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後編

ただ君が好きだった02


──れーちゃん!


漣太の一挙一動に、笑って、はしゃいで、喜んで、いつもニコニコしてるくせに些細なことで泣いてしまう。それが漣太の中の真昼だった。ずっと一緒にいた幼なじみ。真昼自身は何も言わないが、真昼の複雑な家庭環境を幼い頃から感じ取っていた漣太は、守ってあげようと決意していた。一人っ子の漣太にとっては弟のような存在で、れーちゃん、れーちゃんと慕ってくれる真昼が心底愛おしかった。そんな真昼への愛情を、中学に上がるまでは家族愛の様なものだと思っていたのだが、それが思い違いであると気付いたのは思春期に入ってからだ。女子からは「漣太くんはアイドルみたい!」と黄色い声で騒がれ神聖化されているようだが、漣太だって中身は健全な男子学生に過ぎない。当然、性欲だってある。真昼を想うと身体が高ぶってしまうのだ。ふわりとした黒髪に、真っ直ぐな瞳に、色づいた唇に──泣き虫な真昼の全てに触れたくて触れたくてたまらなくなった。若さゆえの勢いも手伝い、思い立ったように告白すれば真昼は大泣きして応えてくれた。


「真昼は泣き虫だな」


漣太が笑いながらそう言うと、真昼の涙は一層止まらなくなった。純粋な真昼が流す涙は実に綺麗で漣太の胸を甘く疼かせる。本能のままに唇を寄せて涙を拭ってやれば、真昼が嬉しそうに瞳を細めて漣太に擦りよった。真昼は甘えん坊だ。



──幸せだよ。

──大好きだよ。


抱く度に幸せいっぱいの顔をして、泣き出す真昼。真昼の全ては漣太だった。背中に感じる細い腕も、紡がれる言葉も、はらはらと頬を伝う涙も、熱い吐息さえも、全部漣太に繋がっていて、漣太しか求めていなかった。真昼から注がれる一心不乱の愛に漣太はひどく満たされて穏やかに笑う。宝石の様な真昼の涙を恭しく拭ってやれば真昼も小さく笑った。まるで二人だけで完結しているような、そんな世界がそこにあった。



世界の終わりは実に呆気なくやってきた。漣太が相川あいかわさつきに心変わりしたのだ。艶やかで色っぽいさつきは実に美しく、涙なんて滅多に見せない。真昼とはまるで正反対で、漣太の目には何もかもが新鮮に映った。人間、新しいものには目がないものだ。生まれたばかりのさつきとの愛に夢中になった漣太は躊躇うことなく真昼を振った。突き放すような一方的な別れ話に真昼はただただ泣いていた。条件反射で手が動いたが、頭を振って我に返る。もう真昼を慰めてあげることはしないのだと。中途半端な優しさは残酷なだけなのだとどこかで聞いたことがある。誰が言ったのか思い出せないが、その通りだと頷けたので真昼とはキッパリと決別することにした。


真昼を悲しませてまでさつきを選んだ漣太だが、楽しかったのは最初の数ヶ月だけだった。さつきは漣太以外にも目移りするらしく、色んなところに愛想を振りまいていた。最初は怒りを感じたが、次第に乾いた笑みが浮かぶだけになっていた。真昼の熱視線を思い出す。漣太しか見えていない、危ういぐらいの一途な想い。あんな風に自分を愛してくれる存在など、真昼以外はありえない。自分は何て愚かだったのだろうか。冷や水を掛けられ、目が覚めた気分だった。もう一度、真昼とやり直したい。身勝手なのは自覚しながら真昼に復縁を要求した。恋人には戻れなかったが、傍にいることは許されたのでそれで十分だと思っていた。




「……る?」


──なあに。


「…ひる?」


──どうしたの?


