第20話「補正の起点」
王都の中心部。中央記録塔。
幾重もの警戒網と魔術障壁に包まれたその塔は、国家の心臓部と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。
王家の血脈、歴代の政策、そして歴史そのものが書き記され、守られ、必要に応じて“正される”場所。
ノイルはその塔の麓にいた。
蝙蝠通りの地下から続く旧水路――公式には閉鎖された導線だったが、今なお微かに“通気”があることに気づいた。
過去にザランディーンが提供してくれた古地図を頼りに、ノイルは一日を費やして経路を辿った。
塔の基部、石造りの壁の一角に、かすかな記録模様の継ぎ目。
そこに、泥の身体が溶け込む。
ゆっくりと、静かに。
目立つことなく、魔術の探知網を避けながら。
記録模様の織り成す壁面に、ノイルは自らを重ね、擬態し、わずかずつ塔の内部へと滑り込んでいく。
*
中央記録塔の内部は、静謐の極みだった。
人の気配はない。代わりに、天井と壁面に刻まれた模様がわずかに脈動し、塔全体に“記録”が巡っていることを物語っていた。
ノイルは中層階を避け、記録魔術が集中する“補正の間”へ向かう。
分身体との連携。逆記の感覚。
幾重にも重なる情報の渦の中を、ノイルは慎重に進んだ。
塔の最奥。そこは巨大な球状の空間だった。
光のないはずの場所に、無数の“記録の灯”が浮かび、空中に宙吊りのように配置されている。
その中央に――仮面の継承者がいた。
記録官の装束に身を包み、無言で札を一枚ずつ選び、記述し、箱に納めている。
ノイルは気配を抑え、補正中の様子を見つめる。
目に映った札に、またひとつの名前が記されていた。
――カイル・アーデルリオ。
(……第二王子、次はお前か)
仮面の継承者がふと手を止める。
ゆっくりと顔を上げ、ノイルの方向を向いた。
「見ていたか」
声は、静かだった。
性別も年齢も掴めない。仮面の奥から響いてくるような響き。
ノイルは問う。
「補正は、ただの記録改竄じゃない……そうなんだな」
「記録は世界の骨格だ。ならば補正とは、構造の再定義に他ならない」
仮面の継承者が一歩近づく。
「一人の王子が記録から消えたなら、王家の形が変わる。記録に合わせて、歴史は変わる」
「そんなのは、ただの――」
「偽物だと?」
仮面が笑った。
「お前の名も、次の札に記される番かもしれない」
ノイルは身構える。
そのとき、仮面の継承者の手元に一枚の札が滑り落ちた。
ノイルはその札を拾い上げる。
――“セレフィーネ・レイエル・アーデルリオ”
もう、正式な記録には存在しないはずの名。
「どういう……ことだ?」
「消す前に、選ぶ必要がある」
仮面の継承者は札を取り返し、箱に戻す。
「“なぜ消すのか”、それを選べるのは記録官だけだ」
ノイルはその手に“逆記”を起動させた。
仮面の継承者の直近の補正――ルシウス、カイル、それらに至るまでの経緯が奔流のように脳内に流れ込む。
だが――そこまでだった。
塔の内壁が震え、魔術警戒が作動した。
「……もう限界か」
ノイルは身体を引く。
出口に向かいながら、最後に仮面の継承者へ問いを投げる。
「“ロドリクセイン”はお前の名か?」
仮面は答えなかった。ただ、わずかに首を傾げて見せただけだった。
その仕草は、どこか見覚えがある。
ノイルの中で、何かがかすかに繋がり始めていた。
*
塔を脱し、夜の風に当たりながら、ノイルは唇を噛む。
(補正とは、選択の操作。そしてそれは、誰かが“未来”を決めること)
ノイルの中に、新たな怒りが芽吹いていた。
記録に縛られた未来など、正義ではない。
「記録を塗り替える者が、真実を語るとは限らない」
ノイルは夜に消えた。
仮面を暴くために。
姫の意志を、決して“なかったこと”にさせぬために。
次回、第21話「仮面の素顔」へ続く。




