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亡国記  作者: 上中 志織
3/3

英彰は、勝利したようだ。

今夜にでも、城に帰還するという報せが、私の元に届いた。


反乱軍の勢力を五分の一に減らしたのだと侍女が教えてくれた。

流石というべきか、それとも、英彰らしからぬというべきだろうか。


私は、今夜訪れるだろう英彰の表情や機嫌を想像しながら、侍女に支度を促した。



英彰は予想より早く、私の元へ訪れた。

夕闇に染まる空を窓から眺めていた私は、驚きを隠し、慌てて英彰を迎えた。


戦場から戻り、甲冑だけを脱ぎ、ここにやって来たのだろう。

いつもは整えられている髪が乱れ、瞳は獰猛な光を湛えている。

眉間は強く寄せられ、口は引き結ばれていた。

体の端々から、どうしようもない怒りの蒸気が立ち昇っている錯覚を、私は感じた。


反乱軍の勢力を五分の一に削り、退却に追い込む。

私からすれば、圧勝のように思う。

だが、英彰は、反乱軍を殲滅するつもりだったはずだ。

反乱軍に、被害を五分の一に抑えられたということは、彼にとって想定外でいて、かつ屈辱的なことであったのだろう。




「お帰りなさいませ」

そう言って礼を取り、英彰に近付けば、英彰は私の二の腕を掴んだ。そして、そのまま、私の身を寝台へと放った。


無言のまま、私の上に乗り上げた英彰の額にそぅっと口付ける。


ふわりと、肌に塗り込められた香油が香った。


「ああ」とだけ、英彰は告げた。



それは、先程の私の言葉への返答だろうか。それとも何事かに反応し、感嘆の声が漏れたのだろうか。


英彰の手で熱を帯び始めた私の体と思考は、それ以上、その小さな一言を考えることが出来なかった。





王軍は、苦戦を強いられているらしい。


反乱軍は、多くの支援や信を得て、その勢力を伸ばしていくが、逆に王軍からは逃走兵が増えていく一方なのだと、侍女から聞いた。


英彰は気紛れに、王軍の指揮のため、その腰を上げた。その度に、私は手紙を書き続けた。


『王が出る。備えよ』


そう綴り、厳重に封をした手紙を、金貨と共に侍女に持たせて外出させ、私は英彰の帰還を後宮で一人待ち続けた。




英彰は、戦から戻った夜は必ず、荒々しく、執拗に私を抱いた。だが、その一方で、その次の日は、驚く程優しく、私を抱いた。


己を私に刻み込むように。私を絡め取るように。

英彰は、私を抱き続けた。





英彰の出陣の頻度は徐々に増していった。

私はその度に、英彰の背を見送り、便箋に筆を走らせていった。




だが、手紙もこれで終わりにしよう。


そろそろ、頃合いだろうから。




『反乱軍の指導者様』

始まりはいつもと同じにした。

文面は、この手紙を書き始めたあの日から、決めてある。


『城を奇襲せよ。王は、毎夜、後宮の端ーー正妃宮にいる』


そして、侍女がいつも抜け出る時に使う道を事細やかに書き綴った。





夜の闇が深くなった時刻。

上半身裸のまま、私の腰に腕を回し、膝に顔を埋める英彰の後頭部の髪を手で梳いていると、遠くで爆発音がした。


途端、英彰は顔を上げた。


「何事か!?」

正妃宮の扉の外にいるであろう兵に声を掛けるが、返事がない。

ただ、大きな物音や人の怒声が遠く聞こえた。


英彰は大きく舌打ちすると、椅子の背に掛けていた衣を身に纏い、剣を掴んだ。


「…英彰様」


その背に、小さく呼びかけると、英彰の鋭い視線を受けた。


「すぐ、戻る」


その低い声は、背筋が凍るような錯覚を覚える程、怒りに満ちていた。



私は、英彰に向けて強く頷いた。



ああ、やっと。

解放されるのだ。


そう安堵しながら。






騒音が酷い。どんどん、近付いてくるようだ。


正妃宮で、侍女と二人、身を寄せ合う。大きな音が鳴るたびに、侍女が肩を震わせた。


「清玲様」

眉を寄せ、弱々しいその声音に、私は一つ頷いた。

「逃げなさい」

侍女は、私の言葉に大きく目を見開いた。

「清玲様と一緒でなければ、逃げません」


先程の弱々しい声とは違い、確固たる意志を感じさせる強いそれに、私は緩々と首を横に振った。

「いいえ、逃げなさい。もうすぐ、英彰様がここに来ます。そうすれば、もう生きてはいられない。全て、知られたでしょうから」


私は、侍女の両肩に手を置き、力を込めた。

その背は、度重なる心労で、私の記憶よりだいぶ薄くなっていた。


私は目を細め、笑みを浮かべる。



「貴女は良く仕えてくれた。貴女だけでも、生きなさい」


私の説得に、ようやっと頷いた侍女の目には涙が浮かんでいた。

正妃しか知らぬ抜け道をそっと教え、

その道へ向かう侍女の背を見送る。


