第八話
それからまもなくして、火山の火口手前で、部員たちは集結した。噴火警戒レベルは、“平常”であったが、そこは、草木が枯れ、鼻につく硫黄の匂いが漂い、剥きだしとなった岩肌がごつく突出し、何万年以上もの月日を経て堆積した地層が露わとなった世界で、決して油断のできない、危険の伴う一帯であった…
「よし…全員、たどり着いたようだな。では、まずは、腕立て伏せからやるか」
鍋島の発言に、
「ええっ…こんな空気の薄いところでやるですか?」
晴翔は、思わず声を上げた。
「うむ。確かに、高地では、重力の影響が低地よりも小さいため、筋力トレーニングには向いていないのだが、今回の目的は、危険な火口を目の前にして行うと言う恐怖心を克服することで、精神面の強化を図るのが狙いなのだ。わかったら、すぐに準備しろ!」
「す、すんません!」
彼は、再び尻を蹴られると、円陣となった部員たちに混じって構えた。そして、
「イーチ、ニー、サン…」
鍋島の号令の下、部員たちは腕立て伏せを始めたのだった。
「火山の火口を目の前にしてやるってのが、ファンキーだよな」
「けっ…調子こいているのも今の内だぜ。きっと…」
能天気な優希を見て、晴翔は、そうぼやいた。こうして、部員たちは、ここで全ての筋トレのメニューをこなしたのだった。
「はあ、はあ…やっぱ利くなあ、高地トレーニングは…」
優希は、息を切らしながらしゃがんでいると、
「さっきの余裕は、どこへ行ったのやら…ぜいぜい…」
「うるせえ…お前だって、息が上がっているじゃねえか」
同じようにしゃがみ込んでいる晴翔のつっこみに対して、弱々しく言い返した。すると、
「しかし、何で先輩らは、平気で立っていられるんだよ」
「ああ…超人が入っているぜ、ほんとに…」
他の一年生たちも続けて、愚痴を言い始めたのだった。
「よし…じゃあ、次は、ここを少し降りたところにある平地で、練習を始めるぞ」
それを聞いて、
「ええっ…まだ、下山しないんスか」
「しかも、練習って…俺、マジで死んじゃいますよ」
晴翔たちが、声をあげたが、
「それだけ、答える気力があれば、問題はない…それに、こんなところまで来て、遊んで帰るバカがどこにいるんだ。さあ、ぶつぶつ言わず、すぐに出発するぞ」
鍋島は、聞く耳を持とうとせず、バットケースを担いで先へ進もうとした。
「そ、そんなあ…あと少しでいいから休ませて下さいよ」
「お、俺もダメ…一歩も動けねえ…」
「甘ったれるな!」
情けない言葉を吐く一年生たちに、鍋島がついに怒ると、彼らは一斉に、ぱっと飛び起きた。
「お前ら…何で、こんなきつい練習をしないといけないか、わかっているのか。俺たちは、真夏の最悪のコンディションで、地区予選、そして甲子園と、強豪たちを相手に戦っていかなければならないんだ。それには、鍛え抜かれた体と確かな技術が必要になってくるのだ。一度の試合を勝てばいいのとは、わけが違うのだからな」
と、言って、鍋島は見渡すと、
「さあ、時間は無いんだ…さっさと行くぞ!」
彼らを連れて、広大な平地へと移動したのだった。
「さあ、一年…ノックをしてやるから一列に並べ!」
目的地にたどり着くやいなや、鍋島は、一年生たちを横一列に整列させた。
「全員、並んだようだな…よし、始めろ」
彼が、他の先輩たちに声をかけると、彼らは一斉にノックをした。
…カキーン、カキーン、カキーン…!
「うわあっ!」
「ぐえっ!」
すると、疲れ切っていた一年生たちは、打球を取り切れずに反らしたり、それを腹に当てたりして、へたり込んでしまった。
「こらあ…さっさと立たねえか!」
鍋島の怒号を聞いた一年生たちが、息を切らしながら立ちあがると、
「始めい!」
再び、彼の掛け声と同時に、ノックが開始され、
…カキーン、カキーン、カキーン…!
