続・異世界に聖女として召喚されたのに、なぜか「ブス」呼ばわりされています:ハナゲ殿下の苦悩編
テルネ王国の王子、ハナゲ・デ・テルネは、執務室の窓から王宮の中庭を見下ろしていた。
噴水を囲むように、四季折々の花が植えられた庭園。今はその庭に、黄色い花々が明るい彩りを添えている。国民に親しまれる、春を告げる花だ。
(ブス様と巡礼に出るまで、あと三日か……)
彼は、一ヶ月ほど前に異世界から召喚された、愛らしい女性の顔を思い浮かべた。
「ブス」は、この国の最高神「ブス・ノオ・ヤブン神」がもたらした、神聖なる女性に与えられる称号である。
そのブスには、これから国の各地にある神殿で祈りを捧げる儀式が待っているのだ。もちろん、彼自身も同行し、彼女が困ることがないように心を砕くつもりだ。
最初の巡礼地へ行って戻るのには、二週間ほどかかる。彼は、その間に彼女と自分との距離を縮めたいと思っていた。
この一ヶ月、知らない世界に召喚されて不安そうな彼女に、彼は誠心誠意尽くしてきた。そんな彼を、彼女も信頼してくれているようだ。
(だが、もっと近しい存在になりたい)
ハナゲは自分の手のひらに視線を落とす。ブスが召喚された時、落ちてくる彼女の体を受け止めたのは、この両手だ。
あの時の温もりの記憶が、まだこの手に残っていた。
驚いたように自分を見つめてきた、アーモンドのような瞳。きめ細やかな白い頬には、漆黒の髪がひと筋かかっていた。
(なんと愛らしい!)
彼は腕のなかの女性から視線が離せなくなった。挨拶のために、仕方なく彼女を降ろしたが、本当はあのままずっと抱いていたかった。
彼は22歳にして、初めて恋を知ったのである。
テルネ王国の王子であり、美貌にも恵まれた彼は、周囲の令嬢に熱い視線を向けられることも少なくない。だが、華やかに着飾るだけの気位の高い令嬢たちに、彼は興味を持てないでいた。
そんな令嬢たちに囲まれていた彼の目には、彼女のすべてが新鮮で愛らしく映ったのだ。
この一ヶ月の間、どれほど周囲に「ブス様」とあがめられようが、彼女は謙虚な態度を崩さない。むしろ、「ブス」という高貴な称号で呼ばれることに、戸惑いを感じているようだ。
(彼女を守りたい)
そんな庇護欲をそそる姿に、ハナゲの情熱は高まるばかりだ。
……しかし、二人の距離はなかなか縮まらない。
せめて、もっと親しい名で呼び合いたいのだが、未だに「ブス様」「殿下」から進展できないでいる。
(あいつらは違うのに!)
ハナゲはギリッと奥歯を噛みしめる。あいつらとは、彼女の護衛につけた騎士、ボク・カワイイノウとワンコノ・シッポーのことである。
彼らはなんと、「ボクちゃん」「ワンコちゃん」などと呼ばれているという。「ちゃん」とは、彼女の国で、親しい者同士で呼び合う時に使うそうだ。
いつも近くにいるせいか、いつの間にか彼らと仲良くなったらしい。
それを聞いたハナゲの胸に、嫉妬の炎がめらめらと燃え上がった。
だから、二人でお茶をしている時に、思い切って言ってみたのだ。
自分も「ハナゲちゃん」と呼んで欲しい、と。
彼女は、飲んでいた茶にゲホゲホむせたかと思うと、「それは無理です!」と全力で拒否した。
「なぜだ!?私は友人と思ってくれないのか?」
思わず問い詰めるような口調になってしまった彼に、彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。なんでも、高貴な方を呼ぶにはふさわしくないのだとか。
「そんなもの、私は一向にかまわない!」
「申し訳ありません。私の国では礼節を重んじるので、殿下をちゃんづけで呼ぶなんてできません」
深々と頭を下げた彼女に、それ以上強く言うことはできなかった。困らせるのは、本意ではないのだ。
コンコンコン!
