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河東の乱  作者: 麻呂
河東
37/52

未熟

 信虎が甲斐を追放された頃、病に苦しむ者がいた。

 北条氏綱。父が残した旧領をを守り、北条家の礎を築いた男である。



「上杉は来なかったな」

 小田原城の一室。氏綱の声が響く。

 氏綱は十数年前に戦火に焼けた鶴岡八幡宮を造営しており、昨年落慶式を行っている。余談だが、造営に必要な材木が河東の乱により流通しなくなり、氏綱が困っていたという話もある。

 この造営は焼けた神社を復旧させることが目的ではない。北条を名乗った氏綱がだからこそ、鶴岡八幡宮を大切にする必要があった。

 知っての通り、鎌倉執権北条氏と、戦国大名北条氏は何の関係も無い。だが、鎌倉北条氏の名前は関東に強く残っており、相模の大名が当然のように北条を名乗れば、領民は「あの北条様か」と、戦国北条氏の政治に正統性を感じる。

 その北条氏が鶴岡八幡宮を大切にすれば、領民は当然のことと受け止め、更に関東に北条の力を知らしめることになる、いわば政治的なパフォーマンスであった。

「やむを得ぬかと」

 氏綱は落慶式に上杉氏を呼んでいる。だが、上杉憲政はこれを拒否した。

――何故北条の下に着かねばならぬ

 と、思ったであろう。

 古代から政治は「まつりごと」であり、こと神事を主催する者は自然とその頂点に立つ。大和朝廷が東に勢力を広げるほど、熱田、諏訪、三嶋、鹿島と大社が作られていったのも、政権の影響がそこまで伸びていることの証明と、その地を治めるのは政権の認めた者である、ということを知らしめるためである。

 立場が上である上杉氏が、北条が主宰する神事に参加する訳が無い。

「のう、氏康よ」

 其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候

 と、褒めながらも

「だが、若い」

 と言う。

 26歳。義元より4歳年上であるが、このような形で家を継ぐには若い。

 氏綱は、氏康が様々な面において自身を上回っているが、その若さが不安だと言う。

「甲斐は父を追い落とし、駿河は兄を殺して国を奪っておる」

 世は非情だ、という。

「さればこそ、義を忘れるな」

「義とは」

「人の道よ」

 子の問いに即答する。

 病のせいか、以前に比べ視界が悪い。だが、それでも我が子の眼があるであろう場所をじっと見つめる。

「わしはな」

 己が未熟さを知っておればこそ、神仏を崇め、家臣を慈しみ、領民を愛した。だから今があるのだと言う。

「だが」

 甲斐の信虎を見てみよ。わしより遥かに優れておったが、家臣に見放され、子にも見放された。太田道灌を討った上杉を見よ。義に違えれば、応報がある。義に違えて仮に国を切り取ることができたとしても、後世、必ず恥辱を受けるであろう。

 そこまで言うと、氏綱は「水を呉れ」と言って起き上がった。氏康は持ってきた椀を両手で渡す。

――細い

 父の手をしっかり見たのは何時以来であろうか。あれほど強く見えた父がこれほど弱っていたとは。

――父が死ぬのか

 これまで実感として無かった父の死が、急に目の前で現実味を帯びる。

「氏康よ」

 再び父の声がした。

「見ての通り、わしは長くない。時というのは限りあるもので、誰にも等しく死は訪れる」

 軽く咳をすると、

「位の高い者、低い者。強き者、弱き者。義ある者、無き者。いずれもやがては死に、過去のものとなる」

 氏康、と、再び呼ぶ。

「身の程を知り、弁えよ。驕らず、弁えよ」

 されば北条は続く、と。

「はっ」

 あれほど反発した父の小言が愛おしい。

 いずれ分かると言われ続けた小言だが、これ程までに哀しい小言があったであろうか。


 素直に頭を垂れると、氏康は下がる。そして入れ替わるように長綱(後の幻庵、この頃は宗哲)が入った。

「すまぬが、未熟な兄を持った定めと諦めて欲しい」

 長綱は黙っている。

「氏康はまだ、武蔵、駿河と事を構えることはできまい」

 駿河は自分が仕置きするつもりであったが、人の世とはままならぬものだと言う。

「おぬしが」

 代わりに河東を押さえてくれと頼む。今川の若造は「ナカナカの者」だと。

 二人の間に沈黙が生まれた。そして

「無論でございます。が、兄上」

 と、長綱が重い口を開く。

「こうして言葉を交わす時がこれまで如何ほどありましたか」

 不満では無い。後悔であった。

「近くにあればこそ、互いに言葉を交わさず、このような時になり、初めて言葉が足りなかったことに気付いております」

 短い沈黙を置き、続ける。

「御体が許されるのであれば、仏弟子となりながらも俗を捨てられぬ愚かな弟と、昔話でもしてくれませぬか」

 氏綱に言われずとも、氏康を支え、氏康のために死ぬ覚悟もできている。だからこそ、最後に子を思う父の顔では無く、自分の兄として振る舞ってほしかった。

 北条の盛衰を見届ける定めに生まれた長綱の、時を弁えぬ我儘であった。

「あぁ、そうだな」

 一瞬驚いた顔を浮かべながら、すぐに悟った氏綱は応える。

「兄弟揃って未熟者だな」

 そこには衰えながらも頼れる、兄の笑顔が浮かんでいた。


 天文10年7月19日、北条家二代当主北条氏綱逝去。

 これにより、河東の乱は北条氏康へと引き継がれた。

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