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雪姫の祠を目指してゼルデアを出発した日の晩。
リックと会った後は魔物との遭遇はなく、二人は順調に森を進み今は野営の準備をして
いた。
「あたし、こういうのって初めてなんだなぁ……考えてみれば。」
「でも、ぼくだって初めてだよ?
旅をしない街暮らしの人は、こういう経験ってない方が普通だと思う。」
言葉の割には慣れた手つきで、レグナはたき火の準備をし火をつけた。雪こそ降らぬもの
の冷たく張りつめた夜気の中に、じんわりと熱が広がっていく。
それから夕食を済ませ、降りる夜の帳を黙って見つめる二人。
やがて辺りが闇に包まれた頃、天を仰いでファリナがぽつりと呟いた。
「……綺麗な星空ね……」
「そうだね。」
小さく頷き、レグナも天を仰ぐ。
静謐な空気の中、無数の、無限の星々が夜空を彩っていた。
「明日が満月、か……」
魔物は月に誘われる、と言う。
詠晶石も月夜の方がより効果を強め、魔物も月の下でより活発に活動し。
満月の晩、魔術と機具、それに魔物は、持てる最高の力を発揮すると言われていた。
(満月の夜を越えれば、エル王女の誕生日―――か。
文字通り、山場になりそうだ)
「満月じゃなくても綺麗な月……
明日雪が降ったら、この星も月も見れないのよね。」
「……そうだね。
だから、明日は、雪を降らせないようにお願いしないとな。」
誰にとも何にとも言わず、それっきり二人黙る。
静かな、静かな一時。聞こえるのはたき火の音と互いの息づかい、それと―――
「……聞こえたくないものが聞こえる。」
少し呆れたように言い、レグナは手早く荷物をまとめた。それを見て、ファリナも移動す
る準備をざっと済ませる。
二人の用意が済んだことを確認してから、レグナはなんとか炎を消した。光に慣れた目
に強烈な闇が、やがて月明かりに照らされた冬の森が浮かび上がって来る。
「……これはこれで、幻想的な光景ね?」
「それだけ言えりゃ、大丈夫そうだね。」
短く言葉をかわし、あとは黙って辺りを伺う。
誰かが戦ってるような、音、声。明らかな戦闘の気配が、風にのり微かに届いていた。
一瞬だけ空を覆う、宙を舞う何か。
「……どうする、レグナ?」
「加勢できるほど強くない。見過ごせるほど賢くない。
とりあえずは……臆病者らしく、様子見。」
どこか淡々とした声で、事実のみを述べるように言うレグナ。あるいは強くない自分が悔
しいのかもしれなかった。
それからしばし、止まない喧噪を聞き―――
「ねぇ、レグ―――」
突然だった。隣のレグナがファリナを庇うように覆い被さると同時に降り注ぐ『力』
レグナの身体が数度震え、反応を返さなくなる。
「れっ、レグナ!」
叫びつつ、けれど上を見上げるファリナ。
いつの間に接近されたか、そこには宙を舞う一匹の魔物の姿があった。
「こっ、この!
高潔なる愚者よ、冷たき両腕で抱け! アブソリュート!」
空気が音を立てて超々低温に凍り付けられていく。けれど魔物は余裕でそれをかわすと再
び上空から力の礫を放った。
「堅牢なる守護者よ、気高き壁となれ! ブレイズバイン!」
虚空に生まれた氷の蔦が複雑に絡み合い、空気中の水分をも巻き込んで瞬時に強固な壁と
なる。ファリナの魔術に突き立った礫は、その蔦の壁を突き破ることなく霧散した。
(やれる、あたしは戦える!)
「厳正なる審判よ、凍れる裁きを下せ! ロックオンジャッジ!」
突然何もない所に生まれた氷塊が、まるで吸い寄せられるようにものすごい勢いで敵に迫
る。避けた先から次々生まれる氷塊に、魔物が羽を、足を、胴を撃たれ―――
放たれる奇声、ファリナの背後!
「!」
振り返るファリナの視界に映る空を覆う影、振り下ろされる―――
振り下ろされる刃。
魔物の腕、そして爪よりも早く、さらにその上から振り下ろされた刃。
ファリナに迫っていたその腕と爪は、すぐ傍らに音を立てて落ちた。
魔物の絶叫、我に返るファリナ。なんだか知らないが後ろは後ろ、あたしは前の飛ぶヤ
ツを倒す!
「聡明なる聖者よ、眠れる氷の慈悲を! アイシクルワールド!」
周囲の空間から一気に押し寄せた冷気が魔物の動きと存在そのものを封じ込める。
「敬虔なる戦士よ、我が敵を両断せよ! ホワイトブレード!」
そして解き放たれた晶力が、ファリナの意志とイメージに従い巨大な氷の剣となり―――
「斬っ!」
背後で響いた声にあわせるかのように、宙に凍り漬けにされた魔物を真っ二つに断ち切っ
た!