「真昼? 聞いてる?」

「聞いていなかった。御免」


三度問い掛けてようやく真昼が返事をした。今し方、熱を分かち合ったばかりだと言うのに真昼の瞳からは甘さの欠片さえも感じ取れない。どこか遠い目をしながらぼんやりとしている。真昼の心はここにはなくて、漣太はめげそうになった。


「映画見に行かないって言ったんだ。ほら先月からテレビのCMでばんばん流れてるファンタジー映画。タイトル何だったっけ? 真昼好きそうだなぁってチェック入れてたんだよね」

「“エルフの冒険”」

「そう! その映画だ」

「御免。その映画なら見たんだ」


嘘だと気付いた。


「……そっか。残念だな」


しかし問い詰めない。真昼は漣太と映画を見たくないのだ。その事実を黙って受け入れる。真昼は変わった。漣太に一切甘えなくなった。こうなって初めて、漣太の方こそ彼に甘えていたのだという事実に気付く。真昼が惜しみなく注いでくれた愛情を無償のものだと勘違いしていた。自分がどんなに真昼を傷付けても真昼は変わらず待っていてくれる。笑いかけてくれる。泣いてくれる。好きだと言ってくれる。どこかでそんな風に驕っていた自分は本当に大馬鹿者だ。


「漣太くん、御免ね」

「それは何の御免?」


何故真昼が謝るのか。不意に聞こえた真昼の謝罪にハッと息を飲む。漣太の声が震えなかったのはきっと奇跡だ。


「謝らなくちゃって思ったから」


真昼の瞳はあまりに渇ききっていて漣太の胸を大きく抉り取る。真昼が寝てしまった後、漣太は一人でこっそりと泣いた。真昼のあの目には見覚えがある。両親を見る時の目だ。幼い頃の真昼を思い出す。両親からの愛情を欲してるのに何一つ報われなくて諦めてしまった、あの日の小さい君。


御免。御免なさい。拭っても拭っても止め処なく溢れ出てくる涙。漣太が泣いたのは幼稚園以来だ。あの時、漣太の両頬を紅葉の様な手で包み込んでくれた真昼はこう言って慰めてくれた。


──ぼくは、れーちゃんがだーいすき。






「真昼さん、漣太格好いいと思いますよねえ?」

「えーシュミわるっ! 確かに顔はいいかも知んないけどさあ、女取っ替え引っ替えしていい噂聞かねーじゃん」

「それは大昔の話だよお。今は真面目くんに生まれ変わったんだもん」


バイトの休憩中、漣太が載っている雑誌を見ながらきゃいきゃいと思い思いの言葉を喋る京香きょうかはなは実に楽しそうだ。決して今風とは言えない喫茶店のオリジナルエプロンを自分達なりに可愛くアレンジしている二人の年齢は17歳。真昼よりも五つも下な所為か、妹がいたらこんな感じなのだろうかと常々微笑ましく思っていた。


「漣太く……青井漣太くんは確かに格好良いよね」


真昼の肯定にぱっと花が咲いたように笑ったのは京香だ。


「やっぱり男の人から見てもそう思いますよねえ」

「うん。ちなみに華ちゃんはどんな人がタイプなの?」

「ヤリチンだけはやだ!」


あけすけに言う華に真昼は吹き出してしまった。休憩室の雰囲気がより一層明るくなって三人一緒に笑う。笑い声が途切れ、くしゃみをした真昼に二人は眉尻を下げた。


「風邪ですかあ? この間もくしゃみしてましたよね? 店長も気にしてましたもん」

「今日はあたし達が頑張るんで真昼さんはゆっくりして下さい」

「有り難う二人とも。でも大丈夫。大したことないよ」


二人の優しい言葉に真昼の頬は緩む。大学生になってから、こんな何気ない日常を真昼は噛みしめるように過ごしていた。以前の自分なら考えられなかった事だ。高校時代を思い出してみる。あの頃はひたすら漣太しか見えていなかった。見ていなかった。それだけじゃなく漣太に比べて子供っぽい男子達や漣太に黄色い声をあげる女子達を心のどこかで見下していた様な気がする。友達なんて出来ないはずだ。自分から壁を作っていたのだから。机を並べたクラスメイト達。名前はおろか、顔すらもぼんやりとしか覚えていないことを今更ながら寂しく思った。



