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「お義姉様、とても綺麗だわ!」
結婚式の当日、アルル・イスマイア伯爵令嬢は、夫となる人の妹の言葉に満面の笑みを浮かべた。
アルルは今日、ベルクレア侯爵家の嫡男であるマクシミリアンに嫁ぐのだ。
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マクシミリアン・ベルクレアは、貴族学園を卒業すると同時にアルルに婚約を申し込んだ。それまで関わりのなかったアルルは酷く戸惑った。
マクシミリアンはネフェリア王女の幼馴染で、婚約相手はネフェリア王女で決まりだと言われていたからだ。しかし、ネフェリア王女とは婚約しなかった。ネフェリア王女には生まれた時から隣国の王太子との婚約があったのだ。
『本当かしら?』
そんな声はそこかしこで上がった。幼馴染の王女と侯爵令息のラブロマンスは、引き裂かれた悲恋として学園内で面白おかしく噂された。そのため、マクシミリアンへの縁談の話は、ほとんどないまま卒業を迎えたのだ。
「あなたも噂を信じるのですか?」
初顔合わせでそう問われて、アルルは首を小さく傾げた。
「そうではないのですが、殿下をお好きではなかったのか気になります」
「幼馴染としての信頼はあります。ただ、お互いの好みが合いませんでした。殿下は筋肉質な男性がお好きでしたから」
しなやかな細身で、マクシミリアンは穏やかに笑う。
「その分、攻撃魔法に長けていらっしゃるではありませんか」
「小難しい話ばかりで鬱陶しいと、何度言われたことか」
「まぁ」
「あなたなら、魔法文法の話をしてもそんなことを言わないでしょう?」
「それはそうですが」
イスマイア家は魔法研究者の家系なのだ。十三歳の頃から、アルルは詠唱の短縮や魔道具に込める際の印章の簡略化などで論文を出している。その成果が認められ、学園への通学は免除されていた。
「私は夫人になっても、魔法以外はあまりお役に立てませんがよろしいのですか?」
「社交や領地経営は、できる者に補佐をさせます。あなたの良さは魔法の研究にあるのですから、今後も続けて下さい」
そう言って、かつて出した論文の話をするマクシミリアンを、アルルは好ましく思った。
婚約、そして結婚へと、穏やかに交流は進んだ。
二人は互いに魔法という共通のものを通じて笑い合い、ときに議論を交わしながら、互いに恋をして愛し合うようになった。
マクシミリアンもアルルも、結婚した先に待つ幸福を信じていた。
マクシミリアンには、五歳年下の妹がいる。ケイトリン・ベルクレアだ。
マクシミリアンには二人の姉がいて、ケイトリンは遅くに生まれた末っ子だった。だから家族全員が甘やかしていたため、少し我儘に育っていた。
ケイトリンは美しい兄が大好きで自慢だった。魔法の才に溢れ、王女の幼馴染であり悲恋の主人公。
マクシミリアンが卒業してもその噂話は続き、ケイトリンは時の人として、令嬢たちの話の中心にいた。
そんなとき、マクシミリアンが婚約を発表した。相手は見たことも聞いたこともないイスマイア伯爵令嬢。その頃から、ケイトリンの学園での立場は変わっていった。
令嬢たちの話題は、アルルとのなれそめやアルルの人物像へと移行したのだ。そうなるとケイトリンは上手く答えられなくなっていった。
アルルとマクシミリアンは、魔法の話しかしていない。そして、ケイトリンと話をしていても、おっとりと笑みを浮かべて聞き役に回るアルルの情報は、ほとんど魔法の話だった。
『お義姉様と呼んでもよろしいかしら?』
『ええ、喜んで』
『お義姉様の好きなことはなんですの?』
『魔法の研究です』
『普段は何をなさっているのですか?』
『最近は古代魔法陣の五重構造の解析です』
『……』
アルルとは、普通の令嬢のようなやり取りはできなかった。気づけば、ケイトリンばかりが学園の話をするようになっていた。
令嬢たちは、やがてマクシミリアンのことを話題にしなくなった。婚約者を得たマクシミリアンは、令嬢たちの興味の対象ではなくなったのだ。ケイトリンは答える側だったから、話題を提供することが上手くない。だから微笑んで頷くだけになっていった。
それでも、話の輪に入ろうとしたのだ。
「氷菓子を出すあのカフェの予約がとれましたの。皆様も一緒にどうですか?」
ケイトリンがそう言っても周囲の反応は薄い。薄いどころか、つまらなそうな顔をされたのだ。
「時間が合えば是非」
それだけ言うと、別の令嬢が続けた。
「それでね、歌劇場の次回の新作が決まったそうなの」
「まぁ、どんな作品ですの?」
「ふふ、皆様もご招待しますわ。お父様がボックス席を二つも取って下さいましたの」
「まぁ、素敵」
「いつですの?」
ケイトリンは一緒に行くと言えなかった。混乱していたのだ。どうしてカフェへの誘いが軽く流されてしまったのか分からなかったからだ。
そんなことが幾度も重なり、ケイトリンはふさぎ込むようになった。
まるでいないように扱われる日々。心がすり減り、黒い何かが心に溜まっていく。
侯爵令嬢として育ち、笑顔を向けられるのが当たり前だった。こんな扱いをされたことがない。自分がいないものとして扱われる理由が、どうしてもわからない。
そんな中で、ケイトリンは閃いてしまったのだ。自分が再び話題の中心になる方法を。
ケイトリンは学園の知人から紹介されて、一人の無認可魔法使いに接触した。
学園の生徒に小遣い程度の金額で、門限を過ぎても見られずに寮に戻る薬や、髪の毛の色を変える薬などを売る魔法使いだが、金を払えば無茶も聞いてくれると言う。
