後悔はいつまでも
その飢饉は、天明の大飢饉と呼ばれた。様々な要因が重なり、結果として多くの命が失われた。その悲劇は伝播し、人知れずに広がり続けた。
変異種と呼ばれる異形は数を増し、確実に被害を増やし続ける。だが、現状の幕府には目に見えないナニカにまで気を配る余裕はなかった。
誰が悪い、という話ではなかった。ただ、巡り合わせが悪かったとしか言えない。
多くの巫女が死んだ。人知れず散っていった命があった。記録に残らない戦いが、そこにはあった。
少女達は戦い続けた。その身が傷付こうと、日の目を浴びることがなくとも、平和を守るために人生を捧げた。
儂は……そんな少女達のために、何ができただろうか? 全国に散らばった巫女達を救うことは到底叶わず、被害は増えるばかり。何もかもが、上手くいかなかった。
そして必死に掬いとった命すら、簡単に手のひらから零れ落ちていく。それが世の常だと言わんばかりに。
「ごほ、ごほっ……! かな、で、さん……」
「ここにおる。どうした、七子」
「手、握ってください。お願い、します……」
「……あぁ。もちろんじゃ」
そこに居たのは、まるで屍のような少女だった。黒く綺麗だった髪は白髪が目立ち、ガサついている。片目は潰れ、もう片方も殆ど見えていなかった。肉は削げ落ち、骨と皮ばかりだ。20代の半ばだというのに、まるで老婆のようだった。
鷹司七子は、その後も必死に戦った。その身に呪いを宿し、分不相応な武具を振るい、命を削って戦い続けた。
そのなれの果てが……こんな姿だった。儂に許されたことは、ただ彼女の苦痛を僅かに誤魔化すだけ。擦り切れていく七子を、儂は止めることができなかった。
「ふ、ふふ……どうやら迎えが、来たみたいです……」
「……七子」
「見えなくても分かります。奏さん、泣きそうな顔、してるでしょ」
後悔なぞ、数え切れないほどした。やり直せるとするなら、どんな手段を用いても構わないと思うほどに。そして思い知るのだ。取り返しなど、もう付かないのだと。
「気にしないでください。貴女にとって、これはいくつもある死のうちの、たった一つ。愚かな女が愚かなまま死んだ……それだけの、ことですから」
「そんなことを言うな……お主はよくやった。お主の尽力は、活躍は、結果は……! この国の民を確実に救っていた!」
「……そんな願いは、もうとっくに捨ててしまいましたよ」
死は覆らない。結果は変わらない。結末はそのままに。この話は、これで終わりだ。
「私は、何がしたかったのでしょうね……。ただ憎悪を滾らせ、満たされない欲望を迸らせ、最後は自らの悪徳に身を焦がした。愚かと言う言葉すら、生温い」
「違う……! お主の為してきたことは、愚かなどではない!」
「ふふ……奏さんは、優しいですね」
儂は人間の悪性を見た。だが、人の輝きも見た。そしてそれが曇り、堕ちる様も見た。
不滅であるが故、その刹那の瞬きに憧れた。それと同時に、虚しさも覚えた。何もかも、全てに終わりがある。自分には存在しないピリオドは、美しくも儚くあった。
「なら……一つ、お願いを、してもいいです、か……?」
「何でも言え。儂が必ず叶えてやる」
「……どうか、巫女達の力になってあげてください。この国を守る彼女たちに、どうか祝福を……」
「分かった。どこまでやれるかは分からぬが、尽力すると約束しよう」
……けれども、だけれども。
「良かった……ほんの少しだけ、自分を許せました。私のしてきたことは、無駄ではなかったと」
「……七子。お主も儂を置いていくのか?」
「えぇ。あの世で、あの子が待っていますから」
「そう、か……そうじゃな」
儂は憎い。終わらないこの肉体が、皆と共に歩めぬこの身体が、見届け続けないといけないこの性が、心底憎い。
終わることは許されない。儂はこれから、この身が朽ち果てるまで巫女の死に様を見送らなければならない。全て背負って、生きていかなければならない。無為とも思えることを続けなければならない。
本当に救いたかったものはもう居ないというのに、儂は一体、何を救うために生き続ければいいのだ?