「ひいっ!」
「ぶふうっ!」
再び、悲鳴と絶叫が響き渡ったのだった…
そして、彼らは、基礎的な守備練習、打撃練習が終わると、締めくくりとして紅白に分かれて練習試合を行った。こうして、その激しい練習は、日が傾くまで続き、下山した時には、すでに日は落ちていたのであった…
だが、その日の特訓は、まだ続いた…
「主将…日も落ちて、こんな真っ暗な中で、何をやろうと言うのですか?」
晴翔が尋ねると、
「今から、大志高校野球部名物の特訓を行うのだ…さあ、お前もこれを持って、持ち場へ行け」
鍋島は、かがり火の土台を渡して、指示を出した。
「これに火を灯してやるんスか…でも、これじゃあ、そこまで明るくはならないと思いますが?」
「素振りならば、できるだろう」
「なるほど、素振りっスね…だったら、問題ないっスよ」
と、予想より激しく無さそうな練習内容に、晴翔が安堵した様子を見せると、
「ふっふっふ…だが、ただの素振りじゃないぞ。あれを見ろ!」
鍋島は、とある場所を指差した。そこでは、先輩たちが薪を運んでは、大きな木組みの囲いの中に、それをセットすると言う作業が繰り返されていた。そして、その横には、どこから持ってきたのか見当がつかないぐらいの巨大な太鼓が設置された上、さらに、先輩の一人が、ふんどし一丁で、ねじり鉢巻姿で現れたのだった…
「おお、あんな大きな太鼓まで持ち出して…もしかして、素振りだとか言って、人を脅しといて、実はキャンプファイヤーしながら、お祭り騒ぎしようって腹なんじゃないんスか?」
そう言って、晴翔がニヤニヤすると、
「まあ、楽しみにしておけ…」
彼は不敵な笑みを見せながら、木組みの方へと歩み寄っていったのであった。
そう、これこそが大志高校野球部名物の“火中の素振り”だった…
これは、木組みの囲いを中心に、部員たちが円を描くようにかがり火を置き、それら全てに炎を灯して、灼熱地獄の中で千本の素振りを行うものであった。そして、部員たちは、各自に渡されたかがり火の土台から燃え上がる炎を、球に見立てて素振りをすると言う、苛烈極まりないものだったのである…(注:とても危険ですから、決して真似をしないで下さい)。
鍋島が言うには、この“火中の素振り”は、単に正確なバットコントロールとバッティング時のヘッドスピードを養うだけでなく、精神面においても集中力と胆力を鍛えることも目的としているそうだ…
「かの有名なプロ野球の選手がしている「護摩行」みたいなものだ。それぞれが持つ炎に向かって、バットを振り抜け…いくぞ!」
鍋島が、燃え盛る木組みの真横に立って大声を発すると、それと呼応するかの如く、太鼓番が彼の掛け声に合わせ、夜空に向かって、その力強い音を鳴り響かせたのであった…
「イチ!」…ドォーン!
「ニ!」…ドォーン!
「サン!」…ドォーン!
鍋島の気合いの入った声と太鼓の音に合わせて、部員たちは、次から次へと力強くスイングした。
そして、素振りの回数がある程度進んだ頃…
「アチチ…バットが熱く成りすぎて、持てられねえ!」
優希は、思わず持っていたバットを離した…
「バカ野郎…バットが熱くなるってことは、炎の熱がバットに伝わっていると言うことだ。つまり、それだけお前のスイングが遅いってことだぞ…もっと気合いを入れて振り抜け!」
それを見た鍋島は、途端に怒声をあげ、
「よし、続けるぞ…せーの、ナナヒャクナナジュウナナ!」…ドォーン!
