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ダンジョンのカギ貸します!  作者: サイミ・ヨージ
第2章 「ダンジョンはじめました」
9/15

プロローグ

 「では、次の人を呼んできますね」



と言うとセラは部屋を出て行った。



丈の長いカーペットがヒールの音を隠す。



溜息をつくとアユムは背もたれに体を預け、天井を仰いだ。



等間隔で穴の開いた天井パネルが見下ろす部屋は四方の壁紙とあわせて灰色一色でまとめられていた。



備え付けの椅子や机なども白一色で、無個性というよりもどこか無機質な感じだった。



快適なことに室温は一定の温度が保たれていて、冷房の為か、低い機械音が絶えず唸り続けている。



(・・・。)



こうして親しみのない部屋でパイプ椅子に一人もたれていると、アユムはふと、どうして自分がここにいるかの理由を忘れてしまいそうになる。



今アユム達が『面接』をおこなっているN田市商工センターはG馬県N田市にある。



この地域の商工会議所の寄り合い所となっている公共的な建物である。



会議室のレンタルもおこなっており、アユム達が今いる『鶴の間』も二時間5000円でセラが手配してくれたのだった。



ここでアユム達は一時間前から『面接』を行っている。



これまでに会った応募者は6人。



それぞれ個性的でかつ面接など経験したことがないアユムにとっては一人あたり十分間の真剣な会話のやりとりは気をつかう点が多く、今、後頭部に響くような疲れを感じていた。



(おれ・・・何やっているんだろう・・・)



