第40話:見えざる処刑人と、変わらない日常
数日後。本社最上階の大会議室。
結城専務や白鳥室長をはじめとする経営陣が揃う役員会議の場に、外資系ファンド代表・斑目恭一は、数名の弁護士を引き連れて堂々と乗り込んできた。
「結城専務。もはや無駄な抵抗はおやめなさい。あなた方の防衛策はすべて潰えた。大人しく、我々のTOBを受け入れて経営陣を総退陣していただこう」
斑目は、勝利を確信した傲慢な笑みを浮かべ、長机の反対側から結城専務を見下ろした。
「……斑目氏。我が社はまだ、屈したつもりはないがね」
結城専務が静かに答えると、斑目はフンと鼻で笑い、鞄から一枚の書類を取り出して机に叩きつけた。
「強がるのもいい加減にしろ! 我々はすべて掴んでいるんだよ。……あなた方が裏で進めていた、A社との『極秘のホワイトナイト提携計画』の全貌をな!」
斑目の言葉に、会議室の空気がピーンと張り詰める。
「残念だったな! その提携が発表される前に、我々はすでに海外のダミーファンドを経由して、損失が出ないように持ち株の大半を『高値で売り抜け』させてもらった! もう我々に金銭的なダメージを与えることは不可能なんだよ!」
斑目は勝ち誇り、己の行動を包み隠さずひけらかした。
もはや、敗北した経営陣など恐るるに足らずと、完全に油断しきっていたのだ。
しかし。
「……斑目代表。今の発言、確かに記録させていただきました」
それまで黙って座っていた白鳥室長が、ゆっくりと顔を上げ、冷徹な死神のような笑みを浮かべた。
「な、なんだと……?」
「あなたが『未公開の重要事実(A社との提携)』を知った上で、損失を回避するために株式の売買を行ったという、明確な自白です。……ご苦労様でした」
白鳥が懐からボイスレコーダーを取り出した、まさにその瞬間だった。
バンッ!!
大会議室のドアが勢いよく開かれ、スーツ姿の屈強な男たちが次々と雪崩れ込んできた。
「証券取引等監視委員会(SESC)です!! および、警視庁捜査二課!! 斑目恭一氏ですね、金融商品取引法違反(インサイダー取引)および、株主に対する強要罪の容疑で、同行願います!!」
「なっ……!? き、貴様ら、なぜここに……!?」
斑目の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「どうしてって、私たちが通報して、ここにご案内したからですわ」
捜査員たちの後ろから、紗耶室長が冷ややかな目をして進み出た。
彼女の手には、分厚いファイルの束が握られている。
「あなたのファンドが、いつ、どの海外口座を経由して、どのタイミングで不自然な空売りや売り抜けを行ったか。……それらの口座の動きと取引記録の『完璧なエビデンス』は、すべてこちらで押さえて、当局へ提出済みです」
「ば、馬鹿な……! 海外のダミー口座の資金の流れを、どうやってお前らごときが追跡したというんだ……!?」
斑目が絶叫する。
彼らの不正な資金ルートを完全に特定したのは、社内の人間ではない。
新橋の赤提灯を拠点とする、裏社会の資金洗浄の手口を知り尽くしたゲンさんと、複雑な海外法人の登記と契約書を完璧に読み解くマキさんという「特級の裏のプロ」たちの執念の調査によるものだった。
「罠だ……! これは罠だ!! A社との提携自体が、俺をハメるための偽情報だったんだな!! くそっ、騙しやがって!!」
斑目は発狂したように暴れ、弁護士たちも慌てて彼を取り押さえようとするが、もはや後の祭りだった。
完璧な「ロジック(ダミー計画)」と、隙のない「エビデンス(口座記録)」。
そして何より、斑目自身の「強欲」が引き金となり、彼は逃げ場のない地獄へと落ちていった。
「連れて行け!!」
捜査員たちに両腕を掴まれ、無様に引きずり出されていく斑目。
その光景を、白鳥は深く息を吐き出しながら見送った。
「……チェックメイトだ。これで私のストックオプションも、会社の未来も守られた」
