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事務職OLの華麗なストレス解消法  作者: tky@複数作品連載中


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第1話:金曜日の仮面と、聖域へのカウントダウン

午前9時:『埃吸い妖怪』の襲来


「佐々木さん、おはようございます。今日も朝からお綺麗ですね。でも、これじゃあ運気は逃げちゃうわよ」


金曜日の朝九時。オフィスの静寂を切り裂くように、ベテラン社員・市川さんのねっとりとした声が響いた。彼女は私のデスクの横に立ち、人差し指で私の電話機の受話器の裏側を、まるで鑑識のようにスッと撫でた。


「ほら、手垢。こんなところにまで埃が溜まってる。週末を前に身辺を清めないと、来週の仕事に悪影響が出ちゃうわよ。仕事はね、こういう見えないところの気配りから始まるの」


市川さんは、指先に付いた微かな埃を私に見せつけながら、誇らしげに鼻を鳴らした。


――運気じゃなくて、お前のその陰湿な小言が私のやる気を逃がしてるんだよ、お局妖怪・埃吸い。そもそも、その電話機、昨日お前が長電話してたせいで指紋ベタベタなんだよ。


腹の中では罵詈雑言が渦巻いていたが、私の顔は完璧な「微笑みの仮面」を貼り付けていた。


「あっ、本当ですね! 市川さん、ご指摘ありがとうございます。私としたことが、全く気が付きませんでした。さすが市川さん、視点が違いますね。すぐに拭き取ります」


私はデスクの引き出しからウェットティッシュを取り出し、大げさなほど丁寧に受話器を拭き始めた。市川さんは「ええ、気をつけてね」と満足げに頷き、自分の席へと戻っていく。


彼女の席の横には、「社内マナーマニュアル(昭和版・改訂不可)」が聖書のように鎮座している。よし、月曜日の会議で提案する『ペーパーレス化推進プロジェクト』のリーダーには、絶対に私が立候補しよう。そして、あのカビ臭いマニュアルをデジタル化という大義名分のもとに、電子の海の藻屑にしてやる。


午前11時:無能の具現化、佐藤課長


「あー、奈緒ちゃん、ごめんごめん! ちょっといい?」


市川さんの襲撃から立ち直りかけた頃、今度は佐藤課長が私のデスクに身を乗り出してきた。彼の手には、ヨレヨレのクリアファイルが握られている。


「これさ、来週の月曜日の朝イチの会議で使う資料なんだけど。ちょっと僕、これから会議立て込んでてさ。奈緒ちゃん、得意でしょ? 適当に、いい感じにまとめといてよ。月曜の朝までに頼むね!」


「いい感じ」という、世界で最も無責任で曖昧な指示。


――『いい感じ』ってのは、お前が今すぐその役職を降りて、退職願を叩きつけることだよ、無能の具現化め。月曜の朝までにって、実質今日の午後だけでやれってことだろ?


「はい、承知いたしました。月曜の朝イチですね。お任せください」


私は満面の笑みでファイルを受け取った。


「助かるよー! やっぱり奈緒ちゃんは頼りになるね!」


課長はホッとした顔で去っていく。私はすぐさまキーボードを叩き始めた。


『佐藤課長 お疲れ様です。先ほどご指示いただきました会議資料の件、承りました。つきましては、方向性の確認のため、以下の点で”課長のご意向”をお伺いしたく存じます。……』


完璧なビジネスメールを作成し、送信ボタンを押す。もちろん、CCには部長のメールアドレスをしっかりと入れた。これで言質は完璧だ。月曜日の朝、課長が「思ってたのと違う」と言い出しても、「課長のご指示通りですが?」と、このメールを印籠のように突きつけてやる。


午後2時:サボり魔の逃亡劇


昼休みが終わり、午後の気怠い空気がオフィスに漂い始めた頃。同期の田中が、やけに慌ただしくジャケットを羽織っていた。


「いやー、午後から急に外回り入っちゃってさ。新規のクライアントだから、気合入れないと。じゃあ、戻り直帰になるかもだから、後はよろしく!」


「あ、田中くん。いってらっしゃい。頑張ってね」


私は爽やかに彼を見送った。


――嘘をつけ。お前のブラウザの履歴、さっきまでパチンコ店の新台情報だったのを私は見逃していないぞ。会社支給のスマホにGPSアプリでも仕込んでやろうか。いや、それより……。