「じゃあ、ばいばいです、ね。いまま、で、ありがとう、ござい、まし、た」
「ゆっくり休め。よく、頑張ったな」
「──────」
「……お休み、七子」
間もなく……鷹司七子は、息を引き取った。
遺言通り、遺体は琴子と同じ墓へ埋葬した。二人の神力兵装、紫紺の短刀『徒花』とくすんだ鏡『水鏡』は儂が譲り受けた。他の者に、どうしても渡したくはなかった。
「終わってしまったか……」
全てを終え、儂には使命だけが残された。巫女のために生きるという、呪いに似た宿命だけが。
旅をした。巫女を探し、悩みを聞き、必要であれば協力をする。時には上手くいかず、敵対することもあった。それでも、儂は巫女の味方であり続けた。
途方もない時間が流れた。時代が移ろい、国の体勢が変わり、世が乱れ、また巫女が死んでいく。戦争が続き、これまでの比にならない変異種が溢れた。
巫女はまた、その数を大きく減らした。名家と呼ばれる存在が減っていき、途絶えたという家も出た。巫女の素質も同じように、少しずつ薄まっていく。だが、変異種の脅威は高まるばかりだった。
そのために、儂は一つの術をこの国に施した。変異種を閉じ込め、磨り減らす術だ。流出と流入を防ぎ、同時に効果的な殲滅も行う。だが、依然として巫女の負担が大きいことは変わりない。
儂といえば……その術の維持のため、とある廃神社に住み着くようになった。もはや儂の存在を知るのは、旧家の人間や僅かな巫女の生き残りのみ。この時期になると、儂は抜け殻のように終わらぬ生を続けていた。
頼られるのなら協力はする。だが、必要以上の干渉はしない。そうしないと、もう耐えられそうになかったから。
あれからもう何百年と経った。変異種の脅威は減ったものの、巫女の全体数は確実に減っている。事態は好転などしていない。
悪足掻きをしてみても、その結果は芳しくなかった。一人の巫女の命を代償に世界を書き換える術を得たとて、儂にそんなモノを使う資格はないのだから。
責め苦は続く。これからも、この先も、ずっとずっと続いていく。もう、うんざりだった。
そんなある日のことだった。二人の巫女が、儂の元を訊ねてきた。
「お前、強いのか?」
「ちょっとアカネ! 失礼でしょ!」
「良いから答えろ。お前は、強いのか?」
薄ピンクの髪色の少女と、勝ち気そうな赤髪の少女が現れた。アカネと呼ばれた少女は、鋭い視線を儂にぶつけてきた。
……琴子にも匹敵する、強力な神力だった。だというのに、目の前の彼女は未だ幼い。つまり、発展途上ということだ。隣の少女も、中々悪くない才を持っている。
「あぁ……儂は強いぞ。お前など、相手にならぬくらいにはな」
「面白い。お前、アタシと戦え」
「その前にまず名を名乗れ。ほれ、お主もじゃ」
……この子ならば、この子達ならば。もしかしたら、今の変異種達を殲滅できるかもしれない。淡い期待が湧き出してきた。
「万里小路アカネ。ほら、さっさとやるぞ」
「わ、私は一条咲希です! よろしくお願いします!」
「アカネと咲希じゃな。では、稽古といこうか」
止まっていた儂の時間が、動き始めた。二人の潜在能力は高く、あっという間に歴代でも上位に入る巫女へと成長した。アカネと咲希の話題は巫女の間でも広まり、次第に儂の元へ訪れる巫女も増えてきた。
全員が全員、仲間になるわけではない。儂はただ中継ぎをし、情報の共有や隠匿を補助するだけだ。
だからこそ、それは偶然の出来事だった。
「……巫女の孤児じゃと?」
「あぁ。アタシの親の知り合いが、この前の悲劇連鎖で死んだらしい。運悪く、両親共に亡くなって娘二人が残った」
「そうか……それを儂に伝えるということは、保護しろということじゃな?」
「別にアンタが嫌なら断れば良い。ただ、引き取り手が善良であるとは限らん。近頃は巫女の人体実験をする団体も──」
「分かった分かった。儂が面倒を見る」
今までも、幼い巫女や行き場をなくした子の面倒を見たことはあった。それと同じことだ。しかし、その二人の名を見て儂は凍り付いた。
「鷹司……? そんな、まさか……」
もちろん、七子との関係は無い。あの子は生涯独身だったし、子供も設けなかった。だから、これは鷹司本家の血筋だろう。
それでも、彼女たち二人が七子と同じ家の血を引いていることは確かだった。そんな二人が、巡り巡って儂の元へやってきた。
