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ケイトリンは学園卒業後、王命によってマルノア伯爵家に嫁ぐことになった。
マルノア家の当主は、事件に調査官として関わった。だから、ケイトリンが真実を周囲に漏らさないように監視する役目を引き受けたのだ。
「僕は、君の気持ちが少しだけ分かるんだ」
マルノア伯爵の嫡子、リシャール・マルノアは言った。
「僕の父は色々な事件を調べている。だから学園で事情を探ろうとする者たちに、よく話しかけられたんだ。知らないって答えると、使えない奴って顔をされたから嫌だった」
リシャールは紅茶を一口飲むと続けた。
「彼らはね、真実なんて求めていないんだ」
ケイトリンは思いもよらない言葉に目を丸くした。
「君が、イスマイア伯爵令嬢について上手く答えられなかったのは、マクシミリアン卿と上手くいっていたからじゃないのかい?」
思い起こせば、ケイトリンにされる質問は、遠回しに不仲を問われていた。
仲良くしている。アルルは穏やかで素敵な女性だと言えば、つまらなそうな顔で話を切り上げられた。
ネフェリアとマクシミリアンの逸話であれば、幼馴染として交流のあった頃の話をするだけで良かった。何度繰り返しても喜ばれたし、受け入れられた。……勝手な想像を好き勝手に話すだけだったからだ。
「面白い話をしたかっただけ」
ケイトリンがぽつりとつぶやくと、リシャールは小さく頷いた。
「しかも時間が経てば忘れてしまうような、自分とは無関係のことでね」
そんなことのためにアルルを消してしまったのだと思うと、涙が溢れてくる。
「女性の場合、社交でつまらないと言われれば、自分だけでなく家の評判にもつながるから、どうしても気にしてしまうよね。だから君は何とかしたかったけれど、上手く行かなかった」
ケイトリンは頷く。
「やり方は許されるものではなかったけれど、追い詰められて辛かったね」
「そんな、優しい言葉をかけてもらう権利なんて、私にはありません」
ぽたぽたとテーブルクロスに涙が静かに染みていく。
「私は人を貶めてでも、話の真ん中にいたいと思ってしまいました。その浅ましさで、取り返しのつかないことを、しました」
そっとリシャールはハンカチを差し出してきた。ケイトリンは受け取って目元を拭う。
「噂が人を殺すというのは、昔からある。噂に関わった者全てを罰するのも、その噂の先でたまたま目についた一人を罰するのも、あまり効果がないんだ。忘れた頃に、また同じことが起こる」
「どうすれば……」
「相談して欲しい。僕たちは、夫婦になるのだから」
「どうして、そこまで優しくして下さるのですか?」
「僕も、今回の事件と無関係ではないんだ」
リシャールは苦い表情になった。
彼には元々婚約者がいた。
彼女はマクシミリアンに憧れていて、話題に出たときにアルルのことを貶めようとした。リシャールはアルルと面識がある。だから怒って、性格の悪い女とは結婚できないと婚約を解消したのだ。
「嘘を並べ立てて、顔も知らない令嬢を貶めようとする彼女を許せなかったんだ」
元婚約者の名前を聞いて、ケイトリンは唖然とした。一番仲がいいと思っていた令嬢だったからだ。
「婚約していたことも解消したことも、知りませんでした」
「彼女は君と親しくなって、マクシミリアン卿と結婚したかったんだ。だから婚約を隠したし、君からイスマイア伯爵令嬢のことを聞き出そうとしたんだ。結局、彼女が望む情報は出て来なかったし、僕が婚約を解消したから、君への当たりがきつくなってしまったんだ。……君は、孤立させられていたんだよ」
ケイトリンは、その自覚が無かったから驚いた。
「話の輪にいたとしても、誰も君の話に応じなかっただろう?マクシミリアン卿の妹が調子に乗っていると、元婚約者が噂を流したからだ。面白がった他の令嬢たちも、君を置物にして笑っていたんだ」
思い起こせば、そうだったように思えてくる。
「君は優しい家族に囲まれて育ったから、おかしいと思っても、それがいじめだと気付かなかった」
「いじめ……」
アルルを消して話題を作ったところで、意味など無かったのだ。