アユムはため息をついた。



ことの始まりはアユム達が洞窟を見にいった一週間前に飛ぶ。





・・・。



「はい、アユム様、もうすぐ見えてきますよ」



セラの運転する軽量ツーシータ-のオープンカーは赤い残像を残して100キロで県道145号線を疾走していた。



ここG県は国内でもっとも森林の残る秘境県として知られていて、確かに行き交う車も少ない。



新しく出来たバイパスである国道145号線は高速かと思うぐらい直線が続いて、アスファルトの舗装も黒々と艶めいていた。



「ちょっ、ちょっと早くありませんか!」



「早いからこそスポーツカーと言うのですよ」



栗色の長い髪を風に遊ばせながら、セラは笑みを浮かべるとさらに足を押し込んだ。



2000CCのエンジンは咆吼をあげ、さらに速度を増した。



アユムの目の前で世界がすぼまっていく。



「ひええ」



そのあまりのスピードにアユムも縮こまる。



とても外を見るどころではない。



晩夏とはいえ真昼の日差しは強烈で、肌を撫でる風の気持ちよさはある。



しかし今や風は表情を変え、頭上でうなり声をあげてアユムの髪を掻き毟っている。



怖い、怖い。



「ちょっ、ちょっとほんとにはやいー」



いつのまにかアユムは情けない声を出していた。



「・・・ところでアユムさま、休学届けは出してきましたか」



セラもさすがにまずいと思ったのか足を抜き、少しスピードを落とすと質問を投げてきた。



「あ、はい。昨日提出しました」



アユムは昨日行った学生課の事務員を思い出していた。



『休学』自体の手続きは簡単で、決められた用紙に『日時』『名前』『期間』『理由』を書いて提出するだけだった。



とりあえずアユムは『期間』を一年間とし、『理由』をセラに聞くと『インターンシップ』がいいのではないかと言っていたのでそう書いた。



そして当日、受付のカウンターで何か理由をつけて断られるんじゃないかとアユムは戦々恐々としていたのだが、



年配の男の事務員は『インターンシップ』と書かれた理由を見ると、フンと鼻で笑い、



『許可』と大きく作られた印鑑を押した。



あまりのあっけなさに拍子抜けしたアユムは礼をするとすぐ出て行こうとしたのだが、



「ちょっと」



とその事務員に呼び止められた。



「はっ・・・はいい!」



かといって、アユムが心配したような取り消しなどはなく、



事務員はすこし怪訝な顔をしたあと、休学の延長をしたければ一ヶ月前に来ることを忘れないでと言ってきただけだった。





・・・。



「まあ一年もあれば『ダンジョン開き』のめどもたつと思います・・・が・・・」



セラはそう言うとちらりとアユムの方を見て示すように急に左手をあげた。



「それよりもアユム様、隣に見える田園風景の奥に山が見えますか?」



道から盛下がった平野には田んぼがタイルのように隙間無く器用にしきつめられている。



そしてその向こうに裾を陽光に霞ませて、ゆるやかに雑木林が空にせり上がっていた。



『A間山』だった。



「はい見えます」



「あの山のふもとにアユム様のダンジョンがあります」



「あそこに・・・」



アユムは目を凝らしたが、八月の陽光は目を見開くことを禁止するかのごとく厳しい。



たまらずアユムは目をそらす。



セラはアユムが確認したのに満足したのか、また足を押し込んだ。



エンジンの咆吼に続き、再びアユムを包む風がうなり始めた。



・・・。



国道は曲がった途端から農道となり、さらに狭まってあぜ道になった。



「ここからは少し歩きます」



さすがのセラでも畦は車で走れないので、近隣の農家に混じってすこし広くなっているところに車を止めると二人は山へと向かって歩き始めた。



「少し・・・ね・・」



アユムの目には『A間山』の裾野までは国道から見たよりもどこか距離があるように見えた。




あげく、あたりは田んぼで一切の日陰が無く、厳しい晩夏の日差しから逃げようがない。



どこからか聞こえ来るやかましい蝉の音に囃されながら二人は無言で田んぼの畦を歩いていた。



「しまった・・・・」



あぜ道は昨夜の雨で湿っていて、ときどき出来たぬかるみがくりかえしあゆむの靴をつまんでは離さない。



そのたびにアユムのスニーカーが淡いグリーン色から土色に染められていく。



「ひええ・・・・」