「真昼ちゃん、三年間お疲れ様でした! それと就職おめでとうね! 就職先は東京って聞いたから早々こちらには来れないと思うけど来たら必ず寄ってよね。あと風邪ひいてるみたいだからしっかり食べてしっかり寝なさい」

「ほんとですよお。真昼さん必ず来て欲しいです。約束ですう」

「そうそう! 真昼さん、意地でも三ヶ月に一回は帰ってきて下さい!」


店を閉めた後、店長は労いの言葉とともに花束をくれた。京香と華は拍手でそれに続く。


「有り難うございます! またこちらに帰ってきます。その時はお客としてお世話になりますね」


両手の中一杯に広がる花束の中に顔をうずめると生花の香りが鼻腔を擽る。優しい香りとともに様々な出来事が走馬灯のように駆け巡り、真昼は泣きそうになった。むず痒くなった鼻をすん、と啜って我慢すれば三人ともが顔を見合わせ目配せする。


「真昼さんと一緒に働けて本当に良かったです」

「あたし、真昼さんがいなければ辞めちゃってましたよ」

「お客様も寂しがるわねぇ。真昼ちゃん本当に気が利く子だから皆に愛されてたもの」


「泣かしにかかるのは止めてよ」


真昼が今にも泣きだしそうな声でそう弱音を吐けば、三人は一斉に笑った。店長がこぼす。




「真昼ちゃんは本当に泣き虫ね」




大学に入って始めた友人に紹介されたバイトは、予想以上にしんどいものだった。初めての労働だったから余計にそう感じたのかも知れない。お金を稼ぐことの大変さ。ごく稀に連絡を取り合う両親は相変わらず素っ気ないままだが、育てて貰ったことには感謝したいと思った。軽い足取りで電車に飛び乗る。男子大学生が花束を抱えながら乗るのは恥ずかしくもあったが誇らしくもあった。これは真昼なりの勲章なのだから。ポケットに入れていたスマホが振動する。同居人からラインが入っていた。


“今日は鍋。帰りに白菜買ってきて”

“僕、白菜嫌い”

“真昼の好みは聞いてない。鍋に白菜がないなんてこんなバカなことはないよ”

“ありそうだけど”

“いいから白菜買ってきて”

“はいはい”


そんなやり取りを終えた頃には、降車駅に着いていた。


「おかえり、真昼」

「ただいま、水貴みずき


花束を花瓶に活けた後、白菜が入ったスーパーの袋を片手にキッチンに入ると同居人である坂下水貴さかしたみずきが笑顔で迎えてくれる。水貴は真昼にとって初めて出来た友人だ。四年前──高校を卒業した真昼は漣太から逃げ出した。逃げる為だけに入学した、地元である東京から遠く離れた縁もゆかりもない大学に熱意など持てるはずもなく投げ遣りになっていた。そんな時に出会ったのが水貴だ。彼は実に面倒見が良く、真昼が失礼な態度を取っても見捨てなかった。人間優しくされれば絆されるものだ。徐々に水貴と打ち解け、気付いた時には友達になっていた。水貴の出来た性格は勿論だが、境遇が似ていたことも大きい。水貴も好きな人から逃げてきたという。友達に成り立ての頃はその話でお互い泣きに泣いたものだ。それが一年経ち、二年経ち──時間の経過とともに穏やかな気持ちで昔のことを思い返せるようになった。