ハナゲが小さなため息をついたとき、部屋のドアがノックされた。壁の時計に目をやれば、神殿との打ち合わせの時間だった。
「どうぞ!」
予想どおり、入って来たのは白いローブを着たゲス・ヤロウ神官長だ。長い白髭を生やしたその顔には、いつも通りの穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ハナゲ殿下、巡礼の準備は滞りなく……」
神官長は報告を始め、ハナゲは静かにうなずく。これは形式的なもので、準備に抜かりがないことは、両者ともよく承知している。
「殿下、なにかご心配な点でもございますかな?」
顔色の冴えない彼に、神官長は尋ねた。
「いや、巡礼に関しては不安はない」
「では、ブス様のことですか」
図星を指されて、ハナゲはほんのり顔を赤らめた。自分が彼女に思いを寄せていることを、この老人は初めから見抜いていたのだろう。
「うむ……なかなか、こう……心を開いてもらえなくてな」
「そうですかのう?」
白い顎髭を撫でながら、神官長は首を傾げる。
「私には、ブス様も殿下に想いを寄せられているように見えますが」
「いや、未だに『殿下』としか呼んでもらえないのだ」
ハナゲはしゅんと頭を垂れた。祖父のような神官長の前で、王子としての威厳を無理に保つこともない。
「うむ、やはりお名前が問題ですかの」
「そう思うか?」
「はい、殿下がいつまでも「ブス様」と呼んでおられるので、距離が縮まらないのではないかと」
「やはり、そうか……」
ハナゲは苦渋の色を浮かべた。
「ブス」は役職名のようなものなので、どうしても堅苦しく聞こえる。それは、自分が「王子殿下」と呼ばれるのと一緒だ。
自分が彼女を名前で呼べば、彼女も自分を「ハナゲちゃん」と呼んでくれるかもしれない。
分かってはいるのだが、そこには簡単に飛び越えられない高いハードルがあるのだ。
「ブス様も周囲の者たちに、普段は名前で呼んで欲しいとおっしゃってるようですが」
ハナゲの葛藤を知っているのだろう、神官長は遠慮がちにそう言った。
「いかん!あの愛らしい女性をあんな名前で呼ぶなんて!!」
断じて許せないと、ハナゲは拳で机を叩く。神官長は眉尻を下げて若き王子を見つめた。
「いや、分かっている。あの名前はブス様のご両親が、愛情を込めてつけた名前なのだと」
それは彼女が生まれた季節に咲く、香しい花の名前だという。
だが……だが、その名前の響きは、この国の者にはどうしても違った意味の言葉に聞こえるのだ。
「私の名前は・・・と申します」
(……え?ブサイク??)
初めてその名を聞いたとき、ハナゲは自分の耳が信じられなかった。
ブス・ノオ・ヤブン神の偉大なる力により、異世界の人間と自分たちの間に言葉の壁はない。自動で翻訳されるのだ。
とは言え、個人の名前はそのまま伝わる。ハナゲも最初は、「こちらの言葉でたまたまそう聞こえるだけなのだから」と、自分を納得させようとした。
だが、どうしても受け入れられなかったのだ。
自分が初めて恋した女性を、心から愛らしいと思っている女性を、「ブサイク」と呼ぶなんて!
他の誰かがそう呼んだら、頭に血がのぼってそいつを張り倒してしまうに違いない。
だから彼は、周囲の者にも名前ではなく、丁重に「ブス様」と呼ぶように言いつけてきた。
「殿下、この年寄りにひとつ考えがございます」
「なんだ?教えてくれ」
頭を抱えて悩む若き王子の姿を見かねて、神官長は口を開いた。彼は身を乗り出し、すがりつくような目で神官長を見つめ返す。
「ブス様に、この国での新しい名前をつけて差し上げたらどうでしょう?」
「新しい、名前」
ハナゲは目を見開いた。
なぜそんな簡単なことに気がつかなかったのか。目の前がパーッと明るくなっていく。
「いいな、そうしよう!!」
そうだ、花の名前がいい。彼は窓の外に目をやって、先ほど目にした花の名を口にした。
「それは良い名前ですな!国民にも親しみを持って受け入れられるでしょう」
「うん、今夜にでもブス様に提案してみよう」
神官長も賛成してくれたので、ハナゲは自信をもってうなずいた。
「では、私はこれで」
嬉しそうな王子の表情に微笑みを返し、神官長は一礼して部屋を出て行った。
静かになった部屋で、彼はソワソワと時計に目をやった。彼女との晩餐までは、まだかなり時間がある。
(そうだ、あれで花束を作って、彼女に贈ろう!)
手ずから摘んだ花で、自分の愛情を示すのだ。
明るい黄色の花束を受け取ったら、きっと最上の笑顔を見せてくれるに違いない。
花束と一緒に、新しい名前を告げるのだ。
「君の名は今日から『オシリ』だよ」
「そして将来は、オシリ・デ・テルネになってくれないか?」
(……いや、そのセリフはまだ早いな)
夕日が照らす廊下を中庭へと急ぎながら、ハナゲ・デ・テルネ王子はそっと頬を赤らめた。