「それも調査で分かったことだよ。僕の元婚約者が噂を流していたことを、何人もの令嬢が証言している。だから隣国に嫁いだよ。ネフェリア妃は大層お怒りだったが、受け入れて下さったそうだよ」
「どうして」
「マクシミリアン卿と君の前に、二度と現れないようにするにはそうするしかないと、おっしゃったそうだ」
縁談という名の国外追放だった。
ケイトリンを笑っていた他の令嬢たちも、本来予定されていた婚約とは違う相手に嫁ぐことになった。家格が下がったり、王都から離れた場所へ。社交には出て来ないだろうとリシャールは言った。
「君も既に罰を受けている。王太子殿下との婚約が白紙になって、僕に嫁ぐのだから」
確かにケイトリンには、王太子との婚約話が来ていたのだ。マクシミリアンの結婚式が済んだら進めるはずのそれは、いつの間にか消えていた。
「……そんな話もありましたね。すっかり忘れていました」
ケイトリンは、弱々しく微笑んだ。
「よかったのだと思います。愚かな私に、国母など務まるはずがありませんもの」
リシャールは首を振る。
「君は幸せになれる筈だった。僕が怒りのままに婚約を解消したせいで、元婚約者の悪意に巻き込んでしまった。僕は、大勢の運命を変えてしまった」
「それを言うなら、私もです」
窓から風が入って来て、テーブルに飾られた紫の薔薇がふわりと揺れる。
「悔いても遅いと分かっている。それでも考えてしまうこの気持ちは、どうしたらいいのだろうね」
リシャールの頬を一筋の涙が滑り落ちる。
「よければ一緒に考えてくれないかい?情けないけれど、もう一人で考えたくないんだ」
その気持ちはケイトリンにもよく分かるものだった。
「私でよろしいのなら」
『ケイトリンは学園に詳しいのでしょう?色々教えて欲しいわ』
『私も、食堂でご飯が食べてみたい』
『図書館には、恋愛小説も置いてあるのね』
にこにこと、ケイトリンの話す学園生活のあれこれを聞いてくれたアルルはいない。
ケイトリンは再び泣き始め、リシャールは自分の涙を拭うと、彼女が泣き止むまでただ側で待っていた。
傷を舐め合うような関係から始まった二人だったが、互いを想う気持ちは大きく強くなっていった。
しかし幸せになるなんて許されない。二人はアルルが戻ってくるまで結婚しないことを周囲に伝えた。
すると、マクシミリアンが反対した。
「アルルは、そんなことをしても喜ばない」
話し合って、二人は入籍だけを済ませ、式は挙げなかった。
マクシミリアンは爵位を継承した。侯爵となったマクシミリアンに縁談を持ちこむ者はいたが、丁寧な断りの返事が届くばかりだった。
マクシミリアンは仕事の傍ら、次元魔法を研究している者を訪ねていた。異国の小さな魔法具店の店主であっても、次元魔法に詳しいのであれば訪ねた。分かったのは、薬が収納魔法の応用で、時間ごと切り取られて対象者が閉じ込められているということだけだった。
それでも調べずにはいられなくて、マクシミリアンは情報を集め続けた。
旅に出ていないときには、マクシミリアンは教会に通っている。アルルのいた控室だ。マクシミリアンは控室を毎年貸し切りにしているのだ。
「おはようアルル」
扉を開けてマクシミリアンは言う。返事はない。
マクシミリアンの記憶は擦り切れて、はにかんだ笑顔も少しぼやけている。話していたことは覚えていても、声までは思い出せない。
アルルの座っていたスツールの前にしゃがみこみ、その表面を撫でる。
「もう十年経ったよ」
香水の濃度から逆算すれば、そろそろアルルは戻って来る。何度も何度も計算したマクシミリアンは、今まで以上に長くこの部屋にいる。そのときを信じて。
「会いたいよ……」
いつも通り、返事はない。マクシミリアンはため息をついて立ち上がると、扉に向かう。
「あら?」
その声に、マクシミリアンの中の何かが弾ける。振り向けば、花嫁衣裳のアルルが立っていた。
「アルル……!」
マクシミリアンはすぐさまアルルを抱きしめた。
「マクシミリアン様、その服はどうされたのですか?……さっきまでちゃんと」
マクシミリアンは胸がいっぱいで返事も出来ないまま、泣きながらアルルを強く抱きしめた。
アルルもただならぬ様子に気付いたのか、そのままじっとしていた。
