第12話「封鎖区画、記録は眠る」
記録局の庁舎内。夜半を過ぎた今、表の灯りは消え、人の気配も薄れていた。
だがその奥、厚く封じられた扉の前に、ひとりの男が立つ。
――ハルド・レンティウス。
その名を持つ中級官吏の姿は、ノイルが喰らい、模したものだ。
今はその皮を借り、記録局の最奥――封鎖区画へと踏み入れようとしている。
今日はノイルにとって“休暇”の日だった。
その自由な時間を使って、より深部への潜入を試みたのだ。
ハルドの記憶にあった、「定期封印点検」の情報をもとに、ノイルは印札を偽造。
扉に仕込まれた小型の魔印装置に滑り込ませると、封印術式が一瞬だけ緩む。
(今だ)
スライムとしての身体を極限まで圧縮し、隙間をすり抜ける。
柔軟で、無音で、記録にも残らぬ侵入。
中は冷気すら感じる静寂だった。
かすかに漂う古紙の匂い、刻まれた文字に眠る気配。
巨大な螺旋状の書架の奥、封鎖された記録が整然と並ぶ。
“抹消保留”――それらは、完全な削除を免れた、いわば“仮死”の存在たち。
ノイルはその中から、一枚の札を引き抜く。
――セレフィーネ・レイエル・アーデルリオ。
かつての主の名。
そして、そこには誰も知らぬ“記録された真実”が刻まれていた。
ノイルは静かに逆記を行使する。
札の魔力が反転し、奥へ、奥へと情報が“浮かび上がる”。
そこに記されていたのは、処刑の記録ではなかった。
――王国騎士団隠密分隊、出撃。
――対象:第三王女。護送任務に偽装し、“野盗の襲撃”として排除。
――命令者:識別コードにより秘匿。
――記録局にて記録抹消処理を実施。
――ただし、対象の記録の一部は、封鎖区画へ保管せよ。
(……これは)
ノイルの思考が走る。
(“消せ”と命じられた一方で、“残せ”とも命じられていた?)
記録局の矛盾。
命令が誰のものかは隠されていたが、形式上は“正当な命”として処理されている。
だから、騎士団も動いた。
王命として、何の疑念もなく“殺しに”赴いた。
ノイルの中で、ひとつの仮説が浮かび上がる。
(命令が誰のものかは関係ない。
“記録にそう書かれていた”――それだけで、国は動く)
セレフィーネの死は、誰かの意志で始まり、記録局の手で“現実”になった。
(記録は、ただの紙ではない。王命ですら超える、“現実の定義”だ)
そして、その“現実”を改竄する力を持つ者がいる――
記録局の内部、あるいはその上層。
(セレフィーネを殺したのは、剣ではなく、記録だ)
ノイルの胸に冷たい確信が刻まれる。
そのとき――
コツ……コツ……
足音。
封鎖区画の外から、明らかに“意図を持った”歩みが近づいていた。
ノイルは札を戻し、影の中に潜む。
粘性を帯びた身体を書架の影に同化させ、気配を完全に殺す。
やがて、重い封印扉が音もなく開いた。
そこに立っていたのは、仮面の男だった。
黒衣。覆面。
そして手には、漆黒の札。
“真抹消”――完全消去を意味する、記録局最深の命令札。
仮面の男は、誰の記録を消しに来たのか。
なぜ、この“保留”された封鎖区画に現れたのか。
ノイルは、音もなく、その動きを見つめていた。
――第13話へ続く。




