表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バージンロードの途中で、花嫁は僕の横を通り過ぎた  作者: 桜野結


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/9

第一話 晴天

式場に着いたのは朝の八時半だった。

 駐車場で黒いワゴンとすれ違った。式場の業者だろうと思った。運転席の男が窓越しにこちらを見ていた気がしたが、確かめる前に建物の影に入った。

 控室で父がネクタイを直してくれた。「曲がってる」と言いながら、父の手も震えていた。母は入ってきてすぐに泣いて、すぐに「泣くのは後」と言って化粧を直しに出ていった。

 窓の外は雲ひとつなかった。天気予報は曇りだったのに、朝になったら晴れていた。運がいいと思った。

 前日のリハーサルは夕方に行われた。

 バージンロードを歩く速さ、指輪を渡す順番、立ち位置まで細かく指示される。プランナーの女性が「新婦様、もう少しゆっくりで大丈夫ですよ」と何度か声をかけていた。彼女は歩くのが速かった。三回やり直して、三回とも速かった。

 終わってから、彼女が「明日、大丈夫かな」と言った。

 僕は「大丈夫だよ」と答えた。何が大丈夫なのか、僕は聞かなかった。

 誓いの言葉は、二人で書いた。文例集をもらって、そこから直していった。彼女は最初「そういうの恥ずかしい」と言っていたのに、結局、彼女の担当分の方が長くなった。僕は自分の分を通勤の電車で覚えた。三週間かけて、つっかえずに言えるようになった。

 小学生の頃、彼女と裏山に秘密基地を作った。段ボールとブルーシートで、雨が降れば三十分で潰れるようなものだった。それでも僕たちは毎日そこに通った。彼女はそこで、大人になったら何になりたいかを話した。看護師、パン屋、外国で暮らす人。日によって全部違った。僕は毎回「いいと思う」と答えた。彼女はそのたびに笑った。

 あの頃から、僕は彼女の言うことに反対したことが一度もなかった。

 九時前に、大学の友人が控室を覗きに来た。スピーチの原稿を見せてきて、「ここ笑うとこだから、ちゃんと笑って」と言った。僕は読んで笑った。彼はそれで満足して出ていった。

 その原稿は、結局、読まれなかった。

 九時を過ぎて、介添えの女性が挨拶に来た。「花嫁様、もう仕上がっておられますよ」と言ってから、少し声を落とした。

「少し感極まってしまわれて、お化粧を直しています。よくあることですので」

 僕は笑って「そうですか」と答えた。目が赤いのは、嬉しいからだと思った。

 廊下で彼女の父親とすれ違った。「今日はよろしくお願いします」と頭を下げた。彼は「ああ」と言った。それだけだった。ネクタイの結び目を何度も指で押さえていて、最後まで僕の顔を見なかった。緊張しているんだろうと思った。娘を送り出す日なのだから。

 スーツの内ポケットで携帯が震えた。友人からの「今どこ」だった。開いたついでに、彼女とのやりとりが目に入った。

 昨日の夜、彼女から一通だけ来ていた。

『明日、ちゃんと話すね』

 僕は『誓いの言葉、噛まないようにする』と返した。既読がついたのは日付が変わってからで、返事はなかった。

 緊張して眠れなかったんだろうと思った。

 十一時。パイプオルガンが鳴った。

 高い天井に音が反響して、話し声が消えていった。列席者の視線が一斉に扉へ向かう。自分の心臓の音が聞こえた。白い手袋の中で、指先が濡れていた。

 扉が開いた。

 光が差し込んで、その中に彼女がいた。父親と腕を組んで、ゆっくりと歩いてくる。ドレスの裾が床を擦る音がした。

 彼女は僕を見なかった。

 ベールの向こうで、視線がずっと足元にあった。緊張しているんだ、と僕は思った。三度目だった。今日、僕がそう思ったのは。

 歩くのは、リハーサルよりも遅かった。

 バージンロードの半ばで、彼女が足を止めた。

 父親が腕を引いた。彼女は動かなかった。

 扉の脇に、男が立っていた。

 黒いスーツ。列席者ではなかった。招待客の顔は全部覚えている。僕は覚えるようにしていた。彼女の友人も、親戚も、名前と顔を一致させて、当日ちゃんと挨拶できるように。

 その男だけ、知らなかった。

 男が手を差し出した。

「行こう」

 大きな声ではなかった。教会の隅まで届く声でもなかった。ただ、彼女には届いたらしかった。

 彼女は父親の腕をほどいた。

 振り返って、僕の方へ歩いてきた。一瞬、何かの間違いだったのだと思った。彼女はまっすぐ僕の方へ来て、そのまま——

 通り過ぎた。

 ドレスの裾が、僕の靴の先をかすめていった。

 僕はまだ、誓いの言葉を暗記したままだった。



お読みいただきありがとうございます! ブックマークや下の☆☆☆☆☆の評価にて応援していただけますと励みになります! どうぞ、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
子供時代からの(ほぼ幼馴染レベル)彼氏を式典当日に裏切ったのね、この阿婆擦れ。 父親も知ってた見たいだし、当日キャンセルでも最低限しろだが。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