「あらあら、アユム様」



セラはと言うと用意がいいことにトランクから長靴を取り出すと、はきかえている。



そのピンク色の長靴もすっかり泥で汚れていた。



アユム達が進むにつれて几帳面に手のかかった田んぼの風景はところどころで姿を変えた。



整列した稲穂の列は姿を潜め、今、アユムの斜め前や隣には乱れきった草むらが広がっている。



そしてさっきまでの土の焼ける臭いに混じって淀んだ水の臭いがする。



「『放棄田』ですよ。このあたりは山の関係で日当たりが悪いのですよ」



「ふーん」



アユムは田んぼの変わり果てた姿を見た。



なるほど、ひび割れた地肌は粘土で田んぼの名残がある。



「昼を過ぎると山に日差しが隠れてしまいますのでここではあまり育たないのですよ」



アユム達が山に近づくにつれて放棄地は増えていき、いつしかそれらは鬱蒼とした雑木林に姿を変え、緩やかな斜面が始まった。



「ほら、あそこですよ」



無言で斜面をしばらく登ったあと、目の前の木々の檻にとじこめられた暗がりをゆび指してセラは言った。





・・・。



木々に囲まれて、えもいえぬ涼しさの中でアユムは『ダンジョン』と対面していた。



雑木林の中は真夏の暑さを適度に木の葉が遮って快適だった。



「これが、僕のダンジョン・・・」



盛る日差しを虫食って、木陰が畳一畳分ぐらいの大きさの入り口に軽くかかっている。



入り口は土を抑えるように分厚い木で四方を固定されており、中は完全な暗がりになっていて窺えない。



この場所だけ他より木の葉が薄く、日が入り込むせいか、あたりにはちょこちょこと膝ぐらいまでのびた雑草が茂っている。



「写真で見たとおりだ」



「・・・。」



「セラさんどうしたんですか」



感慨にふけっているアユムを脇に、セラはというと先ほどからどうも様子がおかしい。



屈んで雑草をかきわけると、地面を目で追っている。



その横顔はセラらしくなく、筋をひく汗に混じってどこか動揺が張り付いている。



アユムはセラの横につくとその目線を追った。



「足跡・・・」



目の前には草を踏み分けてスニーカーか靴跡が散っていた。



それも一つではない。



「すみません、アユム様、ここよりは私が先行してもよろしいですか」



セラは立ち上がると入り口を前にしてアユムに言った。



「えっ・・・はい、別に大丈夫ですけど・・・」



アユムは動揺を隠せなかった。



「どうかしたんですか」



「いえ、まだ確かではないのですが・・・先入者がいるようです」



セラはそう言うと入り口へと足を進める。



足跡は洞窟まで続いており、入り口の中にまであった。



暗がりに一歩、二歩と続き、三歩目で今閉じている扉でちょん切られている。



セラが言うには扉には鍵がかかっていたはずなのだが、今、ノブに掛かる金具に南京錠は見あたらない。



「アユムさま・・・ここからは私の後ろから離れないで下さい・・・」



いつになく厳しい顔をしてセラは懐中電灯を鞄から取り出すと扉を開いいた。



金具がこすれる鈍い音があたりにひびきわたる。



そのとき、ふっとアユムの鼻に独特の、あの湿気の混じるダンジョンの風が吹き付けてきた。



夏の日差しに疲れたアユムの目には、前に広がる洞内の闇はどこか沼のように底知れず、恐ろしく感じられた。





・・・。



「誰かいますかー?」



どこか鋭さを含むセラの呼びかけはしばらく洞内を漂った後消えた。



意外なことに洞窟の中はひょうたんのように急激に膨らんでいる。



確認の為にセラがまわす電灯の芯が離れた壁にやけに小さく浮かぶ



セラ達は慎重に一歩一歩確かめながら洞内を進んでいった。



そのときだった。



「あっ!セラさん、あれ」



アユムが指さした方向には人間大の石が転がっていた。



何か違和感を感じて、あらためて目を凝らすとその石の横に何か転がっている。



人間の足だった。



「ひっっ!ん~!!」



悲鳴をあげようと息を吸うアユムの口をセラの手が塞いだ。



セラは口の前に指を立て、『音を立てないように』の身振りをしている。



不意にセラに抱かれるような形になって、セラの汗か、アユムは何か艶めかしい匂いを感じる。



勃発した恐怖のあと、セラの匂いのおかげで平常心を取り戻したアユムはセラにこくこくとうなずいて見せた。



