恋のはじまり
※2021.11.6 文章、表現を一部変更しました。もしそれより前に見てくださっていた方がいらっしゃいましたら最初から見ていただけると嬉しいです。
…あ、知らない天井だ。
なんていう冗談は置いといて、流石に自分に何が起こったのかということは覚えている。ここは保健室だろう。
私はあの時、意識を失った。気付いたら私は雨宮くんの腕の中にいて、嬉しくなりすぎちゃったのよね。冷静に考えたらおかしいのかも、雨宮くんに引かれちゃったりしてないよね。
どのくらい時間が経ったんだろう、授業はもう始まってるのかな。朝遅刻して怒られちゃったのになぁ、変な人だと思われちゃってるかなぁ…
「あ、目が覚めたみたいだよ!」
「本当か!良かった…」
…え?1人の女の子が私の顔を覗きこんでいる。とても長い髪が私の手に当たってちょっとかゆい。柑橘系の良い香りがする。もう1人、男の子の声が聞こえたけど……頭がぼーっとしててちゃんと聞こえなかったなぁ。誰だろう…
「天河さん、大丈夫だった?本当にごめんね。俺がぶつかっちゃったから…」
「にゃあああああああああ!?!?!?!?」
雨宮くんが!雨宮くんがいる!びっくりしすぎて猫みたいな声出しちゃった!
「うわあ、ちょっとどうしたの!」
女の子が驚いた様子で声をかけてくる。あ、この子、高橋じゃない。どうしてここに・・・
「ご、ごめんなさいね…大丈夫よ。あなたたちが保健室まで運んでくれたの?」
「うん、そうだよ。まあ私は付き添っただけで誠也くんが運んでくれたんだけどね」
「え!?本当に雨宮くんが運んでくれたの!?」
なんで!なんで私は意識を失っていたんのよっ!一体どんな体勢で!どんな感じで運んだのよ!
「そうだよ、大丈夫?具合は?」
そう心配する雨宮くんにうっとりしていた私は、自分が失態をしたことに気づいていなかった。
「本当に?」
「...え?」
高橋さんがボソッと口に出したその言葉は先ほどまでと違う、冷ややかなものだった。
「ううん?なんか変な言い方と思っただけだよ?」
「あ、そうよね...ちょっと私も上手く言葉が出ていなかったみたい。ふふ」
「......?」
二人して笑顔を顔面に貼り付け牽制し合う。雨宮くんはなんのことかわかっていない様子なのは不幸中の幸いだった。というかこの女、こっわ...
「体調は大丈夫そうね?それじゃあ帰ろっか」
「そうだな、あと…天河さん」
雨宮くんがこっちをじっと見つめてきた。その真剣な眼差しに当てられてまた顔に熱が上ってくる。
「な、何かしら?」
「言うのが遅くなったけど、ぶつかってごめん。俺が不注意だったばっかりに…」
「いや、いいのよ!全然!私が悪かったの!」
「でも、気を失うくらいの衝撃があったわけで…」
興奮で気を失ったなんて言えるわけがない。罪悪感に苛まれて辛い。この場から消えたい〜〜〜!!!
「大丈夫だよ、誠也くん。ほら、全然問題なさそうでしょ?ね?鈴音ちゃん?」
す、鈴音ちゃん…?
「え、ええ。そうよ。問題ないからもうこの件はおしまい!…でいいわね?高橋さんもありがとう」
「えー、私のことも名前で呼んでくれて良いんだよ?って言うのもちょっと押し付けがましいかな?」
「………百合だったわね。はい、もう解散!」
百合の腹が読めないわ〜!助けて賢二〜!