悲鳴を上げる間もなく、魔物の遺体が地面に落ち―――戦闘前の静けさが戻った。
「見事だった。」
否、戦闘前の静けさよりも、増えたセイレーンの鳴き声。
「ありがと、助けられちゃったね。」
見上げたリックにそれだけ言うと、ファリナは抱えたままのレグナに視線を移した。
「レグナ、レグナ?
大丈夫、しっかりして?」
「見せてみろ。」
巨体を跪かせ、リックがレグナを覗き込んだ。
どこか不思議そうにそんな二人を見比べるファリナ。
「……心配ない、頭を打ったか何かで気を失っているだけだ。
安静にしておけば直に目覚めるだろう。そっとしておくことだ。」
「そうなの? 良かったぁ……」
安堵するファリナに小さく頷くと、リックは再び立ち上がった。顔は今なお止まぬ微かな
喧噪の方向を向いている。
「加勢に行くんですか?」
「そうだ。」
「……あたし達が行ったら、足手まといですか?」
ファリナの言葉に、二人を見下ろしてしばし沈黙し―――
「少なくとも、レグナが自然に目覚めるのを待て。ヘタに動かすべきではない。」
「……わかりました。
お気を付けて。いってらっしゃい。」
「ありがとう、また会おう。
―――幸運を祈る。」
小さく別れの、祈りの文句を口にするとリックは駆けて行った。
微かな金属音と鳴き声がやがて聞こえなくなると―――
「はぁぁぁ。怖かったよぉ……」
ファリナは泣きそうな声で、未だ目覚めぬレグナの胸に顔を埋めたのだった。
「っきしょう、多すぎんだよ!」
「ほんとーよね、やんなっちゃうわ!」
イフリートの獄火とボーグの放つ石刃が同時に突き刺さり、また一匹の魔物が地に沈んだ。
けれど、一体どこから集ってきたか、依然魔物の数は数えたくないほどであった。
「あたしたちこんなに苦労してるってのに、誰か手伝いに来てくれないわけ?
今ならお宝山分けにしちゃうってのに!」
「ほんっと、宝より命だよな。勘弁しろってんだ、よっ!」
焔で翼を斬り裂き、綺麗なバク転から魔物の身体を蹴り上げる。宙に浮いた魔物を狙って
獄火が迸り、時期外れの花火を花開かせた。
「危ないわよもー!」
けして黙らず、当然仕事は忘れず。動くルーマのフォローに入るボーグ。
たった二人きりで、一体もうどれだけの時間戦っているのだろう?
いい加減弱音の一つも吐きたくなった頃に―――
「……!
おっそーい、このウスノロでかいの! ステキすぎるじゃないのさ!」
「ったく、同感だね……
今まで何やってたんだよ、リック!」
「すまん、戦っていた。」
端的に答えると、振り向かぬ二人を気にも止めず、鳴き続けるセイレーンを振るうリック。
新たな敵に注意の反れた魔物をイフリートが、あるいはリックの背後を狙う魔物を魔術
がそれぞれ抑え、あるいは撃破する。
「さーて、反撃しちゃうわよー!」
「おうよ、いたぶってくれた分は八倍にして返すぜ!」
「そうだな。」
三者三様の呟き。
三人組の反撃は、快進撃は、いつもここから始まるのだ―――
「ふぅ……しんどかったわー。」
「っとになぁ。リックが来て良かったぜ。」
「すまんな、手間取って。」
「いいのよ、結果おーらいだわ。ね、ルーマちゃん?」
「そーそ。三人無事だし、お宝は莫大だし。文句なしさ。」
闇の中、辺りに散らばる魔物の遺体を見渡して。ルーマとボーグは笑って見せた。
「でもリックちゃん、別の人と一緒なんでしょ?
どしてこんなとこいるわけよ?」
「喧噪が聞こえたから、走ってきた。
まさか二人だとは思わなかった。」
「はぁ……律儀だねー、あんたも。
まぁ助かったんだから文句の言いようもないけどさ。」
「そうだな。間にあって良かった。
―――それじゃぁ、オレは戻らせてもらう。」
剣を鞘に納めると、息つく間もなくリックはそう言った。
「一応別の人間を見張りにたたき起こしておいたが、あまり遅れるわけにもいかん。」
「慌ただしいわねぇ……
まぁでも、他の人と組んでるんだからしょうがないかしらね。」
「そうだな……
んじゃ、分け前はちゃんと取っておいてやっから。とっとと戻んな。」
「感謝する。
それじゃ、武運を祈る。」
「えぇ、ゆき……き……」
「おうよ、リックもがんばんな!」
「そうそう、頑張ってゆってらっしゃいな。」
頷き、振り向き―――
「そうだ。
あの辺に、レグナが友人と二人でいた。差し支えなければ同行してやるといいだろう。」
「へ、レグナが……?」
「何か事情があるらしい。詳しくは当人に聞け。
では。」
短く言うと、リックは再び夜の森の中を走って行った。
「……慌ただしかったわねぇ……」
「だなぁ……おかげで助かったんだけどさ。」
残された二人に言えることは、それしかなかった。