暫くして落ち着いたマクシミリアンは、そのままの姿勢で言った。
「沢山、話さないといけないことがあるんだ。まずは私を見て驚くだろう」
「驚くの?」
「……君よりもうんと年上になってしまったんだ。だから顔を見せるのが怖い」
「さっきちょっと見えたけれど、そんなに変わっていたかしら?」
アルルはくすくすと笑う。
「きっと……がっかりする」
そう言いながら、マクシミリアンは腕を離して二歩下がった。
あれから十年経ったのだ。式当日の若さは失っている。
アルルは、マクシミリアンを上から下までじっくりと見てから、少し寂しそうに言った。
「残念だわ」
その言葉にマクシミリアンは痛みを堪えるような顔になったが、アルルは続ける。
「こんなに素敵な男性になる過程を見損なってしまったのね」
マクシミリアンは呆然としてアルルを見つめる。
「結婚してくれるの?」
「他の相手なんて嫌よ。……折角綺麗にしてもらったのに、着替えなくてはいけないわね。お式はまた今度でしょ?」
「いや、今すぐ式を挙げよう!」
マクシミリアンは司祭に、自分とアルルの結婚式を挙げてくれるように頼み込んだ。
司祭は、ずっとマクシミリアンを見守っていた。だから花嫁の帰還を喜び、すぐに結婚式を執り行ってくれた。参列者はいないと思っていたが、教会のシスターや警備に当たる騎士たちが詰め掛け、座席はあっという間にいっぱいになった。
十年間待ち望まれていた花嫁が戻って来た。
その報せは親族へ、そして親族から更に別の誰かにと、瞬く間に伝わることになった。
アルルはマクシミリアンと式を挙げた後、別室でマクシミリアンから事情を聞くことになった。
「どういう理論だったのかしら?気になるわ」
「だめだよ!」
「分かっているわ」
そう言ってマクシミリアンの頬に触れるアルルの手を、マクシミリアンは自分の手で包み込む。
「少し痩せた?」
「帰って来ると計算で分かっていても……十年は本当に長かったんだ」
アルルはマクシミリアンの十年を思い、目を潤ませながら言った。
「そうでしょうね。あなたと私が逆だったら、私は誰かと結婚していたと思うわ」
「え?!」
「だって、私はおばさんになってしまうのよ?愛される自信なんてないわ。ふさわしい人を探してもらうためにも結婚するしかないじゃない。さんざん泣いて諦めが付いてからだろうけれど、きっとそうしたわ」
苦い顔をした後、マクシミリアンはほっとした表情で言った。
「君は君のままだね。安心したよ」
お互いを見て笑っていると、勢いよく扉が開かれて、アルルの両親、そしてケイトリンが駆け込んできた。
「アルル!」
両親はすぐさまアルルを抱きしめて号泣する。
「お父様もお母様も、泣き虫ね」
アルルはそう言って笑うと両親を抱きしめ返した。
そして……ようやく離れた所で、アルルは背後に顔色悪く立っているケイトリンを見た。
「ケイトリン?」
ケイトリンが何か言い出す前に、アルルは立ち上がってケイトリンの前に立つ。
「事情はマクシミリアン様に聞いたわ」
「誠に、申し訳ありませんでした」
愛らしい笑顔が印象的だったケイトリンは、張りつめた雰囲気の美女に成長していた。
アルルはやつれたマクシミリアンを見て怒っていたが、その顔を見たら文句を言えなくなってしまった。
アルルにとってはほんの一瞬だが、世間では十年の時間が流れているのだ。
(辛い思いをしたのね……)
「もう謝らないで」
「でも……」
「謝罪は、まだ受け入れられないわ」
アルルの言葉に、ケイトリンの顔が強張った。
「何があったのか、今度教えてちょうだい」
「会いに行っていいのですか?」
「勿論よ。私は自分の身に起こったことを、あなたの言葉で知りたいの」
マクシミリアンもアルルの両親も、背後で頷いている。
「待っているわ」
「はい」
ケイトリンはそこでようやく表情を緩めたのだった。
教会の外に出ると、大勢の人たちが集まっていた。皆、十年消えていた花嫁と、それを待っていた花婿を祝福しようと集まって来ていたのだ。マクシミリアンはアルルを横抱きにし、アルルは大きく手を振った。
歓声が上がる中、二人は笑顔で教会を後にしたのだった。




