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河東の乱  作者: 麻呂
鬼手
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街道

 根方街道を西に進んでいた長綱とて座視していた訳では無い。

 だが、舞台が河東であったことが災いした。

「北条さま」

 と、鎌倉時代の支配者と同じ氏を称する後北条氏を大切にするのは、前北条氏の拠点である伊豆地域から相模に掛けての民であり、河東は無論のこと、駿河は違う。

 11代に渡り足利御一門として東海道に強い影響力を及ぼした今川家と、その家臣の家では格が違うのである。だからこそ氏綱は河東支配を地場であり、今川とも北条とも縁がある葛山氏に任せ、北条色を出さぬよう努めてきた。第一次河東一乱においても、地侍達には今川か北条かと悩ませる時を与えず、調略の上で大軍を発し、瞬く間に河東を制圧することに重きを置いたのである。


――焼く訳にはいかぬ

 根方街道は南北に家が立ち並んでおり、「通過するための道」として運用すべきであって、戦場として扱うには不向きである。

 どうしても戦場にしたいのであれば、火を掛け家を壊し、駐屯、展開する場を作らねばならない。

 だが、河東でそのようなことをすれば、人心は北条から一斉に離れてしまう。

「くれぐれも」

 と、長綱は念を押した。家や寺社を焼かぬようにと。

 善徳寺付近、現在の富士市辺りまで出れば軍も十二分に展開できるし、最悪の場合でも背後に街道を持つ有利な持久戦に持ち込めるのである。

――だからこそ

 吉原での戦が始まり次第、即座に動けるよう後詰を用意していた。無論、今川軍が善徳寺に来た場合でも城に引き付けている間に後詰を出す手筈である。つまり、どう転んでも長綱は義元を挟撃できる体勢を作り、有利な形で開戦に持ち込める筈であった。

 いや、本来であれば善徳寺にも吉原にも十分な兵力を置くべきである。長綱もそれは理解していたが、関東の上杉があまりにも露骨に兵を動かし、万が一の事態に備える必要があったため、西にだけ偏った配置が難しかったのである。

 そこで長綱は折衷案として、物資だけでなく兵の補給路を確立できる、吉原を中心とした防御態勢を選んだ。対今川戦最前線となる富士川周辺に西の全てを掛けてしまっては、今川と呼応するかもしれない武田から御厨を守れない上、関東への援軍も間に合わなくなる恐れがあった。

 彼が守る長久保城を拠点とし、今川家と戦いながら武田上杉を牽制する、これが彼に与えられた役割であった。


 そして、義元は長綱の予想通り善徳寺に手を出した。予想外だったのは、義元の出兵と進軍速度が早かった、いや、早過ぎたことである。

 そのため、長綱にとって致命的なエラーが生じた。善徳寺があっという間に落ちてしまったのである。

「急ぎ、兵を送れ」

 と、後詰を出したものの、根方街道に防御陣地を作られており、移動に困難をきたしている。更に街道の狭さ――恐らく10人並べないであろう――から、大規模な攻勢を掛けるのも困難となり、長綱の選択肢を狭めていたのである。

「なれば東海道を」

 長綱の考えは尤もである。だが、当初東海道を選ばなかった理由の通り、足場が悪く、進軍には向かない。更に、今川軍が浮島に陣を張っていたのである。



 長綱は人情家であった。兄弟の中では文官肌であったが、後に外交官として名を馳せる「北条玄庵」の姿はまだ無い。

 戦の仕方は決して悪く無かったし、補給路を理解している辺り、石田光成等に代表される、前線は勿論、後方でも戦が出来る部類の将であろう。だからこそ北条の柱として今日この場を任されている。

 だが、これらの将の弱点でもある、想定外の出来事、例えば予想を上回る敵の動きや、奇襲への対応は上手くないとも言える。

 氏康が狐橋に陣を張った際、長綱は家を焼いてでも防御陣地を抜き、そのまま今川軍の背後を突くべきであったし、氏康もそれを期待していた。

 だが、氏康も狡い。家を焼く役割を長綱に押し付け、自身は手を汚さずに済む東海道を進んだのだから。


 氏康の敗走後も長綱は援軍を送り、その都度義元に阻まれる。だがその行動は彼自身の「吉原を見捨てぬ」という気持ちから出ており、家臣としては信頼を寄せるに足りる将に映り、不思議と長綱軍の士気は下がらなかった。

 場の空気であろう。長綱は兵からの信頼を感じれば感じるほど、涙脆く、また、何とかしたいとの気持ちが強まって行く。

「殿」

 家臣が声を掛けた。だが、彼は自らを追い詰める思考作業に没頭しており、気持ち半分に目を遣る。

「武田が大石寺に陣を張り、当家に和睦を持ち掛けております」

「とか」

 まことか、と、言うつもりであったが、咄嗟のことに声が出なかった。いや、元々武田が今川の援軍に来るという予測はあったが、一月も経つうちに意識がそこを離れていた。

――武田の和睦など当てにならぬ

 代替わりした途端に盟約を裏切った晴信である。彼が仲介する和睦案など、どこまで信用できようか。

――武田はどう動くか

 大石寺から東に向かい、愛鷹山の北側を回るルートで長久保城の背後に回るかもしれない。城の付近に陣を張り続けるだけで、北条にとって危険な状況となる。

「伝令を集めよ」

 長綱は我に返ったように伝令を集め、兵の移動を命じた。

「吉原は自落に任せよ」

 一部の伝令が動揺するが、長綱は気付いていながら相手にしない。既に彼は現実世界の怜悧な文官に戻っていた。

――今川を興国寺から押す

 吉原へ進めぬ兵は興国寺に詰めさせていた。この兵力で根方街道を通る今川軍を、湿地帯へ追いやり、矢の的にしてくれよう、と考えていた。

 全て、定石通りで無駄の無い計画であった。

 そして、長綱の見通しは半ば当たり、半ば外れることとなる。

前回のものに少々手を加えました。

訂正したつもりの箇所が全く訂正されておらず、どうやらコピペでミスをしていたようです。


お時間ございましたら、再度ご覧頂ければ幸いです。

いや、再度見る価値があるかは微妙ですが…

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