EP 13
イエローカードと飴玉
【システム通知:月陽市民による『排斥投票』の中間結果を発表します】
月陽市の全域に、不気味な電子音が鳴り響いた。
市民たちのスマートフォンに配信された、両陣営の「支持率」と「ヘイト(反感)率」。その結果は、明確な数字となって戦場に叩きつけられた。
【陸上自衛隊・反感率:12%】
【米海軍SEALs・反感率:58%(※過半数突破)】
【ペナルティ:米海軍SEALs陣営に『イエロー(警告)』を付与。次点『レッド』到達時、隊員20名の強制退場を執行します】
「……クソッ!!」
高級ホテルのスイートルーム。
画面に点灯した真っ黄色のアラートを見て、エリアスが忌々しそうに壁を殴りつけた。
「港湾地区の一件が効いている。坂上の流したデマのせいで、月陽市民の過半数が俺たちを『街に地雷を埋めるテロリスト』だと認識しやがった」
「……見事な世論工作だ。ただの歩兵の分際で、情報市場のレバレッジ(てこの原理)を完璧に理解している」
ヨシマサはソファーに深く腰掛け、ブラックコーヒーを喉に流し込んだ。
だが、その目は全く笑っていない。
イエローカード自体には、まだ実害はない。
だが、これがレッドになれば、一発の銃弾も撃たずに精鋭20名を失うことになる。純粋な武力では最強を誇るSEALsが、ただの「市民のスマートフォンからのポチポチ投票」によって全滅の危機に瀕しているのだ。
「ヨシマサ。俺が自衛隊の拠点を一つずつ潰す。物理的に奴らを黙らせる」
「待て、エリアス。今は動くな。これ以上市民の目につく場所で暴れれば、一気にレッドカードまで行くぞ」
ヨシマサはタブレットを操作し、月陽市内の監視カメラ(赤山システムから購入した映像)のフィードを切り替えた。
「奴らの支持率を下げるか、俺たちが市民の好感度を金で買うしかない。まずは坂上たちの動きを見る」
画面に映し出されたのは、夕日町の地下工場周辺の市街地だった。
「よーし、今日のシフトも終わりだ! 飯食って帰るぞ!」
工場での日雇いバイトを終えた信長と赤城鷹人が、夕日町の商店街を歩いていた。
彼らの手には、ヴィクトルのボッタクリ弁当ではなく、商店街の肉屋で値切って買ったコロッケの包みが握られている。
「中隊長、見ましたかシステムのアラート! アメ公ども、見事にイエロー食らってましたね!」
「ああ。だが、ヨシマサの算盤野郎のことだ。すぐに資金に物を言わせて、月陽市のメディアやインフルエンサーを買収し、俺たちにヘイトを擦り付けてくるはずだ。油断はできねぇ」
信長がコロッケをかじろうとした、その時だった。
「危ないッ!!」
商店街のアーケードの改修工事現場。
古びたワイヤーが限界を迎え、ブチィッ!という嫌な音とともに弾け飛んだ。
数トンはあるであろう大量の鉄骨が、バランスを崩して路上へと降り注ぐ。
そして、その真下には——ボール遊びをしていて逃げ遅れた、地元の小学生の姿があった。
「——ッ!!」
考えるより先に、信長の肉体が爆発的な初速でアスファルトを蹴り飛ばしていた。
北辰無双我流の極限の踏み込み。
「中隊長!!」
赤城の制止も間に合わない。
信長は落ちてくる鉄骨の雨の中に飛び込み、子供を抱きかかえて地面に伏せた。
ガシャァァァァァンッッ!!!
