第32話 「封じられた名」
ノイルがその記録の気配を掴んだのは、王都南方、地下聖堂跡の最奥だった。
記録局にある王族の戸籍簿、その“空白”に刻まれていた名──レオン。
しかし、それは単なる失われた記録ではなかった。
それは“封印”されていた。
建国以来、歴代王族の血脈を綴る石版。
その一角にだけ、彫り直しの痕跡と、意図的な石灰の詰めがなされていた。
ノイルの指が触れると、微細な震えが泥の感覚に伝わる。
(これが、“レオン”)
そのときだった。
「何者だ」
重く響く声。
聖堂の影から現れたのは、銀髪の老人だった。
その姿に、ノイルは一瞬だけ記憶を探る。
──セレフィーネの中に残された、古い記憶。
礼拝堂での剣の稽古。
厳しくも優しい声。
『姫様は、王家の柱として立たねばならぬお方です』
(……ガロス・ベイルハート)
記憶の断片が、目の前の人物と一致する。
王家に仕えていた剣士。
そして、セレフィーネの教育係。
「レオン様に近づくな」
ガロスの剣気が、静かに広がる。
ノイルは警戒しつつも、一歩引いた。
「私は……敵ではありません」
「ならば、その姿を解け。人の形を借りるな。お前は“何”だ」
問いに対し、ノイルはしばし黙し──そして答えた。
「泥の化け物。記録を食らう者。そして、姫の記憶を継ぐもの」
ガロスの瞳が細まる。
「セレフィーネ様の、記憶を……?」
ノイルは頷く。
「姫は殺された。そして、私はそれを受け継いだ」
しばしの沈黙。
その間に、風が聖堂を撫でる。
「……ならば」
ガロスは剣を収めた。
「レオン様を“消された存在”のままには、しておけまい」
ノイルは問いかける。
「なぜ、彼は封じられたのですか?」
ガロスは遠くを見つめるように語り出す。
「レオン様は、第三王子として生まれた。だが、現王の後妻の子だった。王位継承権は低く……だが、才知に溢れ、民に愛された」
「そして、排除された」
「記録の上では、最初から“いなかった”。彼を知る者たちもまた、口を封じられ、あるいは……消された」
ガロスの声音に、わずかな怒りと悔恨が滲む。
ノイルは静かに言った。
「私は、“逆記”を使える。記録を喰い、掘り起こすことで、彼の存在を“証明”できる」
「それが、可能ならば……レオン様は再び“王家”の名の下に立つことができる」
「そのために、協力してくれますか?」
ガロスはわずかに息を呑み、目を細めた。その瞳には、長い沈黙の果てにようやく見つけた希望の色があった。
「……もちろんだ。あの方は、正しくあるべき方だった」
その声は誓いであり、遺志の継承でもあった。
ノイルはその視線を正面から受け止め、心の奥で形なき笑みを浮かべる。泥でできた己の身は脆くとも、記録と記憶を喰らい続ける限り、殺されはしない──そういう暗喩を胸に秘めながら。
そして決めた。次の行動を。
“レオン”を、もう一度この世界に刻みつけるために。




