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49 現実と夢の間

その日、エヴァリスの姿はいつもの朝と変わらず神殿にあった。

しかし祈祷を終えヴァレリーと別れた後、神殿の外で待っているライラの元へ行くがどうしてかその日は姿が見えなかった。



「エヴァリス様、ライラはマリアンナ様に急用で呼ばれましたので私が自室までお送りいたします。」


「…分かりました、ありがとうございます。」



いつもは見かけないメイド。エヴァリスが不思議に思いながらもその後に続けば、メイドは王宮の廊下を横切ると真っすぐにいつもの道を歩き続ける。が、しかしエヴァリスは僅かな魔力の気配に気づいた。



「お待ちください。先ほどから道は合っていますが僅かに空間が歪んでいます。貴方はメイドではありませんね。」



エヴァリスがその背中に声をかけると、メイドは静かに立ち止まりくるりとエヴァリスに向き直る。


「やはりあなたの魔力は桁違いですね。」



聞いたことのある男の声に、警戒したエヴァリスは虹の魔法を解放しようと力を入れる。

するとメイドの姿が目の前で煙のように揺らめき始め、そこには祭司であるオルフェンの姿が現れた。

それと同時に先ほどまでいた筈の空間が歪み始めエヴァリスが立っている場所は他でもない王宮の裏庭であった。オルフェンは自身の幻術でエヴァリスを秘かに人気のない場所に呼び出したのだ。



「急な事で申し訳ありませんねぇ。私はエヴァリス様のお力になりたいだけです。」


「幻術を使いこんな場所まで連れてこられるとは気分の良い話ではありませんね。」


「そう怒らないでください。こうでもしないとあのヴァレリー祭司長様は死んでもあなたを私に会わせたくなかったようですから。」



苦々し気にヴァレリーの名前を口にするオルフェン。何故この男がヴァレリーにそこまで固執するのかはさておき、ここはまだ王宮の敷地内である。エヴァリスとていざとなればオルフェンに攻撃を繰り出すことも可能だが事を荒立てるのは得策ではない。あくまで向こうは王宮に長年使える祭司オルフェンだ。



「エヴァリス様、今日は貴方に忠告に来ました。」


「忠告?」


「もうすぐセオリア様とアネモネ様の婚約が正式に決まります。ルシエラ様とルモネ王妃も承知の事、本来であれば日取りを決めても可笑しくないくらいです。しかし、どうしてまだ王宮の中で通達がないのかお分かりですか?」


貴方がいるからですよ。


その言葉を聞いたエヴァリスが動揺を見せた瞬間、オルフェンはしめたとばかりにほくそ笑む。


「聡明なエヴァリス様です。ご自身の立場はお判りでしょう…。貴方が虹の魔法を有することは揺るがない事実ですが、現にあなたは記憶喪失で不安定な状態です。そして正家は罪人であるケイネン家です。養女として戸籍を変えたところで忌々しい血筋であることに変わりはないのですよ。」


「それは…。」


「セオリア様がどうして千載一遇の機会を前に足踏みをするのか。貴方との美しい過去に執着し離れられないからですよ。愛とは尊いものですが執着とは紙一重です。セオリア様はまだお若い…優秀なセオリア様が気の迷いでこれから先の未来を失うのはあまりにも…。」



そう言ってオルフェンはすすり泣く様に顔を伏せると、エヴァリスに向かって笑みを深めた。オルフェンは宮殿で初めてエヴァリスと言葉を交わした時から、エヴァリスの心の奥底を見透かしているのだ。



「つまり王宮から出て行け、と言いたいわけですね。」


「私の口からそのような事は…。ただ知っていただきたいのは、これは私個人の意思ではありません。王宮内にはハレオンの国を貶めようとしたケイネン家である貴方の存在を疎ましく思っている人間は存在しているという事実です。」



その言葉にとうとうエヴァリスは閉口した。感情を揺さぶりに来ていることは百も承知だが、オルフェンが口にしているのはあくまでも事実なのだ。エヴァリスにとって心を砕かれるには十分だった。


エヴァリスから魔法の気配が消えたのを見てオルフェンは小さくため息をついた。


「先ほども言いましたが、私はエヴァリス様のお力になれるのです。王宮の外に出たいと思った時には私を探してください、セオリア様に納得していただけるやり方で願いをかなえて差し上げましょう。」