―――――――
「なるほど、まあファーストコンタクトとしては十分だろう」
放課後、賢二と鈴音は天河グループビル内のカフェで落ち合い、何が起きたのかを話した。周りには誰もいないし、人はらいをしたのかもしれない。
「あんたバカなの?最悪でしょ?誠也様に申し訳が立たないわ…」
「でた誠也様。というかわかってないな。その罪悪感は鈴音だけが感じてるものじゃないんだぞ」
「わかってるわよ!それが問題なんじゃない!」
鈴音は少し涙目になりながらそう言い返す。女の子に泣かれると流石に申し訳なさが出てくるな……
「だからほら、誠也は確実に鈴音のことを意識するだろ?」
「ん……でも、雨宮くんには百合がいるから…」
「百合…?ああ、高橋さんか。それに関して一つ考えていることがあって…」
今まで話してきた中で気になったピースを心の中で整理してみる。
あいつと久しぶりに話して引っかかったことがある。それは、高橋さんとの恋愛話に全然食いついて来ないことだ。実際に付き合っているということがないのは見てわかるが、普段は温厚なのにあれほどまでに突き放すというのが謎だった。もしかしたら誠也は高橋さんといること自体気まずく感じているのかもしれない。
それにあの昼の時の言葉だ。
「そんなわけないさ。それに、そんな資格もない」
「……もう、大丈夫なのに」
誠也は“資格”と言った。付き合うことに資格が必要なのだろうか。答えは否だ。それに、高橋さんが過去に何かあったことを示唆している。
以上の点から、何か誠也は高橋さんに対して何かやらかしたことがある。という結論に至った。
「長々と説明ご苦労様。でも結局それで何が言いたいのよ」
この考えを鈴音に話すと即座にレスポンスしてきた。そりゃそうだ。だってこの言い方だと、鈴音に対しても付き合う資格がないかもしれないみたいに捉えかねない。
「なあ、教えてくれないか」
俯いたままの鈴音の肩を掴み問いかける。
「どうして、誠也を好きになったんだ?」
もっと早く聞くべきだった。最初に聞いておくべきことだったかもしれない。
長い沈黙が続いたが、鈴音は意を決したように話し始めた。
「…初恋だったのよ。私は嫌われ者だったから。生まれた時から私は社長令嬢で、この目立つ髪の毛で、そして出来がとても良かったわ。」
「おう、それは自慢か?」
「ええ。誇りすら持っているわ。天河の名に恥じない“私”という存在に。…だから、嫌われていたわ」
人は己より優秀な人に出会った時、必ずしも尊敬の念を抱くものではない。むしろ劣等感を抱き妬んだり僻むことの方が多いだろう。ましてやこの多感な思春期に。
「まああなたは私のことを馬鹿な女だと思っているでしょうけどね。恋心一つに狂ってしまう私のことを」
「馬鹿とは思わないさ。寧ろ安心するね。こいつは人間だって」
家の壁を壊したり妹を許嫁にしたりメイドを寄越してくるトンデモ人間でも、人間なのだ。
「多分、私は強い心を持っていないの。陰でこそこそと悪口を言われたり、靴を隠されたり、物を盗まれても何も感じていないふりをしていたけど、すごく辛かった。辛くて、辛くて、逃げ出したくなって、それが限界に来た時があったの」
「…そこで、誠也と出会ったと」
「…ええ。このビルの裏から行ける細道を行くと、小さい公園があるの。そこのブランコに座って俯いてた。そんなことしたってしょうがないのに。誰か助けてくれないかなって。そうしたら急に涙が出てきちゃって、止まらないの。その時偶然通りがかって、ハンカチを渡してくれたのが、雨宮くんだった」
鈴音の目には涙が浮かんでいた。
「私に何があったのかは聞いてこなかった。ただ、明日近くの中学校でサッカーの試合があるから良かったら見に来てって言って。そのまま走って行っちゃった。ちょっとびっくりしちゃって何も言えなかったんだけど、ハンカチを返すのを忘れちゃって。だから次の日の試合を見に行くことにしたの」
そう言って鈴音はハンカチを取り出し涙を拭った。もしかして…
「彼はとても楽しそうに、そして一生懸命にプレーしてることがすごい伝わったわ。相手の学校に追い込まれて劣勢になったり、チームメイトとの連携が上手くいかなくても彼は笑顔を絶やさずにいたのが印象的だった。すっかり目を奪われちゃって、気付いたら胸がキュッと締め付けられるような感覚になったの。なんか私、意地張って馬鹿みたいだな〜って」
そう言って鈴音は笑った。せっかく拭いた涙がまた出てきてしまうほどに感情を露わにして。
「…そうだよな、無意識のうちに好きになってるものだよな」
そうボソッと零した言葉はあまりにも僅かな声量だったが、それが聞こえたのか鈴音はただ一言、
「うるさい」
と呟き、いつもの笑顔に戻った。