黎は、息をついた。
「分かっておる。我と天媛は性質が全く違う。あれはその初め、うるさいほど我に話し掛けて参って幾度も命がその端に触れてな。それが面倒で遠ざけていて、誠に必要な事以外話すなと釘を刺した過去がある。我は一人がよいのに、あれは関わりたがったからの。十六夜に付きまとって鬱陶しがられておったであろう?我にはその心地が分かったものよ。何しろ我も、初めの数万年はそうだった。大概我慢がならぬようになって、話すなと言うたわけだし。」
数万年?!
蒼は、だとしたらかなり辛抱強いと思った。
十六夜は数週間で根を上げたのだ。
蒼だって無理だろう。
モラハラ夫とか勝手に思っていたが、そういうわけではないのだ。天黎も、我慢した過去があったのだ。
「…天黎様は、大きいかたですね。」
天黎は、眉を寄せた。
「まあ、今申したように主らに比べたらの。」
そういう意味ではないんだけど。
蒼は思ったが、敢えて何も言わなかった。
天黎は、その空間の空を見上げた。
「そろそろ一時。戻ろうぞ。話に付き合わせてすまなんだの。」
蒼は、首を振った。
「オレもいろいろ知れて良かったです。」と、天黎に、親指と人差し指で丸を作って見せた。「ところで天黎様、元の天黎様から見たら、オレ達ってこれぐらいですか?」
天黎は、うーんと悩む動きをすると、首を振った。
「いや、それは碧黎の大きさかの。」と、蒼の腰の、帯に散りばめられている宝石を見た。「そうよのう、主はこれぐらい、十六夜がこれぐらい。ちなみに維心はこれぐらいで、あれは普通の命であるのにこんなに大きくなっておるのよ。自力でここまで来ておるのだから大したもの。」
蒼は、いろいろな大きさの石を見下ろした。蒼と言われた石の大きさは、直径五ミリほどの小さな石だ。
そして、十六夜は一センチぐらい、維心も同じということらしい。
つくづく、そんな小さな命を大きく育てようと見守って、これまで生きて来たのかと思うと、天黎は本当に大きな存在なのだと蒼は改めて思っていた。