オルフェンはそう言うとパチンと指を鳴らした。

目を開けると、エヴァリスの身体は先ほどのまま神殿の入り口にあった。既にオルフェンの姿は消え周りに人の気配はない。暫く呆然と立ち尽くしていると予定通りの時刻にエヴァリスを迎えに来たライラが小走りでエヴァリスに近づく。


やはりオルフェンの手によって時間が歪められていたらしい。エヴァリスが神殿の扉を開け放った際に発動するように仕組まれていたようだ。


「お嬢様、お迎えに上がりましたよ…っと、いかがされたのですか?お顔が真っ青です。」


「大丈夫、何でもないわ。」


血の気が引くような感覚にはなるが、倒れるほどではない。先ほどから気遣うライラの声が一向に入らないくらいエヴァリスの心は手の先から冷たくなっていく。


『あなたがいるからですよ。』


オルフェンの言葉はまるで魔物のようにエヴァリスの心に絡みつき重い闇に引きずり込む。

このままでは自分の存在がセオリアにとって重荷になる。エヴァリスは一刻も早くこの王宮からでなければいけないと焦燥感に駆られるのだった。



「申し訳ございません。エヴァリスお嬢様は本日昼食は出先で取られるそうです。」


「そうでしたか…残念ですがセオリア様にお伝えします。しかしこの所あまりお二人でお食事をお召し上がりになる時間がありませんね。」


リタールの言葉にライラは暫し俯いた。エヴァリスは先日の祈祷を境に、新たに開校予定の学校準備に明け暮れていた。最近ではセオリアと心を交わし合い良い雰囲気だったのだが、セオリア自身も忙しくしていることもあり二人で会う時間がなかなか無い。


「私にはお嬢様ご自身がその…セオリア様を避けているように思えます。」


「勝手に噂が立ちました。まだ他の令嬢の方にもご説明していますが審査はまだ続いておりアネモネ様に決まったわけでは無いのです。」


「でも…お嬢様のお気持ちを考えたら仕方ない事だと思います。大事にしている人の婚約者を選ぶ場で自身は隠れるように生活して国のために祈祷を捧げる毎日ですよ。」


お嬢様があまりにもお可哀そうです。

ライラが話しながら涙をにじませるのを見てリタールはそっとハンカチを差し出した。


「私たちは主の為に存在します。行く末に干渉することは出来ません。」


「リタールって優しいけど女心は全くですね!」


渡されたハンカチを目に当てながら「鈍感!!」と涙を流すライラを見てリタールは頭を抱えたのだった。


そんなライラ達を知る由もなく、夜な夜な作り続けてきたエプロンに最後の刺繍を施すとエヴァリスは糸切ばさみで長く伸びた糸を切り離した。


「終わった…。」


誰もいない教室で思わず声を出すと、そのまま机に身体を投げ出すように伏せる。やり切ったと同時に、自覚していなかった疲れがどっと押し寄せ、目の奥をジンジンとさせながら目の前にずらりと並べられた名前入りのエプロンたちをぼんやりと眺める。何か手に着けていないと色々な事を考えてしまうので気づけば一人で作業を終えてしまったのだ。


「さすがに疲れた…。」



今日もまたセオリアから逃げるように食事の誘いを断って数日。

正直に言えば、そろそろ言い訳を考えるのも追いつかなくなってきていた。しかし幸いなことに最近のセオリアもまた、いつになく忙しく走り回っていると聞く。


この屋敷で学校の準備が整えば、エヴァリスは正式にヴァレリーを通じて王宮を出てここで働こう。エヴァリスは秘かに決意を固めた。今は目の前の事を毎日忙しくこなすことがエヴァリスにとって喜びなのだ。それがどんなに疲れを感じたとしても。


教会でのボランティアとは異なり、正式に学校の準備を進めるにはたくさんの制約があった。学習のカリキュラムの作成や安全管理のための配慮、食事の提供。これから働く予定の教員を交えながらエヴァリスはひっきりなしに王宮の外へ出かけては遅くに戻って来る。


この日、子ども達の教材作りの為に秘かに戻ってきたエヴァリスは周りの目の届かないうちに王宮の書庫に入ると本を数冊手に取り机の上に置いていく。


「さすがに一気には運べないわね。」


誰かに一緒に来てもらえばよかった。小さな後悔と共に先ずはどの本から持って行こうかと、エヴァリスは近くにあった椅子に座るとパラパラと本を捲り始める。時間はお昼を少し過ぎた頃。