「アユムさまは見ていてて下さい」



電灯をあてながらセラがゆっくりと足音を消して近寄ってみると、岩陰よりはみ出ていた足は確かに人の足だった。



横に回ってみると薄いマットレスを下に敷いて、若い金髪の男がタンクトップ、トランクス一丁でその上に転がっている。



『死体』



ふとその二文字がアユムの脳裏をよぎったときだった。



「んん」



突然、声を発しながら男は寝返りをした。



「もしもし?」



それを見てセラは体を揺さぶり、声をかける。



「んんー」



しかし男は体をくねらすだけで起きない。



「ッッ・・おぎろー!!」



いいかげんじれたセラは男の耳をつまみあげると、大声で怒鳴った。



「ふぁー!!」



男は上半身を跳ね起こすと、アユムとセラの方を向いた。



よくみるとアユムよりも若いようで、幼さを感じさせる口元に寝ぐせか金髪が爆発している。



「・・・どなた?」



「それはこちらのセリフです」



セラは笑みをうかべてはいたが、よく見ると目は笑ってはいない。



「お客さん?」



「はっ?」



「こうしちゃいられない!」



男は反射的に立ち上がると突然奥の暗闇へと走り出した。



「おじきー、おじきー、」



男の誰かを呼ぶ声が奥の暗闇で反響する。



セラとアユムは顔を見合わせた後、男の後を追うため走り始めた。



「・・・下に降りたようですね」



若い男が消えた暗闇は、足を踏み入れて見ると石の階段となっており、下の階から暖色の灯りが漏れている。



アユムは注意深くセラの後ろについて階段を下りると、そこには年代を感じされせる石作りの部屋があった。



奥はあいかわらず薄暗いものの、高い天井には裸電球が点っていて、部屋の左右が見てとれる。



右の壁を這う配管は業務用のシンクにつながっており、何に使うのだろうか、ガスコンロも台の上にのっている。



その奥には巨木を思わせる肌を晒して、背丈の二倍ほどある巨大な木樽が3つ起立している。



アユムとセラが左右をうかがいながら進んでいくと、奥の方でなにやら会話する声が聞こえた。



「・・・・・」



「・・・・・」



アユムが話し声がする奥へと目をむけるとさっきの若い男が白髪の目立つ年配の男と話をしている。



タンクトップにトランクスのラフな若い男の格好とくらべて、年寄りのほうは半纏に草鞋履きとなぜか時代掛かっている。



「あっ・・あの人達です!」



アユム達に気づいた若い男がこちらを向いてさけんだ。



同じように振り向いた年配の男はアユム達に気づいたのか、こちらへ向かって来る。



「いやあ、これはこれは、お客さん第一号ですな」



年配の男は精悍さを感じさせる皺だらけの顔をゆがませて、心から歓迎する笑みを浮かべている。



何のことか解らず、セラとアユムは再び顔を見合わせた。





・・・。



「・・・てぇいうと、おめえさんらがこの洞窟の持ち主だっていうのかい?」



『イゾウ』はそう言うとバンと1つ机を叩くと椅子を蹴り、立ち上がった。



皺の踊る眉間には影が深く走り、ただでさえ鋭い目つきが今や人を刺せんばかりに研ぎあがっている。



「そんな馬鹿な事があるもんけえ、俺たちはちゃんと金はらってんだ」



「しかしこのダンジョンは確かにこのアユムさんのものなのです。それは登記簿にものっていますし、遺言状もございます」



「けぇーそんな書類のきったはったが証拠になるめえ、それにこの設備はどうすんでぇ」



部屋の隅に置かれた長机を挟んで、『イゾウ』とセラの激しく荒れた会話が高い天井に反響する。



あまりに殺伐とした雰囲気に思わずアユムは手にとったロング缶のコーヒーを一気に喉に流し込んだ。



「げふぉ、げふぉ」



乾きと緊張でざらついた喉には甘いミルクコーヒーは粘すぎたようで、アユムはむせた。



アユムのむせるその様子を机を挟んで目の前の『ケンジ』は冷たい目でねめつけている。



金髪で体格のいい『ケンジ』に睨まれ、悪意になれていないアユムはすっかり竦んでしまっている。



(おれが一体何をしたって言うんだよ・・・)



アユムは今すぐここから走り出したい気分だった。



思えば『交渉』は始めから『決裂』していた。



当たり前だ。『お前の家、俺のだから』なんていわれて、はいそうですか。なんて言う奴は間違いなくこの世にいない。



(これは・・どうなるんだ・・)