私は自分のパソコンの画面を切り替えた。そこには、田中が担当しているはずの、厄介なクレーム対応のリストがあった。


「あーあ、田中くん、忙しそうだし。私が代わりに『田中が責任を持って対応いたします』って、先方にメールしておいてあげようっと。同期の絆、だよね」


私は口角を上げながら、容赦なく送信ボタンを押した。週明け、彼がパチンコで負けた翌日に、激怒した顧客からの電話が鳴り響くのが楽しみだ。


午後4時:加工モンスターの涙


「奈緒さぁ~ん……ぴえん。このエクセルの数字、どうしても合わなくてぇ……」


私の背後から、甘ったるい香水と、猫撫で声が降ってきた。後輩の美香だ。彼女の目は涙ぐんでおり、手にはスマホが握られている。きっと、この「困っている私」を自撮りして、SNSの裏垢に投稿する気満々なのだろう。


「どうしたの、美香ちゃん? 見せてごらん」


「ここなんですけどぉ……。何回計算しても、エラーになっちゃって……。私、こういう細かいの本当に苦手でぇ……」


――そのスマホをいじり倒している指先は、ネイルを見せびらかすためじゃなくて、脳みその皺を増やすために使えよ、加工モンスター。


画面を見ると、単純な数式の入力ミスだった。小学生でも直せるレベルだ。


「あ、ここはね、このセルを参照してるから……ほら、直ったよ」


「わぁ! さすが奈緒さん! 神ぃ~! ありがとうございますぅ!」


美香はパッと顔を輝かせ、再びスマホをいじり始めた。


「美香ちゃん、来週から始まる新しいプロジェクトなんだけど……」


「えっ? 新しいプロジェクトですか?」


「うん。美香ちゃん、いつもSNSで素敵な写真アップしてるじゃない? だから、あのプロジェクトのSNS広報担当、美香ちゃんに推薦しておいたの。若者の感性が必要だからって。課長も大賛成だったわよ」


「ええっ!? ホントですか!? やったぁ! 私、頑張ります!」


美香は小躍りして喜んでいる。彼女はまだ気づいていない。そのプロジェクトが、炎上リスクが高く、少しでもミスをすればネットのおもちゃになる、責任重大な地雷案件であることを。月曜日、彼女のSNSがどう炎上するか、今から楽しみで仕方ない。


午後8時:聖域への帰還


「お疲れ様でした!」


定時のチャイムが鳴り、適当な残業を切り上げた私は、笑顔でオフィスを後にした。エレベーターに乗り、1階に到着した瞬間、私はハイヒールを脱ぎ捨てて走り出したい衝動に駆られた。


足早に向かったのは、新橋のガード下にある、煙と油の匂いが染み付いた赤提灯の居酒屋。ここが、私の「聖域」だ。


ガラガラと引き戸を開けると、店主の野太い声が響く。


「いらっしゃい! お、奈緒ちゃん、今日も一週間お疲れさん!」


「大将、いつもの! 白ホッピーセット、中多めで!」


カウンターの特等席に陣取り、おしぼりで顔を拭う。化粧が落ちるのも構わない。ここは、私が私に戻れる唯一の場所なのだ。


すぐに、ジョッキの半分まで焼酎(中)が注がれ、瓶の白ホッピーがドンと置かれる。


「ホッピー、お待たせ! 今日も頑張ったな!」


隣の席では、すでに出来上がっている見知らぬオッサンたちが、競馬の予想で盛り上がっている。


「おう、ねーちゃん! 今週もお疲れさん! 乾杯しようや!」


顔を真っ赤にしたオッサンが、自分のジョッキを掲げてくる。


「お疲れ様です! 乾杯!」


私は満面の笑みで、オッサンのジョッキに自分のジョッキをぶつけた。オフィスの作り笑いではない、心の底からの笑顔だ。


冷えたホッピーを喉に流し込む。強烈なアルコールと炭酸が、一週間の澱を洗い流していく。


――ぷはぁっ! 生き返る……!


名物のモツ煮込みをつまみながら、私はスマホのメモ帳を開いた。そこには『今週のクソ語録』というタイトルのファイルがある。


市川:「運気は逃げちゃうわよ」(お前の存在が私の運気を下げてる)


佐藤:「適当にいい感じに」(お前の人生が適当なんだよ)


田中:「直帰になるかも」(パチンコ屋からの直帰だろ)


美香:「ぴえん」(その口縫い合わせるぞ)


私は、その最後の一行に、力強くこう書き加えた。


『月曜日、全員地獄を見せてやる』


私はニヤリと笑い、オッサンたちの喧騒の中で、2杯目の「中」を注文した。


「大将! 中(ナカ)、おかわり! 今度はもっと濃いめで!」


私の週末は、今、始まったばかりだ。

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