──更に驚いたことは……長女である、天の容姿だった。
「こんにちわ、かなでさん」
「──────」
言葉を失った。その姿は、太陽の如き輝きを持った、あの頃の七子に瓜二つだった。
「ほしな。あいさつ、できる?」
「うん……こんにち、わ」
「あ、あぁ……こんにちは」
星奈も同様に、そんな天に似ていて七子の面影があった。本当にそっくりだ。
二人を引き取ることに異論などあろうはずもない。私は彼女たちの保護者になった。
「あれが鷹司姉妹か。姉はともかく、妹の方は中々筋が良いな」
「巫女になることは義務ではない。あの子達が選ぶことじゃ」
「奏さんにしては珍しく、あの子達を庇いますね。何か理由でも?」
「……ただの後悔じゃ。いつまでも拭いきれぬ、一生モノのな」
せめて、彼女たちの未来が明るいものでありますように。この負の連鎖に、彼女たちが巻き込まれませんように。そんな身勝手な願いを、想ってしまった。
人の成長は早い。小さな幼児だった天と星奈は、あっという間に少女へと成長した。
そして……儂の展望がどれほど温いものだったのかを、思い知ることになる。
星奈には高い神力があった。それは日ごとに増していき、ついには変異種を呼び寄せるまでに至ってしまったのだ。
「いい加減にしろ、奏。人手が足りん。いますぐにでも、鷹司妹を巫女にしろ」
「……駄目じゃ。あの子はまだ小学生じゃぞ? そんな子に、殺し合いをさせるなぞ……」
「アタシは10の頃からこの務めをしている。それが力を持ったアタシの責務だ。歳や環境など関係ない」
「アカネ! 私らとあの子達を一緒にするのは違うでしょ!?」
「……一条。お前だって分かってるはずだ。アタシらで対処できる変異種には限度がある。実力じゃなく、人手が足りない。だから増やす。当然のことだ」
アカネの意見は最もだった。星奈だけではない。あの病院には、あと二人の巫女候補が居る。彼女たちならばすぐに即戦力となるだろう。
だが、果たしてそれで良いのか? それ以外に、道は無いのか?
……悩んだ末に、儂は一つの愚行を犯した。この話を、天に伝えてしまったのだ。
「……だったら、私が巫女になるわ。私が、妹たちを守る」
こうなることは、分かっていたはずなのに。七子に似たこの子が、妹の犠牲を看過できないことなど、理解していたはずなのに。
儂は間違えた。またしても、同じミスをした。全て、儂のせいじゃ。
「…………その結果が、これか」
天は巫女になった。そして……死んだ。あの子と同じように、死んだ。
皆、死んだ。咲希もアカネも小日向も桜も霞も天も……死んだのだ。また、儂は同じ過ちを繰り返した。
「はは、はは……! ふははっ……!!!」
笑う。涙を撒き散らしながら、狂ったように笑う。月夜に照らされながら、儂はひたすら、ずっとそうしていた。
「こんばんは……奏さん」
「……野乃花か。遅かったではないか」
そして、一人。儂を断罪する執行人が、その金色の髪をたなびかせながら現れた。
その手には、天の刀が紅く煌めいている。この力ならば、きっと儂を殺せることだろう。
「儂の神力兵装が目当てか?」
「そうです。強大過ぎるが故、その命を捧げなければ扱えない『森羅万象』。頂戴しに参りました」
「そうか……お主ほどの神力でも、死ぬかもしれぬぞ。その力で、一体何を望む?
「変異種の居ない世界を。天さんの死が無駄ではないと、証明します」
野乃花の瞳は暗く濁っていた。当然だろう。彼女は星奈と同じくらい、天に傾倒していた。そんな太陽が落ちたのだ。こうなるのは必然だ。
「……普段の儂なら、そんなバカなことを言うなと一蹴するところじゃ。だがな……」
「………………」
「儂はもう、疲れた。何も為せず、何も守れず、ただ見送るだけの生に意味は無い。最後の寄る辺すら、もはや消え失せてしまった。儂にはもう、何も無い」
手を広げる。自死も叶わぬこの生を終わらせてくれるなら、こんなに嬉しいことはなかった。
「……お世話になりました、奏さん。どうかゆっくり……お休みください」
「────ぁ」
ざっくりと、左胸に刀が突き刺さる。痛みは無い。ゆっくりと、熱いものが広がっていく。それは末端まで届くと、内部から身体を破壊していった。
血が溢れていく。もう、元に戻ることは無い。私はゆっくりと意識を失っていった。




