4汗
「おい、歩け脂モヤシ! 膝が笑ってるぞ! 筋肉が冷え切る前に収容所へ辿り着け!」
生身でピンピンしている教官(軍曹)の罵声が、重い頭に響く。
脂モヤシ。それが私の新しい名前だ。WEBライター、ユキナ・ホソカワなんて人間は、あのパブで酒と一緒に蒸発したらしい。
「軍曹……もう、一歩も……。それより、大トロ小枝、こいつを早く……」
私のマニュピレーターに引きずられているのは、さっきまで隣で「生き残ったな」と泣き笑いしていた、同期の『大トロ小枝』の機体だ。
私と同じく、酒の勢いでコースターにサインした仲間。
たった一筋の涙がヒドラジンと最悪の化学反応を起こし、彼は文字通り「小枝」のように干からびてしまった。
「大トロ小枝か。いい出し殻になったな。あいつの分まで、貴様が汗をかけ、オイリーえんぴつ!」
「……名前、増えてるんですけど……」
脂モヤシ。オイリーえんぴつ。
軍曹の口から出る呼び名は、どれもこれも私の人間性を削り取っていく。
でも、言い返す気力すらない。今の私は、自分の体から漂う「焦げた石鹸と獣の臭い」に吐き気がしているだけだ。
「いいか新兵! 運良く生き残ったからには、次の出撃までに3キロは肉を戻せ! 水を飲め! クレアチンを噛め! 大トロ小枝みたいになりたくなければ、次は絶対に泣くな。……漏らすのも、笑うのも禁止だ。感情をすべて汗腺に回せ!」
「……了解、軍曹……。がっはっは、って、笑えれば……楽なんですけどね……」
私はガリリと、最後の一粒のクレアチンを噛み砕いた。
石膏のような味が、喉に張り付く。
月面都市に戻る船の中で、私はきっと、生き残った喜びよりも「明日からまた増量飯とポージング練習が始まる」という絶望に震えることになる。
私の、血と汗と筋肉にまみれた『火星体験記』。
その第一章は、まだ始まったばかりだった。
【ユキナ・ホソカワの生存記録】
階級: 二等新兵(別名:脂モヤシ)
次回のノルマ: 体重+3kg
心境:パンケーキ食べたい




