20.心を走らせて
――12月8日、放課後。
里宇はジャージ姿で、マラソン大会に向け、校庭を走っている。
俺は教室の窓枠に手をかけ、その様子を見ていた。
部活の邪魔にならないように外周を走り、時おり汗を拭う様子に、ふっと口角が上がる。
「里宇ちゃん、すんげぇ本気じゃない? マジで50位以内を目指してるんだろうな」
三島は隣の窓を覗き込んで、俺と同じように眺める。
「そういうところが、他の女子と違うんだよね」
窓辺に揺らぐ風がやけに冷たい。
綾梨と別れてから、色んな人とつきあった。
多分、無意識のうちに綾梨の影を探していたんだと思う。
「ニューヨークへ行きの話、里宇ちゃんに話したの?」
三島はそう言って俺を見た。
俺は静かに首を振り、目を細める。
「俺らは1ヶ月の契約だから」
期限つきの恋人関係。
そこに、情を挟んでいいのかわからない。
教室内のざわめき声が、胸の奥をざらつかせた。
三島は俺の肩に手を乗せて、顔を近づける。
「おまえのためにゴミ袋をあさる女なんて、いままで何人いた?」
「……」
「ちゃんと話した方がいいよ。信じているんだったらね」
肩をポンっと叩き、離れていった。
どうせ会えなくなるなら、言う必要なんてないと思っていた。
それでも、ふとした瞬間に里宇の顔が思い浮かぶ。
綾梨と一緒にいたときのように。
ポケットのイヤホンを握りしめ、胸の奥のざわめきを押しこめ、教室を出た。
校庭に向かい、外周から戻ってきた里宇の前に立った。
彼女は息をきらし、肩を揺らしながら、俺の前で足を止める。
「練習までしているなんて、バカバカしいと思ってるんでしょ」
「いや、普通に応援しに来たんだけど? 頑張ってるな~って」
俺は涼しい顔で腕を組んだ。
相変わらず尖ってるな、なんて思いながら。
「じゃあ、邪魔しないで。あんたと関わると、ロクなことが起きないんだから」
彼女はプイッと顔を背けて走り始めた。
俺は後を追い、距離を縮め、その隣を走る。
「そんなこと言わないでさ。50位以内にゴールできるように手伝うよ」
「無駄な遠回りをするくらいなら、さっさと別れてよ」
減らず口を叩いていても、彼女のことはもうわかっている――目標は、変えたくない。
彼女はむくれた表情で、足を止めた。
「走り方を教えてあげようと思ってね。中学んとき、陸上部だったんだから」
「もしそうだとしても、余計なお世話。放っておいてよ」
「まぁ、その走り方じゃ厳しいだろうね」
俺は腕を組み、小さく笑った。
「コツを教えるから、一緒に走って50位以内目指そう」
「あんたに言われなくても、一人で頑張るし!」
”頑張る”と言う言葉に、負けず嫌いの一面が映し出された。
「相変わらず可愛げがないね。とりあえず、3周走ってからアドバイスするよ」
「そんなの、いい! 自分でなんとかできるし」
彼女は文句を言いながらも、再び走った。
ほんと、不器用だなって思う。
しかし、そんな言動とは裏腹に、2周ちょっと周っただけで、激しく息切れしている。
同時にペースが落ちて、隣から消えた。
「もうダウン?」
振り返ると、彼女は「まだまだ、これから!」と気合を見せた。
が、次の瞬間、シャーッと滑って、あっという間に砂利の煙に巻かれる。
俺は足を止め、彼女の元へ。
「おい、大丈夫かよ」
「いてて……、大丈夫」
彼女はゆっくり立ち上がろうとしたが、左側によろけた。
顔を歪め、指先で足首を触っている。
どうやら足首をひねったらしい。
「背中に乗って。保健室連れて行くから」
俺は彼女の前でしゃがんで、おんぶの姿勢に。
彼女はなんとか体制を整えるが、足をふらつかせたまま、首を振った。
「はぁ? 無理に決まってる!」
足を下ろそうとしていたが、地面に着いても力が入らない様子。
立ちたい気持ちと、動かない足のギャップが痛々しい。
「仕方ねぇな」
彼女の前へ行き、彼女をおんぶした。
体にズシッと重みが増す。
二、三歩あるくと、校舎の窓の方から、女子たちのキャアという悲鳴が耳に入った。
「バカバカ、おろしてよ! みんなが見てるし」
彼女は俺の背中で両手足を動かし、ジタバタする。
でも、そんなのお構いなしに、俺は足を進めた。
「保健室に着くまでだから、暴れないで」
「無理! こんなことされたら、女子にまた嫌がらせされる」
「そのときは……守るよ。今度こそ」
彼女から、ただ与えてもらうのを待ってるだけじゃダメだ。
残りの時間は、後悔したくない。
「なによ、バカ……。いい人ぶっても、別れたいことに変わりないからね」
「それはそれ。これはこれ。ってか、……案外重いな」
「うるさい! いまダイエット中なの! 嫌なら下ろしてよ」
彼女は恥ずかしさを隠したいのか、俺の背中をドンドン叩く。
でもぶら下がっている足は、しっかりと俺の腕に預けている。
「50位以内、目指すんだろ。だったら、大人しく背中に乗ってな」
「……っ」
次第にひそひそ声が増え、視線が俺たちに集中した。
でもそれが、恥ずかしいとは思わない。
こんなに生意気な彼女でも、身も心もあったかいから。
――最近、こんな時間が楽しい。
自分らしくいられるし、つい目が彼女を追ってしまう。
雲の隙間から差し込む太陽が、俺たちの影を一つにした。
彼女に出会うまでは、影に目もくれなかったのに。
いまは一つの大きな影を、温かい目で見ていたい。




