魔法の檻の中で
結局はそういうことなのか。
わたしは彼に対する嫌悪を表情に出さないようにするのに必死だった。
人格転移。禁呪。
身体を乗り換え続ければ、不死ということ。
それはとても単純明快な理由。
「まさか、あの女が逃げるだけの力が戻っていたとは思わなくてね。正直なところ、困惑している」
ディーン――中央局長はやがて、わたしに歩み寄りながら言う。「あの女がここにきてからは、わたしも気を付けていた。この隔離室は、神殿の人間の力も借りて作り出した古代魔法による巨大な檻だ。だから、この中では魔法は使えても、外部には影響を与えられない。外部からも影響は与えない。ほぼ、逃げ出すことは不可能だった。しかし、万が一の危険を避けるために彼女の魔力や体力を奪っていた」
「……どうやってでしょうか」
思わず、わたしは後ずさった。「神殿の力を借りて、ですか?」
「彼女の肉体はほぼ不老不死に近くてね」
そう言った彼の顔がわたしのすぐそばに寄せられた。
嫌な感じ。これは、脅しだろうか。
「幾度か彼女の身体の中を見せてもらった。あれは凄いものだ」
「身体の中?」
「生体解剖だね」
中央局長が笑う。
わたしは堪えきれず、嫌悪を表情に出しただろう。それを見て、さらに彼は満足げに唇を歪めた。
「彼女の身体につけられた傷は、普通の人間よりずっと早く治癒する。心臓を切り裂いても、ゆっくりではあるが完全に治る。腕を切り落としても、再生するのだ。ただ、治癒するまでの間、彼女の肉体はかなり弱ってしまうし、魔力も低下する。だから、逃亡防止にはちょうどよかった」
切り落としても再生?
逃亡防止?
「それより興味深かったのはその治癒力だった。わたしもそのようになりたいと思ったが、彼女の説明によると、それは偶然の産物だという。彼女は自分自身に何度も魔法による特殊治療を続け、改造をしたのだと。その途中で、そういう肉体になったのだというのだが、同じように別の人間を改造するのは難しいらしい。魔法の手順も覚えていないし、ただの偶然だというのでね」
彼の言葉は続いていたけれど、わたしは言葉を失っていた。
彼は残念そうに息を吐き、肩をすくめて見せる。
「確かに、彼女の肉体はある意味、不完全だ。大きな怪我を負ってしまえば、ほぼ数日間は動けないからだ。わたしが欲しいのは完全な肉体であったし、きっと彼女もそうだったのだろう」
「……彼女も?」
「わたしは思うのだよ。おそらく、彼女が司法局に逮捕されたのは、我々を利用するためだろう。正しくは、我々の金と設備を、かもしれない。彼女もまた、自由に使える研究室が欲しかった。人間を解剖し、その肉体を観察して、新しい肉体を作るための場所が。そして、我々の利害が一致したというわけだ」
わたしはしばらく彼を見つめた後、そっと辺りを見回した。
研究室。
たくさんの書物と薬品、怪しげな生き物が存在する場所。
「何故、彼女は逃げたのか。彼女はまだ研究は不完全だと言った。しかし、逃げたということは――完成していたのかもしれない。もう、ここが不必要になったのかもしれない」
「完成……」
「かなり時間も金もかけた。なのに、逃げられてしまえばそれらが無駄になる。ならば、弱っている今のうちに連れ戻さねばなるまい。今を逃せば、もう彼女を逮捕することは不可能に近い」
そこで、彼は言葉を切った。
わたしがのろのろと彼に視線を投げると、彼は形だけの笑みを顔に張り付けたまま言った。
「君はおびき寄せるための餌なのだ。おそらく、実験に使うための肉体として、気に入っているのだろう。何しろ、グレイ・スターリングは彼女好みの顔だから」
わたしは突然理解した。
中央局長は色々話しすぎている。わたしという部外者に対して、レティシアに関わることを。禁呪、それはたとえ中央局長ですら使ってはいけない魔法のはずなのではないだろうか。
今、色々話してきた内容だって、絶対に合法ではありえないこと。
それをこんなに簡単に話すということは。
――わたしを生きて返すつもりはないのだろう。
そう結論を出したのは、直感だけではなかった。
さっきから、わたしの肉体にピリピリとした感覚が広がってきている。この感覚には覚えがある。
くーちゃんが檻を破ろうとしている。おそらく、わたしに対する危険を察知したからだ。
「……協力します」
わたしは笑顔を作って見せた。
愚か者を演じるということは、簡単だと思う。ただ、笑って何も気づかないふりをすればいい。
今までのわたしのように、何も気づかずに生きていた時のように。
わたしはエアリアル・オーガスティンという世間知らずの娘。そう思わせるのは簡単だ。
「どんな手を使っても、自分の身体を取り戻したいんです。もう、こんな男性の身体にいるなんて嫌ですから」
