第11話「記録の協力者、名を識る」
夜の王都。記録局庁舎の裏手には、古い石畳と湿った苔が広がっていた。
人目を避けるように歩く影――ノイル。
だが、その姿はノイルではなかった。
かつて喰らった、どちらかと言えば印象の薄かった盗賊の男でもない。
その面影は一切残されておらず、性別すら変わっていた。
風に揺れる純白の外套。
深紫の瞳に、凛とした光を宿す少女――
かつて“白銀の姫”と謳われたセレフィーネ・レイエル・アーデルリオ。
その姿を、ノイルは完璧に模していた。
ただの変装ではない。
ヌルとして得た感覚、肌の弾力、髪の重さ、歩き方、呼吸の間合いに至るまで――
主を喰らったスライムは、かつての彼女を“生き写し”として再現する。
それは死の再演ではなく、あくまで問いを投げかけるための“象徴”だった。
(もし、彼が本当に記録を消したのなら。
それでも“セレフィーネ”に出会ったら、何を思う?)
ノイルは、自分の中に渦巻く感情を押し殺す。
これは罠ではない。ただの“試み”だ。
ハルド・レンティウス――沈黙の書庫で掴んだ記録の協力者。
その男に、真実を問うための仮面。
◆
彼は来た。
いつものように定刻通り、裏手の通用門から庁舎へ入ろうとしたその瞬間。
路地の奥、霧の隙間に揺れる“姫”の姿に、目を奪われる。
「……っ、姫……様……?」
かすれた声が漏れる。
ハルドの足が止まり、書類を抱えた腕が震え始める。
「……消した、はず……記録は、抹消されたはず……」
ノイルは一歩、近づく。
声は抑えめに、しかし確かに響く。
「私を、見たことがあるか?」
ハルドは震え、後ずさる。
言葉を発しようとして、喉が詰まる。
その表情に刻まれた恐怖と罪悪感は、真実を語っていた。
(……十分だ)
ノイルの身体が、静かに形を変える。
セレフィーネの姿が溶け、黒い粘膜のような影となり、ハルドへと伸びる。
叫ぶ暇はなかった。
ヌルとしての捕食。無音の圧迫。
数秒後、そこに立っていたのは、もう一人のハルド・レンティウスだった。
◆
記憶の波が流れ込む。
抹消命令の文書。
記録改竄の手順。
……そして、矛盾するもう一つの命令。
「セレフィーネの記録を、封鎖区画へ移送せよ」
それは、誰かが“抹消”ではなく、“保管”を選んだ証。
命令系統は秘匿された印章で遮断されており、発信元は不明。
だが確かに、その命令は存在していた。
ノイルは考える。
(セレフィーネの記録を、消したくなかった者がいた)
王子たちではない。
あるいは、王子の命に背いてでも“残す”意志を示した者――
その真意は、まだ見えない。
◆
“ハルド”として庁舎内に潜入したノイルは、次なる目的地を定める。
記録局の最奥。
普段は封鎖され、管理官しか立ち入れない領域。
そこに、封じられた“抹消保留”の記録が存在する。
ノイルはその場所に、セレフィーネを知るもう一つの鍵があると確信する。
次なる夜。
“ハルド”として庁舎内を進むノイルの目に、暗い封印扉が映る――
――第12話へ続く。