──真昼……そんな顔しないで。

──頼むから謝らないで真昼。悪いのは俺なんだから。


浮気され、振られて、漣太には散々傷付けられた。だけど自分だって漣太に酷いことをしてしまったと振り返る。漣太を好きだ、という自分の気持ちばかりを最優先していた。何をするにも漣太漣太で何もかもを委ねていた。幼い頃から漣太しか見ていなかった自分はきっと彼に寄りかかりすぎていたのだ。今なら分かる。これじゃあただのお荷物じゃないかと。どれだけ負担になっていただろう。漣太は自分の保護者ではないのに悪いことをした。


「就職おめでとう」

「有り難う。水貴もおめでとう。教師か……凄いね。水貴にピッタリだ」

「ありがと。でもこれを期に同居解消かと思うと寂しいね」

「うん」


真昼は春には東京で会社員だ。一方の水貴はこの地で教鞭を執る為、長らく続いた二人の同居生活に終止符が打たれることになる。


「真昼、これ風邪薬。食べ終わったら飲んでね」


食卓に市販薬が置かれた。真昼は照れ臭そうにぽつりと呟く。


「時々さ……優しくされると泣きそうになる」

「うん。分かる気がするよ」

「僕はずっと自分の殻に閉じこもってた。自分だけを守ってた。周りは皆悪い人だけだって思ってて、被害者意識ばっかりあった。楽な生き方だったけど時々凄く虚しくなる時があって……ねえ水貴、」

「うん?」

「どうしよう。世の中、良い人ばかりかも知れない」


──風邪ですかあ? この間もくしゃみしてましたよね? 店長も気にしてましたよお。

──今日はあたし達が頑張るんで。

──あと風邪ひいてるみたいだからしっかり食べてしっかり寝なさい。

──真昼、これ風邪薬。食べ終わったら飲んでね。


店長、京香に華、そして水貴。風邪をひいただけでこんなにも心配してくれる人達を思い出して真昼の目頭がじわじわと熱くなっていく。


「東京に行きたくない。ここにいたい」


ポロポロ泣き出した真昼の額を「何言ってんの」と水貴は呆れるように軽く叩いた。


「自分で決めたんじゃん。もう一回地元に戻って昔の自分を見つめ直すって」

「そうだけど」

「ほらタオル。大丈夫、会おうと思えばいつでも会えるよ」


何も一生の別れじゃない。それに連絡手段を取る方法なんて幾通りもある。水貴がそう慰めれば、真昼の涙はようやく引っ込んだ。しばらくは沈黙が続いたが、どこかしんみりしてしまったムードを吹き飛ばすようにくだらない日常話をお互いに話し出す。二人して大笑いした。ふと真昼はそれまで意識していなかったつけっぱなしのテレビに視線を向ける。


『今日のゲストは最近モデル業だけでなく、俳優としてもご活躍の青井漣太さんです!』

『こんにちは~! 今日は映画の宣伝で来ました。よろしくお願いします』

『宣伝? 正直ですね』


どっとスタジオがわく。四年前、渋々モデルをすることになったと言っていた漣太は今や人気若手俳優となっていた。テレビや雑誌、ネット、街中に張り出されるポスター、漣太を見ない日はないくらいだ。


(笑ってる……)


液晶画面に漣太の朗らかな笑顔が映し出されて、真昼はほっと胸を撫で下ろした。漣太が笑うと真昼も嬉しくなる。


──どうして!? 傍にいてくれるだけでいいんだ!


真昼が去った四年前、漣太は相当荒れたらしくネットなどで派手な女性関係を何度か追求されていた。その頃の漣太の雰囲気は非常に重く、真昼は心を痛めていたのだ。それが今はない。誰か良い人でもいるのだろうか。いればいいな、と思う。寂しくないと言えば嘘になるが、四年経った今、本当に遠い存在となってしまった漣太。もう二度と会うことはないだろうが真昼は心の中で漣太の幸せを願っていた。


──れーちゃん!


幼い頃の自分がこれ以上ないくらいの笑顔で笑っている。真昼は頷くように目を閉じて。


──本当に君のことが好きでした。


真昼は笑った。

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