誰もいない書庫の中はほんのりと暖かく、柔らかい日差しがエヴァリスの肩を照らせばその瞼は少しづつ重たくなっていく。こくり、こくり…と頭が揺れ始め「早く戻らないと…。」頭ではそう分かっているものの疲れが限界までたまった身体は重力に逆らうことなくエヴァリスの瞼を撫で続け、とうとうエヴァリスの手から本が滑り落ちた。


『エヴァ、見て!面白い本を見つけたんだ。』

『セオリアのお勧めの本ならハズレは無いわね。』


王宮の庭でシロツメクサを見ていたエヴァリスに、小走りで近づいて来た幼いセオリアはエヴァリスの横に腰かける。その手には【ハレオンの国の七不思議】と書いてある本があった。


『面白そう、ハレオンの七不思議ってどんなものなのかしら?』

『僕読んだんだけど、その七不思議のひとつがね…。』

『ちょっと!先に答えを言わないで。私も見るから待っていて。』


慌ててセオリアの口を抑えたエヴァリス。その可愛らしい顔が間近に迫りセオリアの耳が直ぐに赤く染まる。

固まったままのセオリアから本を取り、すぐさま読みふけるエヴァリスを見てセオリアは笑みを抑えながら一緒に本を覗き込んだ。


シロツメクサが揺れる中、二人は時間を忘れて本に没頭する。


『僕としては、ハレオンの秘密その⑥は王宮の庭園の中にある気がするんだよね。』

『歌う花の伝説でしょう?触れると歌うなんて一体どんな歌なのか気になるわ。』

『じゃあ今から探しに行くかい?』

『良いわよ、どっちが先に見つけられるか競争ね。』


負けず嫌いのエヴァリスはそう言って手を叩くと、セオリアより先に花を見つけようと立ち上がる。


『ちょ、ちょっとエヴァ待って!!』

『なぁに?』


急に手を引かれたエヴァリスは出鼻をくじかれたと口を尖らす。セオリアはドクドクとなる心臓を抑えながらエヴァリスの手を掴み、その目を見つめた。


『もし…、もし僕が先に見つけたら今度一緒に、その…。』

『マリアンナの宿題のこと?それなら心配しなくても手伝うわ。』

『な!そうじゃなくて!!今度デートしよう。』


デート…。思いがけない提案にエヴァリスは目を何度かぱちくり瞬かせると花の様に笑った。


『良いわよ。セオリアが私に勝てたらデートしましょう。』

『良いの!?』

『でも私の方が足が速いからね、きっと私の勝ちよ。』


エヴァリスは言い終わる前に駆けだすと王宮の庭園を目指す。「ちょっと!まだスタートって言ってない。」慌ててその後ろを追いかけるセオリア。二人がはしゃぎながら走っていくのをどこか遠くから見つめながらエヴァリスは自身の心臓が痛い程に締め付けられる。


その時、頭から引っ張られるような感覚にエヴァリスは現実に引き戻されるのを理解した。目の前で笑うセオリアの顔に段々と靄がかかりその笑顔が薄れていく。そうエヴァリスは夢を見る度にセオリアの事を思い出しては起きるときに全てを忘れてしまうのだ。


「待って、セオリア。忘れたくない。」


もう何度このやり取りを繰り返してきただろう。エヴァリスは抗うように目の前の思い出に手を伸ばす。

今度こそ失いたくないと願いながら。



ガタン。

エヴァリスが飛び起きると、重なっていた本にぶつかり床に落ちる。その衝撃で目を醒ませば、エヴァリスはまたセオリアの全てを忘れてしまうのだ。


「まただ…。」


起きる時に涙が頬を伝うのはこれで何度目だろう。いつも深い眠りに落ちているせいか夢の内容は全く覚えていないがどこか胸の切なさはいつも名残惜しくエヴァリスに靄を残す。

どのくらいの時間、眠ってしまっていたのか、どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。


「いけない!早く戻らないと。」


慌てて椅子を立つとエヴァリスの肩からブランケットが一枚滑り落ちた。拾って模様を確認するが明らかにエヴァリスのものじゃない…。

もしかしてライラかと思い慌てて書庫を見回すが人の気配を感じることはない。寝ているときに誰かが掛けてくれていたのか…。でも誰が?


しかし少し出ると言ってきた手前、一刻も早く戻らなくては。エヴァリスは慌ててブランケットを丁寧に畳むと机の上に置き、本を数冊手に取ると急いで書庫を後にした。


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