乱れた議論を人ごとのように感じながら、アユムは当初抱いた違和感がいまや完全に確信へと変わっていることに気づいた。



「いいか、あとから来てごちゃごちゃいいやがって、ここは俺の洞窟だ。ちゃんと金払って買ってんだ」



感極まったのか、『イゾウ』はバンバンと机を叩きながら絶叫している。



セラは整っているがゆえに凄絶に冷たい目でそれを見守っている。



さっきまで肌を焼いていた暑さが消え、いまではアユムの体に洞内の冷気が差し込むように感じられる。



軽く身を震わせながら、アユムは当初感じた違和感を思い出していた。



・・・。



・・・。



「いやあ、これはこれは、お客さん第一号ですな」



こちらに近づいて来た老人はセラから名刺を受け取ると、『ハルヤマ・イゾウ』と名乗った。



イゾウの頭髪は完全に白化しているものの、半纏におさまった体は年ではあるが背筋はのび、引き締まっている。



年齢は60代だと思われた。



セラとの簡単な挨拶のあと、一体ここで何をしているのかとの質問に、イゾウはふときびすを返すと歩き出し、部屋に置かれた巨大な木桶を撫でながら言った。



「ここで酒を作っているんでさあ」



そしてくるっと振り向いて続ける。



「『洞窟酒造』・・・いい名前でしょう」



なるほど、暖色に照らされた石作りの室内にはコンロや蒸籠などが整頓して置かれており、確かに設備がそろっている。



入り口さえ見ていなければ、『酒蔵』と言われてもアユムでも信じるだろう。



「この洞窟を見つけるまでにそりゃー苦労はしましたぜ」



想定外に凍り付くアユム達を目の前に、イゾウは嬉しそうに話しを続けた。



東京で事業を営んでいたイゾウは同業者の妨害にあい、その事業を廃業したと言った。



そして何もかも失ったイゾウの脳裏に浮かんだのは故郷である東北の風景だった。



杜氏の息子として生まれたイゾウは都会にあこがれ、村を抜けるまでに名人として知られた父にさんざんしごかれていたのだ。



「いやーえらいもので、体に染みついたものはなかなか抜けねえですわな。今でも仕込みを思い出して、夜中につい、飛び起きちまうときがあるんですわ」



東京にいっても何故だろうか、イゾウは酒作りを忘れることはなかった。



農家に田を借り、酒米をつくり、小規模ではあるが毎年仕込んできた。



出来は上々、知り合いに配ると喜んでくれた。



まあこれは完全なる密造酒であり、当然のことながら違法である。



そのイゾウはもはや65才、晩年である。



人生の終わりを間近に迎えてこれから何をしたいかといえば、一つしかなかった。



(酒をつくりたい)