轟音と土煙が商店街を包み込む。
静まり返った後、砂埃の中から咳き込みながら立ち上がる影があった。
「……ケガはねぇか、坊主」
「う、うん……お兄ちゃん、血が……!」
信長は子供を庇った状態で、落ちてきた鉄骨を自らの背中と、腰に差していた『日本刀(打刀)の鞘』で辛うじて受け止めていた。
しかし、その代償は大きかった。
ロシア商人から数百万で買い取ったばかりの特注の鞘は無惨に砕け散り、迷彩服は引き裂かれ、信長の肩からは鮮血が滴り落ちていた。
さらには、腰に提げていた通信機も完全にひしゃげている。
「中隊長!! 無事ですか!」
赤城が駆け寄る。
「……痛ぇ。お気に入りの迷彩服が台無しじゃ。おまけに通信機もパーだ」
信長は肩を回しながら、苦笑いした。
周囲の市民たちがワラワラと集まり、自衛隊員が子供を救った事実に拍手と歓声を送ろうとする。動画を撮ろうとスマートフォンを構える者もいた。
「おい、カメラは回すな」
信長は鋭い声でそれを制止した。
「俺たちは今、極秘の『訓練中』なんだ。動画に出ると上官に怒られるんでな。……行くぞ、赤城」
「でも中隊長、それじゃあ市民の好感度が……」
「アホ。自衛隊が国民守るんは当たり前じゃろうが。恩着せがましく点数稼ぎなんかするか」
信長は壊れた鞘から抜き身の刀を取り出すと、それを無造作に布で巻き、血を流したまま商店街の路地へと消えていった。
完全な「無報酬」。
数百万の装備の損害と肉体的な負傷という『莫大な赤字』を背負いながら、彼は一切の見返り(好感度や金)を求めずに立ち去ったのだ。
「……なぜだ」
その一部始終を、監視カメラの映像越しに見ていたヨシマサは、完全に思考を停止させていた。
「なぜ、恩を売らない。なぜ、投票システムのポイントに変換しない……!」
商社マンとして、資本主義の申し子として生きてきたヨシマサの脳内マトリックスが、激しいエラー音を鳴らしている。
人間の行動は、すべて「損得」でできているはずだ。
見返りのない行動など、この世に存在してはならない。
だが、目の前の坂上信長は、赤の他人のために自らのリソース(装備と肉体と金)を削り、無償の愛と自己犠牲を体現して見せた。
それは、ヨシマサの冷徹な世界観に対する、最大の侮辱であり——そして、彼が最も惹かれてやまない『強烈なバグ』だった。
「……ヨシマサ? どうした。お前の顔、少し……」
隣にいたエリアスが、怪訝そうに眉をひそめた。
ヨシマサの端正な顔が、怒りとも、歓喜ともつかない、酷く歪んだ笑みに支配されていたのだ。
彼は震える手で、ポケットからMRE(アメリカ軍レーション)付属のお菓子——色鮮やかな『飴玉』を取り出し、口の中に放り込んだ。
『損得無しの無償の愛をされると、そいつの為に、算盤を合わせ、弾きたくなる』
彼の中に眠る、狂気のスイッチ。
赤の他人のために平気で損を被るバカを見た時、ヨシマサは「そのバカが失った損害の何万倍もの地獄」を、敵対する対象にぶつけたくてたまらなくなるのだ。
ガリッッ!!!
スイートルームの静寂を切り裂く、飴玉が噛み砕かれる暴力的な音。
「……エリアス。銃を置け」
ヨシマサの冷え切った声が響いた。
「あいつらは、俺の計算を穢した。……もう遊びは終わりだ」
ヨシマサは手元のタブレットを開き、自らの口座残高——数千万という桁違いの資金のすべてを、月陽市のあらゆるインフラと市場に一気に投資し始めた。
「陸上自衛隊(JSDF)の猿どもを、完全に殺す。物理的な弾丸なんて生ぬるい。夕日町の工場、非公式市場、月陽市の全ての物流と現金を、俺が完全に『買い占める』」
飴玉を噛んだ市場の悪魔が、ついにその本性を現した。
ここから始まるのは、銃撃戦ではない。逃げ場のない、完全なる「経済封鎖」の始まりだった。




