第31話 「偽りの王子」
王都・記録局。
ノイルの身体は、静かに変質を続けていた。
以前のように血や肉から記憶を読むだけではなく、今は“気配”として、記録の残滓そのものに触れられるようになっている。
それは、壁に刻まれた文字の痕。机に残る筆跡の掠れ。誰にも読まれず、忘れ去られた巻物の間に落ちた埃の感触すら、ノイルの神経に網のように絡みついた。
──記録の“気配”が、視える。
それはある種の感覚拡張であり、スライムとしての柔軟性が極限まで進化した結果でもあった。
もはや記録という“文字”を読むのではなく、そこに刻まれた“意思”や“操作の痕”そのものを辿る術を得たノイルは、静かにその網を庁舎全体に広げていた。
そうしてある日、ノイルは違和感を覚える。
王族の戸籍記録――その一覧に、明らかな空白があった。
「……一人、足りない?」
家系図に並ぶ王族の名。
現王と、その二人の息子、ルシウスとカイル。
そして──その間に、一度だけ記録が上書きされた痕跡。
消された日付、削除された識別符。
完全な記録抹消。通常であれば、この“空白”すら辿れない。
しかしノイルの変質した感覚は、そこに微細な筆圧の乱れを見つけていた。
(これは……意図的に消されたものだ。しかも、かなり慎重に)
ノイルは、記録局の地下層に通じる小路を辿る。
その途中、彼女は“記録の商人”ザランディーンと再会した。
「どうやら、お前の網は思った以上に深く張られているようだな」
「ザランディーン、話がある」
ノイルは彼に、戸籍記録の空白について告げる。
ザランディーンは一瞬沈黙した後、低く語った。
「その空白は、以前から一部の者の間で“封印”と呼ばれていた。
王家に連なる者でありながら、その名も存在も認知されぬ者。
……“レオン”と呼ばれていた男だ」
ノイルの瞳がわずかに揺れる。
「存在していたのか、本当に?」
「確証はない。だが、その“封印”が行われた直後から、王城内部で大規模な記録の入れ替えがあった。
王子たちの血統証明や、継承順位の修正……そして、一部の古文書が“閲覧禁止指定”へと移された」
「それは……王の意志?」
「おそらくは。“消す”ことができるのは、命令と記録の両方を統べる存在だけだ」
記録局と、財政局、そして禁書庫。
それらを繋ぎ、全てを掌握できる唯一の人物。
──現王。
ノイルの中で、記録の断片が繋がっていく。
セレフィーネを消すために動いた命令。
王子たちの焦燥。
特記官たちの沈黙。
そして、戸籍から消された王族。
「“レオン”は、王子だった。だが、王にとって都合が悪い存在だった」
「あるいは、レオンこそが“真の後継者”だったのかもしれないな」
ザランディーンは静かに微笑む。
「その可能性がある限り、現王にとって彼は“存在してはならない”者だったのだろう」
ノイルはゆっくりと立ち上がる。
「記録が消されても、記憶が消えたわけじゃない。
ならば、“レオン”の存在も──拾い上げられる」
その声には、泥の底から這い上がった者の強さが宿っていた。
王族に刻まれた“空白”を埋めるべく、ノイルは次なる探索へと歩を進める。
誰にも知られぬ王子。
偽りの王家に消された、“影の継承者”。
──その名は、レオン。
ノイルはその名を、確かに記録の気配から掴んでいた。




