第一七話 エピローグ
「ついに来月からメイちゃんも大学生か」
お気に入りの服を選別している手を止める。
ダンボールの中は黄色だらけだ。
好きな色で選ぶとついつい黄色ばかりになってしまうのは私の悪い癖。
「そう、大学生よ。18歳」
私にとっては大学生になったことよりも一八歳になったことのほうが重要だったりする。
だって、18なら大体どこへ行っても結婚できるでしょ。
「世の中狂ってるぜ。こんなに可愛い子が夜逃げするような薄情な男を追って海外へ行くなんて」
アンドレは神に祈る動作をおおげさにする。
あの人薄情だったかな、と考えてみるが私にとってはそうでもなかったんじゃないかな。
ただとても不器用で寂しそうな人。
「勉強沢山したもの。ていうかアンドレが人に勉強を教えられる知識があったことに驚愕だったわ」
彼は勉強だけではなく、私の戸籍もなんとかしてくれた。
ただの暇を持て余した滞在者かと思ったら、どこかの企業の子息だったらしい。
「すげえのは親父だよ」って言って未だに詳しく話すのは嫌いみたいだけど。
「段々レックに似てきた君が怖い。清純なままでいて欲しかった」
残念そうに言うけど、レックのお腹には今子供がいる。
「レックには言わないでよね。ただ海外の大学に行くってだけにしておいて」
レックはきっと反対する。私は、あの人の母国へ行く。
私は約束を守らない。待っているのは、子供の私だけだから。
「探しに行くのか」
アンドレの表情がくもる。この話題は、私達の中であまり好まれない。
「探さなくても会えると思うの」
私はなんとなくだけど、確信している。
黄色に白と赤を少しずつ足すとダンボールの箱にガムテープで封をした。
「俺が探しても見つからなかったんだぜ」
もう随分前から文句を言いつつも何度も探してくれているみたいだけど、あの人の足取りは全くつかめないでいる。
「私が探さないと見つからないのよ」
あの人は待っている人だから。ずっとずっと待っている人。
「なんだよそれ。何笑ってるんだよ」
アンドレは口を尖らせながらもダンボールを積み上げる作業を手伝ってくれた。
「メイ、アンドレ、ちょっと休憩しない? 」
大きなお腹のレックとマリアがやってきた。
「メイ、良かったらこれも持っていきなよ」
マリアの手には薄いピンクのストールが握られていた。
なめらかに光を反射するストールだ。高いものかもしれないな。
「それ、高いんじゃ……」
「いいのいいの。誕生日のお祝いも兼ねてるんだからさあ。メイはアタシの孫みたいなもんなんだよ」
私は有難く受け取ることにした。シルクの手触り。
マリアは本当に、私のおばあちゃんみたいで。時々泣いている私を見かけては朝まで抱きしめて寝かしつけてくれた。
「ありがとうマリア。大切にするね」
ストールを抱きしめる。懐かしい匂いがする。
「ご飯にしようか。色々作ったのよ」
レックが私達を呼んだ。並んで部屋を出る。
「メイ、もう荷造りはおわったの? アンドレじゃあ役に立たないでしょ」
「レックどうして俺に辛辣なの」
二人の会話に笑いながらも入れ忘れたものはないか考え直してみる。
「もうすぐ終わるよ。あと一つ最後に大事なものを入れたらね」
黒い箱。私は最後まで開けることがなかった。
開ける必要はないように思える。
これが彼にとっていちばん大切な物だったのなら、それを託された私はきっと――。
「大事な物って何よ」
レックがきょとんとして聞く。
「愛かな」
なにそれ、と皆が口々に言って笑った。私もおかしくなってしまう。
上を向くと、空が晴れている。どこまでも続く快晴。
あっちの空は、どんな色をしているんだろ。
もうすぐスコールの季節が来る。
ああ、あの、何もかもを連れてきては、唐突に連れ去ってしまう雨が来る。
「迎えに、いくからね」
私の声はドアの閉まる音にかき消された。
――――――――――
病室のベッドから男が立ち上がろうとする。
白いカーテンが荒々しく揺れ、換気の為に開けられた窓から雨が吹き込んできた。
手を伸ばすが届かない距離にもどかしさを感じつつも、体を窓の横の壁に押し付けて支えを得るとなんとか窓を閉めようとした。
まるで初めて歩き始めた動物の子供のようだ。
「マクラーレンさん何をしてるんですか」
その光景を廊下から目撃した看護師があわてて声をかけて駆け寄ってくるも、男は何の反応もしない。
自分が呼ばれていることさえ気付いていないようだった。
「マクラーレンさん、まだ起きてあまり時間が経ってないんですから一人で無茶はしないで下さい。無茶がしたくなったらリハビリルームでどうぞ」
看護師は男の顔を覗き込んで注意をすると、手早く窓を閉めて再び男をベッドに戻した。
男は初めて自分に呼びかけていたのか、と気づいた様子で看護師の手を借りながらも横になる。
「マクラーレン、何度呼ばれても中々反応ができなくて。すみません」
「仕方ないですよ。まだ記憶が戻っていないんですもの。でも、一時的なものだとドクターも言っていたので心配なさらないでくださいね。何年も意識が戻らなかったのに、意識を取り戻しただけでも奇跡なんですよ」
看護師は優しい眼差しを向けた。ナースコールを手に取ると「お困りのことがありましたらこれを使って下さい」と念を押す。
「あ、すみません」
看護師が去ろうとする後ろ姿に男は声をかけた。
「なんでしょう」
「カーテンを、開けておいて貰えませんか」
「ああ、暗いですか? 病室」
再びカーテンに手をかけるとシャッという音と共にガラスを打ち付ける雨が視界に飛び込んでくる。
「いや。雨が見たくて」
雨? と怪訝そうな顔をする。
「雨を見てるとなにか懐かしいんです」
「何か思い出せそうですか? 」
ドクターを呼ぼうかと看護師は思ったが、男がそれを遮って言葉を続けた。
「ただの雨じゃなくて、スコールが」
今日の天気予報では晴れの予定だった。
「スコール、ですか。ドクターに報告しておきますね」
それだけ言うと、看護師は廊下を足早に戻っていった。
「正確にはスコールの後の晴れが好きなんだけどな。何か良いことが起こる気がするんだ」
男はつぶやくがそれを聞いているものは誰もいなかった。
空はもうすぐ、晴れるだろう。
――そうしたら窓を開けて空を見よう。男はそう思った。