「『カタギ』の仕事をすることは『ケンジ』を引き取った時から考えていましてねえ・・・まあ、いつまでも浮き草のような人生を送っている訳にはいかねえですからね」



イゾウはさっきの若い男を見て言った。



「あれが『ケンジ』です」



ハルヤマ・ケンジはイゾウの甥っ子で実は妹の子である。



『カタギ』だったイゾウの妹は八年前にケンジを残して夫とともに事故で亡くなったそうだ。



イゾウの親もすでに死んでいるので、施設に送られるなら、とイゾウが引き取り、親代わりとなって育ててきた。



当初はイゾウの風貌に恐れを抱いていたケンジだが、今では『おじき』とイゾウを呼んでは家族として慕っている。 



「でもどうしてここで?」



長い間客が来ずに寂しかったのか、怒濤のように話し出して止まらないイゾウにセラは切り出すきっかけをつかめなかったのか、質問を繰り返している。



「いやー昔、『地中酒』というのをC国の友人からいてでえたことがありましてね・・・そのときの味が忘れられなくてねぇ・・・」



「地中酒?」



聞き慣れぬ言葉についアユムが素っ頓狂な声を出して割り込む。



「酒の種類ですよ・・・大変高価です」



合点いったセラがアユムに説明する。



「地中酒とは・・・」





・・・。



(『地中酒』・・・あなたがもし本当の酒好きならば一度は聞いたことがある名前に違いない。



しかしながらお間違えにならないでほしいのだが、ビールやワインなどのように『地中酒』という種類があって製法があるわけではない。



これはいわば分類の名前である。



古代遺跡の発掘をしているとまれに酒が出てくるときがある。



それは甕であったり、樽であったりとさまざまだが、おそらくは埋葬や礼拝につかわれたものだと考えられている。



ほとんどは長い年月のせいで腐敗して飲用に向かないことが多いが、希に酒として飲めるものがあり、それを『地中酒』と呼ぶ。



大変な美味であってめったに出回らない為、愛好家達に高値で取引されている。



さて、肝心のそのお味ではあるが、『地中酒』はそのベースとなる酒によって味やアルコール度数などさまざまである。



濁りも、青色に濁っているものもあれば透明だというものもある。



過去に関係筋から手に入れて、筆者も一度飲んだ経験がある。



そのときの『地中酒』は『竹沼』と呼ばれる酒で、甘い芳香に竹を溶かしたような緑色の濁りがじつに美しかった。



そして一口飲む。



まず口から鼻を果実を思わせる芳香が突き抜ける。



そして柔らかな甘さ。



やがて強いアルコールが喉を焦がす。



すべてが漫然一体として一瞬にして私を虜にしてしまった。



それはまさに『沼』だった。



そうしてその夜、底のない翡翠の沼に私はどこまでも沈んでいくのであった・・・。



そして次の日の朝が想像を絶する地獄だったこともここで追記しておく。



( 粕取出版 『あなたの知らない酒の世界』 BARマルボアジェ バーテンダークロカワ・ミツヨシ著より抜粋)





・・・。



「そしてワシは水をこの塩梅でいれて・・・」



話を切り出す切っ掛けをつかめず、そのままイゾウの長引く話しに相づちを打っていたら、いつのまにかアユム達は部屋の片隅で椅子に座らされていた。



アユム達がいる机は普段、イゾウ達の休憩用に置かれていて、どこからかケンジが持ってきたぬるい缶コーヒが四つ置かれている。



通称『ロング缶』と呼ばれるミルクコーヒの缶はたくさんの砂糖か、その甘さが有名である。



その顔に似合わずイゾウの大好物で、ケンジも例外ではない。



アユムも決して嫌いな訳ではないが、長時間の徒歩で乾ききった今の喉には少しつらく感じられた。



セラにいたっては一口も口をつけていない。



「それはそれはすばらしいこだわりですね・・・・」



さっきから様子を見ていたセラは心のこもってないほめ言葉をかえした後、機を見たのか、突然本題にはいった。



「ところで、話は変わるのですが、実はここの所有について少しお話しがありまして・・・」





・・・。



そして罵声乱れ飛ぶ今にいたるのである。



「出て行きやがれ!」



「冷静に聞いて下さい!所有権は間違いなくこちらにあります!」



セラとイゾウの絶叫に混じって、イゾウが蹴り上げたバケツががらがらと音を立てて転がる。



思わずアユムは身をすくめる。



「うるせえ!ここは俺のもんだ」



「それは所有権の主張をすると受け取られますよ。よろしいのですか」



「うるせえ!」



「冷静になって下さい、出るとこに出れば大変な事になるのですよ!」



「うるせえ、警察でもなんでも連れてきやがれ!」



さっきから話しは延々と平行線を辿っていた。



防火用のバケツだけが轟音と共にへこみを増やし、変わり果てていった。



「わかりました、どうやら何を言っても無駄なようですね。



その様子にとうとうセラはあきらめたのか、ふーとため息を一つ吐くと立ち上がった。



「おー、けえれけえれ!」



「まあ、また来ます・・・」



「うるせえ、二度とくんな」



アユムも立ち上がると駆け足でセラに寄り、入り口へと向かう。



がらがらとバケツを蹴り転がす音が後ろで遠くなっていく。



「セラさん!・・・これはどういう事なんですか!」



アユムは絶叫していた。



アユムが想像もつかない事態が発生していることはあきらかだった。



「僕のダンジョンじゃないんですか!?」



「・・・想定外の事態が発生いたしました・・」



セラはアユムを諭すように感情を抑えて話す。



「・・・『占有』です」



夢中で洞内を戻るうち、いつしかアユム達は外へと至っていた。



「・・・!」



突然さす強烈な陽光は暗闇に慣れた目をうち、山肌や、木々、あたりの風景から漂白されたように色を奪った。



白一面へと変わり果てた世界でアユムはどこへ行けばいいのか、一瞬道をうしなったように思えて心細くなった。

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