そして、ようやく私は一人になった。



音が、更に大きくなってきた。

鉄がなる耳障りな音に、思わず耳を押さえたくなる。



英彰は、まだ来ない。


まだ来ない。


まだ、来ない。


私は、寝台に腰を下ろし、胸の前で両手を組んだ。


目を閉じ、祈るように、私はただ待った。




扉の向こう側に、人の気配がする。


ああ、やっと、彼が来た。


私は扉へ視線を向ける。

英彰は、扉を静かに開け、部屋に入って来た。

衣は血に濡れ、右手に握る剣からは血が滴っている。

顔に散った血飛沫を、袖でぐっと拭えば、綺麗な顔には、流石、一つの傷も見えなかった。


彼の表情は、驚く程、穏やかだった。

そこには、怒りも、悲しみも、含まれていない。


いつもは荒ぶる瞳が、今は静謐な泉の水面のようだと思った。



「英彰様」

私は寝台の上で、彼に向けて手を伸ばす。

英彰は破顔し、私の元へ歩いてきた。


「清玲よ。お前の仕業だな」


英彰は、私の伸ばした手を取り、そっと私の隣に腰掛けた。

手は温かだった。


「はい」


肯定すれば、英彰はくつりと笑った。


「気付いていたのだな」

「はい」


肯定を繰り返し、私は腕を英彰の首へ回し、英彰の頭を自身の胸に引き寄せた。胸の谷間に鼻の先を埋めるようになった英彰は、楽しそうに私の胸に頬ずりして、笑声を上げた。


「この国を、ご自身を、滅ぼしてお仕舞いになりたかったのでしょう?」


問えば、英彰は胸から顔を上げた。片眉を上げて、私を見つめた後、ふっと顔を綻ばせた。


「ああ。本当に、お前は聡い女よ。だが、真逆反乱軍の手引をするとは思わなんだぞ。…酷い正妃だ」

呆れたような声音に、くすりと笑う。


「心外でございますわ。英彰様の想いを、遂げさせて差し上げたかったのです。貴方様の、妻でございますから」


すると、英彰は大きく目を瞬かせた。そして、私の頬に両手を添え、ゆっくり顔を近づけた。


「愛している」

「ええ。私も、貴方を愛しています」



甘い、甘い、口付けに、二人で酔いしれる。



扉の向こうでは、相変わらず酷い音がしている。

それを忘れてしまうかのような、そんな一時だった。





寝台に二人で座り、英彰の腕の中で、来るべきその時を待つ。



私を包むこの腕の主は、近い将来、愚王とも凶王とも、呼ばれるようになるだろう。


人を嬲り殺し、重税や恐ろしい法で縛り、それを愉しんできた男だ。

そうすることで、国を、自身を滅ぼさせるしかなかった、愚かで、ある意味臆病な男だ。


そして、そんな男を私は溺れるように愛してしまった。


彼の望みを、出来るだけ早く叶えてあげたかったのだ。

それは、彼以上に愚かで、狂ってさえいるのかもしれない。




扉が、開け放たれた。


数人の男たちが、立っていた。中心にいるのが、反乱軍の若き指導者だ。

その顔や衣は血に染まっており、英彰の腕の中にいる私を見つけ、悲痛な表情を見せた。


「清玲様…」

その呟きを聞き、英彰はその腕に力を込める。私は微笑み、英彰の腕に手を添わせた。


反乱軍の指導者ーー孫家にいた頃仕えてくれていた男に向けて、私はゆっくりと頷いた。

「殺して頂戴。王と共に」


私は、彼に首を断たれるのを想像した。

私の首も、いつか見たあの光景のように、ゴロリと床に転がるのだろう。



「清玲様…」

もう一度、私の名を呼んで、男は悲痛な表情のまま、一歩進んだ。


と同時に、英彰が笑声を上げた。



可笑しくて、可笑しくて、仕方がない。

そんな調子だった。



「簒奪者たちよ」


声は明朗だった。


簒奪者と呼ばれたこの場にいる反乱軍の男たちは、全員が、その肩を震わせた。

英彰はその様子に構わず言葉を続けた。



「国も、国民も。王位さえも。俺は欲しいと思ったことはない。全て、お前らにやろう」


そこで一度、言葉を切り、英彰は私を更に抱き寄せた。視線は、反乱軍の中心に立つ男へ向けられている。


「だが、清玲は連れて行くぞ。悪いな」



そう言って、英彰は照明を倒した。


倒れた照明を、その中の火が燃やしていく。それは、たちまち炎となって、先程撒いておいた油に引火していった。



その勢いは早い。


反乱軍の男たちと、私たちは、すぐに炎によって隔てられた。

男たちの慌てた様子が炎の先に見て取れる。

だが、すぐに横から腕が伸び、私の顔は英彰の方へ向け直された。


炎の橙色の光が、英彰の綺麗な顔を神秘的にさえしていると思った。


「清玲」


甘い声に、私は微笑む。



そして、彼から今世で最後の口付けを受けた。


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