白鳥の脳裏に、この完璧な処刑劇の絵図を描き、恐るべき無能のルアーを操った「一人の事務職OL」の顔が浮かぶ。
『佐々木奈緒……。彼女だけは、絶対に敵に回してはいけない。いや、一生私のアシスタントとして囲い込みたいくらいだ』
戦慄と深い敬意を抱きながら、白鳥は結城専務と静かに頷き合った。
***
同時刻。
ホテルのスイートルームで、ニュース速報を見ていた黒幕の男は、手にしていたクリスタルグラスを床に取り落とした。
ガシャンッ、と甲高い音を立てて砕け散るガラス。
モニターには、『外資系ファンド代表・斑目氏、インサイダー取引の疑いで逮捕』というテロップが大きく踊っている。
「……馬鹿な。あの情報が、罠だったというのか……!?」
男は、震える手でタブレットを掴み、再び佐藤、田中、美香のデータを見つめた。
「純度100%の無能……。意図的な罠のキャストとしては、絶対にあり得ない配役……。いや、待てよ」
男の背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。
「もし……この無能たちの『予測不能な暴走』すらも、すべて手足のように計算し尽くし、兵隊としてコントロールしている『見えざるバケモノ』が、あの会社の裏に潜んでいるとしたら……?」
それは、人間を盤面の駒としてしか見ていない男の理解を超えた、底知れぬ恐怖だった。
「……新橋の再開発からは、一旦手を引く。あの会社には、触れてはいけない『何か』がいる」
男はタブレットを放り投げ、深い絶望と敗北感の中で、闇の中へと姿を消した。
***
そして、その日の金曜日の夜。
新橋の路地裏にある、赤提灯が揺れる小さな居酒屋。
香ばしい焼き鳥の煙に包まれたこの「聖域」に、いつもの笑い声が響いていた。
「おうっ! 奈緒ちゃん、ニュース見たぜ! ハゲタカファンドの社長がお縄だってな! いやぁ、めでたいめでたい! 今日は俺の奢りだ、何でも食ってくれ!」
ねじり鉢巻の大将が、満面の笑みでジョッキをドンッと置く。
「ありがとうございます、大将。でも、奢りは結構ですよ。いつも通り、美味しいお酒が飲めればそれで」
私は、よく冷えたグラスに氷と焼酎を入れ、外を「白ホッピー」で勢いよく割った。
シュワシュワと弾ける泡が、一週間の――いや、これまでのすべての重圧とストレスを洗い流してくれる。
「しかし奈緒ちゃん、今回は本当にデカいヤマだったな。俺とマキちゃんの口座追跡スキルがなけりゃ、あのハゲタカの尻尾は掴めなかったぜ?」
隣の席で、ゲンさんが得意げに焼き鳥をかじる。
「本当に! 海外のペーパーカンパニーの登記を洗うのに、どれだけ徹夜したと思ってるのよ! プロの行政書士を舐めないでよね!」
マキさんが、枝豆を頬張りながら笑う。
「ふふっ、本当にありがとうございました、ゲンさん、マキさん。お二人のおかげで、私の『平穏な日常』と、この『聖域』を守り抜くことができました」
私は二人にグラスを向け、心からの感謝と共に、冷たい白ホッピーを喉の奥へと流し込んだ。
「ぷはぁっ……! 最高です」
会社は結城専務の派閥が完全に掌握し、盤石の体制となった。
白鳥室長も今回の功績で昇進が確実となり、私の部署(第3営業課)の解体計画は、完全な白紙に戻された。
週明けのオフィスには、きっとまた、おめでたい佐藤さんの自慢話と、田中さんのサボりの言い訳、美香さんのSNSの愚痴が響き渡るだろう。
『ええ、それでいいのよ。彼らが無能であればあるほど、私の「有能な防波堤」として機能してくれるのだから』
私は、完璧な笑顔で絶対にNOと言わない理想のOL。
理不尽なストレスには、客観的なエビデンスと社内ルールという「見えないギロチン」で静かにお返しをする。
「さあ、明日からはまた、快適なサボりライフの始まりね」
私は新しいホッピーを注文し、賑やかな赤提灯の喧騒の中で、誰にも見せない極上の微笑みを浮かべた。
次回更新は未定です。