「少しの間、人を消す方法を探しているの」
「物騒だな。お嬢さん」
無精髭を生やした魔法使いは、そう言いながら酒を瓶から直に飲んでいる。
匂いに顔をしかめながら、ケイトリンは言った。
「お金なら払うわ」
重たい金貨の袋を目の前に置くと、魔法使いは黄色い歯をむき出して笑い、背後の棚から小瓶を差し出した。
「一滴だ。一滴で一日消える」
魔法使いの説明では、その薬は使用者を見えない場所に閉じ込めるもので、一定時間見えなくなると言うのだ。
「二滴で二日。沢山かけるとそれだけ長く消えていることになる」
「それで、使われた人は大丈夫なの?」
「平気だな。使われた方にとっては一瞬でしかない」
疑いの眼差しを向けると、魔法使いは言った。
「俺は殺しはしたことがない」
嘘かもしれない。そう思ったけれど、ケイトリンは自分の気持ちに負けてそれを手に取ってしまった。
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ケイトリンは薬を香水に混ぜて、結婚式の準備をするメイドに渡した。
「お義姉様にぴったりな香りよ。仕上げに使ってさしあげて」
メイドは快く引き受け、アルルにつけられることになった。使った後も、アルルは特に変わりなく化粧台の前に座っている。ケイトリンは、様子を見に来てがっかりしてしまった。
騙されたのだと思っていたとき、マクシミリアンがやって来た。
はにかんだ笑みを浮かべるアルルを見て、マクシミリアンは目を見開いた後、笑顔になった。
「アルル。綺麗だよ」
そう言って近づいた瞬間……アルルは立ち上がろうとして忽然と姿を消したのだった。
何が起こったのか、その場の全員は理解できないまま、少し呆けた。その後、マクシミリアンが慌ててそこら中を探し始めた。窓を開け、人を呼んで周囲を探させ、とうとうクローゼットも開け始める。
「アルル……アルル……どこだ。アルル」
強張った顔で、祈るように呟くマクシミリアンを見て、ケイトリンは激しく動揺した。確かに、結婚式を失敗させようと思っていた。しかし、こうなるとは考えていなかったのだ。
家族も参列者も、唐突に花嫁が消えた異常さに顔色を悪くしている。その後、結婚式は中止になり、騎士団が呼ばれた。
しかし、何日経ってもアルルは見つからない。とうとう王家からも魔法調査官が派遣され、ケイトリンの渡した香水瓶が原因だと判明した。
「一滴で一日だって、魔法使いが言ったの!だから、香水瓶に一滴入れたの……少し消えるだけでいいと思っていたから」
マクシミリアンだけでなく、ベルクレア侯爵夫妻も真っ青になって末子を見た。
「なぜだ!」
温厚なマクシミリアンが、妹の肩を痛い程に掴み、揺さぶる。
「アルルは、お前を可愛がっていたじゃないか!」
「ご、ごめんなさい!お兄様、ごめんなさい!こんなことになるなんて思っていなかったの」
そして……ケイトリンが接触した魔法使いは、恨みと売った薬について書いた遺書を握りしめ、遺体となって発見された。
魔法使いは、ケイトリンの思考を探り、若くして魔法学界で認められているアルルが薬の対象だと知った。だからケイトリンに嘘を吐いた。
「一滴で百年だと……!」
アルルの父親は、それを見てその場に崩れ落ちた。マクシミリアンも呆然としている。
遺書には過去のことと薬の生み出された経緯が書かれていた。
魔法使いはかつて城に勤め、天才である同僚への劣等感に苛まれていた。
殺してしまえば遺体が残る。だから違う空間に閉じ込めることにした。自分が生きている間に出てくれば、己の行いが発覚する。だから……決して生きていないであろう百年の効果を付けたのだ。
この薬を作るために城の希少な薬草を使ったことが発覚し、魔法使いは魔法学界を追放されたのだ。
王家から派遣された調査官が、慰めるように言う。
「香水で希釈され、数回使っただけです。きっとそこまでかからずに戻って来られるはずです」
マクシミリアンは拳を握りしめて俯く。
そして王家から、ベルクレア家の花嫁が魔法で行方不明になったことが発表された。アルルの才能に嫉妬した魔法使いの犯行とされ、犯人が既に死亡していることも発表された。
ここでケイトリンを罰しても、マクシミリアンは救われない。それどころか、家督を継ぐ彼に酷い瑕疵をつけることになる。だから、罪に問われなかった。
ケイトリンの周辺を調査した調査官が、そうすべきだと王に進言したのだ。
ケイトリンは暫く休んだが、何も知らない被害者の顔をして学園に通わなければならなかった。
望んだとおり、多くの令嬢たちから質問攻めにあったが、答えられるはずもない。令嬢たちは情報を引き出せないとなると、ケイトリンに無関心になって違う話題で盛り上がっていく。
なぜ話題の中心にいたいなんて思ったのか。過去の自分を呪うが、アルルは戻って来ない。
取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
両親はもうケイトリンに微笑まない。優しかった兄は、ケイトリンに視線を向けることすらしない。……恨み言でも言われた方がましだったが、兄は憎しみも怒りも、ぶつけようとしない。
部屋にこもって何日も出てこなくなり、たまに見かければ幽鬼のようだ。
「お兄様……」
勇気をふり絞って声をかけると、マクシミリアンは視線を前に向けたまま言う。
「アルルは戻ってくる。私たちは、結婚すると約束していたのだから」
ケイトリンは、それ以上声をかけることはできなかった。
彼は、何年経っても新たな婚約者を迎えることはなかった。




