迂回
8月、今川北条両家の目論見通り、吉原城は自落した。
義元はこれ幸いとばかりに晴信を呼び、一方的な軍議を進めて馬首を東へと向けた。
この砦とも言える小さな城を北条が見捨てたことで、河東は急変する。
「良い風が吹いておる」
海の、独特の甘さを孕んだ風が南から吹き寄せる。夏の暑さと相俟って不快に思う者もいたが、義元には心地良い。
「興国寺も難儀な」
増派された北条軍の一部は興国寺城に詰めている。下手な手出しをしては一気に押し返されてしまう恐れがあった。となれば、敵の弱点を的確に突く必要がある。
――無所不備、則無所不寡、寡者備人者也、衆者使人備己者也
長綱はあちらこちらに増援を考え、結果、全体を弱体化させてしまっているのだろう。それが長綱の意思なのか、氏康の意思なのかまでは分からないが。
義元としては陣を少しづつ進め、隙を突いて一気に決着を付けたい。既に対策は晴信に与えてあるが、遅効性の策であったため、興国寺城用に即効性の策を別に用意していた。
――無理押しせずとも良い
義元の放った間者は「吉原は自落した。長綱が見捨てたから自落したのだ」と流す。
城内は気付いていた。長綱が吉原を見捨て、興国寺を主戦場に移したこと。見捨てられた吉原は自落の道しか無かったことも。
義元の流言 ―事実であるが― は興国寺城内に広がる。いや、流言を流すまでもなく、兵はそのことを口に出さずにいただけであり、一度堰が切れてしまえば後は早かった。
「ここも見捨てられるか」
誰かが不安を口にする。それは皆が抱いていた恐怖であり、だからこそ暗黙の了解の上で禁句とされていたのである。
「まさか」
と、笑う者もいた。
「だが」
援軍が来ないではないか、と、反論が起こる。何れも見回りの合間の何気ない会話であったが、互いに互いの不安を確かめ合うように言葉は零れた。
義元は数日の間様子見に徹した。吉原の事後処理もあったが、興国寺の士気低下を狙ってのものであった。
目の前に戦があれば恐怖は忘れられるが、ただ守っている状況であれば思考する時間ができてしまう。興国寺城は少しづつ恐怖に蝕まれていった。
数日後、義元の命を受け、松井宗信が先陣として興国寺に攻めかかった。北条の反応は鈍く、飛んでくる矢の距離も短く感じられるほどである。
――これは
御館様の策が嵌まった、と、直感した。まだ若い将ながらも戦場の「勘」を持つ宗信にとって、北条の士気低下は容易に感じ取れる。
「酉の面より攻めよ」
興国寺城は南側がなだらかな坂であり、東西には大きな土塁があった。北には巨大な空堀もあり、南の根方街道からの攻撃を想定した造りとなっている。山城でありながら高低差は少なく、防御面に若干の不安はあるものの、南側を東西に伸びる街道を押さえる拠点としては申し分無い。
宗信は、敢えてこの城を西から攻めた。東には湿地があり動きにくいこともあるが、南を大きく開けるためであった。
――宗信は、できる
義元は松井勢の動きを見て安心する。宗信が作った南の坂は北条が兵を展開する場所となるが、更に南に控える今川軍を意識しているため、中途半端な出撃となってしまう。更に一部の兵が東の湿地帯へと逃げ出す始末であり、北条は兵を出しづらい状況に陥る。
「引けっ」
北条が籠城策を採ったと見るや、宗信は即座に兵を引いた。そして速やかに義元に報告する。
「良い働きであった」
我が意を得たり、と続けると、宗信は生々しい矢傷の入った頬を赤らめ、興奮冷めやらぬまま勢い良く頭を垂れた。
――この戦、勝てる
義元にとって不安であったのは「駒」であった。自身の意を的確に酌み、兵を運用できる人材。岡部、朝比奈のような家老の家柄だけでなく、その下の家柄からも求めていた。
数日後、義元は興国寺城を落とす。
長綱が求めた北から南へ追い落とす策を完全に封じた、正攻法での横綱相撲であった。
――この城が此度の河東の拠点となろう
興国寺城を得たことで根方街道を押さえた義元は、城の補強をすると共に長久保城攻めの軍議を開いた。
「そろそろ山の薬が効く頃ゆえ」
ここからは疾く、動けと発破をかける。理解できた将校は素直に頭を下げ、そうでない将は訝しげに頭を下げた。
――見えている者がおる
その反応だけで、義元には満足いくものであった。