そう言いながら小首を傾げて見せる。
でもね。
こんなわたしにだって、意地がある。
グレイやレティシアに殺されるというのなら、何となくあきらめもつくというものだけれど。
こんな最低最悪な男にいいように利用されて殺されるなんて、絶対に嫌だ。何がなんでも、こんなやつの目論見通りに動いてたまるものか。
絶対に、絶対に邪魔してやる。
「あの、魔法を解いてもらえないでしょうか」
わたしはやがて、弱々しく見えるであろう微笑を浮かべた。「身動きがあまりできなくて。せめて、この部屋にいる間は」
そのわたしの言葉に、中央局長が眉間に皺を寄せて考え込む。
しかし、すぐに彼は頷いた。
「いいだろう。万が一、あの女がここにやってきた時に、簡単に誘拐されても困る」
「ありがとうございます。あの、両親に連絡は……」
「それはしばらく我慢してもらう。どこから情報が漏れるか解らないからな」
「解りました。わたしはただここにいるだけでいいんですか?」
「今のところは」
彼はわたしに手を伸ばし、わたしにかけていた服従の魔法を解きながら言った。「ただ、こちらが動けと言ったらすぐに動いてもらう。それまでは、ここで休んでいたまえ」
「はい」
わたしは自由になった身体で大きく深呼吸すると、彼に満面の笑みを送った。「早く彼女が見つかるといいんですが」
中央局長が隔離室から出ていくと、わたしは笑みを消して閉まった扉を睨みつけた。
そして、制服の胸のポケットに入っていた赤い手帳を取り出した。
「エリザベス」
手帳を開いてそう呼んでも、反応はない。手帳のページを破っても、何も起こらない。
――魔法の檻、か。
何とかして、連絡を取らなきゃいけない。
このまま大人しくここにいるなんて、冗談じゃない。何とかして逃げるんだ。
じゃあ、どうする?
わたしはうろうろと隔離室の中を歩き回った。研究に使っていたもの、書物、あらゆるものをチェックして何か使えるものがないかと探す。
魔法は使えない。じゃあ、武器は? 短剣とか、隠し持つのにちょうどいいものは?
あるわけがない!
わたしは隔離室の扉の前に立った。階段を降りて、すぐのところにあった、最初の扉だ。
その扉は固く閉ざされていて、向こう側がどうなっているのかも見えない。でも、何か聞こえないかと耳を澄ます。
何も聞こえない。
でも、わたしはそっと扉を叩いて言った。
「あのう」
重ねて続ける。「誰かいませんか? すみません」
すると、何だか気配を感じた気がした。空気が動いたような。
よし、中央局長じゃないことを祈るぞ!
「すみませーん、誰かいませんか? 喉が痛くて、水か何かいただけませんか?」
そこで、わざと咳き込む、なんてこともしてみたりする。
しかし、扉の向こうの反応は鈍い。誰も何も応えてくれない。
嘘でしょ、無視? 水ももらえないの?
わたしが自棄になりつつ扉を軽く叩き続けていると、やがて向こう側からノックの音が聞こえた。思わず息を呑み、相手の言葉を待つ。
しかし、声など何も聞こえないまま扉が開き、四十代くらいの男性が小さなグラスを手に姿を現した。彼は無言でわたしにグラスを差し出し、わたしがそれを受け取ると、すぐに扉を閉めようとする。
ちょっと待って!
わたしは慌てて彼の腕を掴んで引き留めようとしたけれど、あっさりそれは振り払われてしまう。
「あの、すみません!」
わたしは彼の背中に言った。「中央局長が亡くなったというのは本当なのでしょうか」
すると、彼は少しだけ足をとめてこちらを振り返り、小さく頷いた。
よくよく見てみれば、彼の顔立ちはとても柔和で、親しみやすい雰囲気だ。しかし、困ったようにわたしを見て、何も言わない。
いや、言えない、のか。
わたしは目を細めた。
彼の喉の辺りに絡みついた魔法言語がうっすらと見える。おそらく、沈黙の魔法。言葉が発せられないようにと。
――なるほどね。
わたしは小さく舌打ちした。
万が一我々が話してしまったりして、彼が余計な情報を与えないように、ってこと?
あの、クソジジイ。
わたしは心の中で悪態をつく。
そして、目の前にいる男性を見つめた。この人は信用できる人間だろうか?
しょせんは中央の捜査官。中央局長の息のかかった人間でしょ?
わたしが何か言ったら、あのクソジジイに筒抜けになる?
「お水、ありがとうございました」
そこで、わたしはグラスの水を飲みほして、空になったグラスを彼に差し出して微笑みかけた。「わたし、エアリアル・オーガスティンと申します。しばらく、こちらにお世話になりますが、よろしくお願いします」
わたしが無駄に快活に言うと、彼が怪訝そうに首を傾げた。彼の顔に浮かんだ困惑がさらに色濃くなったようだった。