優希がなんとか、それを拾い上げると同時に地獄の素振りが再開された…
「真ん中にあるでかい木組みの炎の熱で、気が遠くなりそうだ…この素振りが、これほどまでに過酷なものだとは、思わなかったぜ」
と、晴翔は、思わずバランスを崩し、自身のスイングの軌道をズラしてしまったため、かがり火の本体にバットが当たり、炎が自身の身に降りかかったのだった。
「うわあ…俺の体が、燃えているっ!」
「おい、消火係…早く、消してやらんか!」
すると、鍋島の怒号に、消火係を担っていた先輩たちは、バケツに入った水を彼に向けて、一斉に放ったのだった。
…バシャアアアーーー!!!
「うおっ…今度は、冷てえ…ハ、ハックション!」
「気を緩めるから、そうなるんだ…千本を振り抜くまで、死ぬ気でバットを振らんか、このバカタレが!」
と、言い放つと、鍋島は何事もなかったかのように続けさせた。
「いいか…この精神の鍛練は、毎晩寝る前に必ず行うから覚悟しておけよ」
それを聞いて、
「お、俺たち…この合宿で、絶対に死ぬな。間違いなく…」
晴翔は、大の字になって、その場で気絶したのであった…
そして、地獄の特訓の日々は続いた…
だが、晴翔たち一年生は、脱落者が出るどころか歯を食いしばり、みんなと助け合い、痛みを分かち合いながら、必死に耐えたのであった。それは、彼らの甲子園への夢に賭ける思いが強かったからである…
「さあ、あと1本で1000本目だ…締めくくりに、全ての力を出し切って、ラストを飾るぞ」
強化合宿の最終日を明日に控えた部員たちは、最後の特訓メニューとなった“火中の素振り”を、いよいよ終えようとしていた…
「あと一振りで、最後か…」
そう考えた瞬間、晴翔は、ぐっと何かがこみ上げてくる感情を覚えた。だが、それをぐっと押し殺すと、眼光を鋭くさせ、意識を一点に集中させたのだった…
「持てる力を出し尽くして、見事に有終の美を飾ってやるぜ」
そして、大きな太鼓の音と共に、彼の持つバットは、目にも止まらぬスピードで、かがり火の芯を貫いた。すると、そのかがり火は、瞬く間に消し飛び、細く長い白煙を空へ空へと伸ばしたのであった…
「す、すげえ…バットの風圧だけで、火が消えちまったよ、おい!」
それを横で見ていた部員たちは、歓喜の声を上げながら、晴翔を称賛すると、
「今、確かに、空を斬り裂く音が聞こえた…まさか、奴は、常人では計り知れないほどの力を、その身に秘めているとでも言うのか」
燃え盛る木組みの炎の真横から、その様子を見ていた鍋島は、無意識に額から頬にかけて、一滴の汗を伝わらせたのだった…
強化合宿の最終日…
大志高校野球部は、最後の交流試合の相手である河上高校と激しい投手戦を繰り広げていたのだった…
「あーあ…ついに、9回の表ツーアウトで、ここでの遠征試合も終わりか」
優希は、そうぼやき、
「この合宿で、何校とも交流試合をしてきたが…結局、俺たち一年生は、出番なしで先輩らの応援ばっかりかよ」
と、続けると、
「仕方ないさ…実力の上でも、先輩たちの方が何倍も上なんだからな」
傍にいた玄奘は、そう言って、彼をたしなめた。
「ああ、ちくしょう…早く、あの地獄の特訓で大幅にパワーアップした力を試してみたいぜ」
と、優希が、ぶつぶつと文句を言っていると、今までノーヒットノーランのペースで投げてきた河上高校のピッチャーである加藤行長が、急に制球を乱し、フォアボールで大志高校のランナーを1塁に出してしまったのであった…
「3回の裏、加藤自身のソロホームランで、0-1でうちが負けている状態…俺たちにとって、またとないチャンスだが、奴の豪速球の前に、今日の俺たちは、まったく当たっていない…」
そう言って、ごくりと生唾を飲んで辺りを見渡した時、鍋島は真剣な眼差しで試合を見入っている晴翔を見て、目を光らせた。そして、
「虎頭!」
ふいに彼の名を呼んだ。
「代打だ…いけそうか…」
「はい…」
晴翔は、短く答えると、
「よし…いって来い!」
鍋島は、彼の肩をポンと叩いて送り出したのだった。
「ああ…何で、晴翔なんだよ。何で、俺じゃねえんだよ!」
「いいから、少し黙っていろ…今、うちにとって、大事な場面なんだぞ」
頭を抱えて悔しがる優希を見て、玄奘は真剣な目で彼を叱った。
「ふう…交流戦のデビューが、こんな大事な場面での登場だとは…」
晴翔は、大きく息をつくと、バットを力強く構えた。すると、
「一年坊主に、俺の球が打たれてたまるか」
加藤は、みるみるうちに目の色を変えた。そして、力強く第一球目を放ったのだった。
「うっ!」
その際どい外角低めのコースに、晴翔が小さく呻いた瞬間、ボールはキャッチャーミットに鋭く突き刺さった…
「ストライク!」
「は、速い…なんて球だ…」
彼の心拍数は、徐々に高まっていったが、
「落ち着け、虎頭…お前なら打てる。自分の力を信じて、振り抜くんだ」
大志高校野球部たちの声援が聞こえると、
「仲間の声援って、こんなにも心強いもんなんだな」
すぐに冷静さを取り戻し、再びバットを構え直したのだった。
「打つ気まんまんだな…憎ったらしい野郎だぜ」
加藤は、そうこぼすと、鬼のような形相で第二球を投げた。
「こ、今度こそ!」
晴翔は、そのボールを打とうとフルスイングした。だが、ボールは、バットの手前で伸び上り、それをすり抜けると、再びキャッチャーミットへ突き刺さったのだった。
「ストライク、ツー!」
「ホ、ホップしただと…」
彼は、思わず天を仰いだ。だが、それを見て、
「ドンマイ、ドンマイ…タイミングは、ばっちり合っているぞ」
大志高校野球部たちは、大きな声を出して、晴翔を激励したのだった。
「何て、鋭いスイングだ…今までやりあってきた中で、あれほどのシャープなスイングをする奴は見たことないぜ」
加藤は、ふいに嫌な予感に襲われた。しかし、
「一年坊主を恐れて、エースが務まるかよ」
それをぐっと飲み込むと、
「さあ…こいつで、シャットアウトだ!」
渾身の力を込めて、第三球目を投げたのだった。それに対し、
「うおおおっ!」
晴翔も負けまいとバットを振り抜いた。すると、そのバットは、芯でボールを捉え、レフト方向へ大きく弾き返したのであった…
「やった!」
大志高校野球部たちの歓声と共に、ボールは、ファールラインぎりぎりに落下すると、さらに奥へ奥へと跳ねていった。そして、ファールラインを割り、勢いに任せて、あらぬ方向へ転がっていったのだった…
「深いところまで、転がっていったぞ…回れ、回れ!」
三塁ベースコーチが、腕をぐるぐる回し、
「決めてしまえ、ランニングホームランだ!」
晴翔に発破をかけると、
「よっしゃあっ!」
彼は、三塁ベースを思い切り蹴って、ホームに突撃した。
「なめやがって、クソ一年が!」
河上高校のレフトが、ようやくのことでボールを拾うと、躊躇することなくダイレクトで、レーザービームを放ってきたのであった。
「突っ込め!」
「おうよ!」
味方の掛け声のもと、晴翔はジャンプして、ヘッドスライディングを仕掛けた。
「そう簡単に、逆転などさせるか!」
河上高校のキャッチャーは、レフトからの送球を受けると、すぐさま彼を阻止しようとした。そのため、ホームベース上では土煙が上がり、激しいクロスプレーとなった…
「…」
そして、数秒間の静寂な時間が流れたが、
「セーフ!」
「やった…逆転ランニングホームランだぜ!」
主審の判定に、大志高校野球部たちは、力強く総立ちし、喜びを分かち合ったのだった。こうして、彼らの強化合宿は、大きな成果と共に幕を閉じたのであった。




