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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第六章 一番の敵はどこにいるか

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問題は知能

 よく考えろ、考えろ。

 わたしは唇を噛んだ。落ち着いて行動しなきゃダメだ。

 そっと辺りを見回すと、広い部屋だとすぐに解る。ディーンの背後で扉が閉まり、ここにはわたしたち二人きりになった。

 隔離室。

 目の前にいるディーン――らしき人間は研究室と呼んだけれど、ここがそうだろうか。レティシアがずっと監禁されていた部屋。

 絨毯のない石畳の床は、酷く無機質に見える。壁紙も貼られていない。

 安っぽい机、椅子、そして部屋の奥に見える小さなベッド。その脇には、どこかへ続く扉。

 壁際に置かれた書棚は大きく、たくさんの背表紙が並んでいる。それ以外にはほとんど何もない。

「どこが研究室?」

 わたしがぽつりと呟くと、ディーンが小さく鼻を鳴らした。

 研究室と言うからには、何かをしていたんだ。この小さな部屋で。でも、それらしきものなどない。何もない。

「お前はどこまで知っている?」

 ディーンがわたしの前に歩み寄り、顔を覗き込んできた。以前見た時の親しみやすさとか、笑顔など全くない顔。

「わたしはただの被害者です」

 わたしは言葉を必死に選んだ。「ただ、北部から多少の情報は得ています。その際、ディーン・リーガンとも会話をしました。だから、あなたがその時の彼とは違う人間であるということだけは確信しています」

「それは面倒なことだ」

 彼は薄く微笑んだ。「もし、君が私に取って危険な存在であるなら、それなりに対処しなくてはならない」

「殺すということでしょうか」

「対処にも色々方法はある」

「わたしはオーガスティン家の一員です。父はそれなりに権力を持っています。お金も」

「……なるほど」

 お金、と聞いたら少しだけ表情が変わった。さっきまで浮かんでいた笑みが消えたのは、何か考え込んでいるからだろう。

 お金は武器になる?

 わたしはさらに続けた。

「わたしの目的は、自分の肉体を取り戻すことです。そのためなら何でもするつもりです。あなたが捜査に協力を求めるなら、わたしもわたしの家族もそれを受け入れます。レティシアが逮捕されることが、わたしにとって一番の安全につながりますから」

 彼はわたしの言葉を黙って聞いた後、ゆっくりと部屋の奥へと歩き始めた。わたしはその背中を視線だけで追う。

 一瞬だけ、わたしたちが最初に入ってきた扉のほうへと目を向けた。鍵はかかったような音はしなかった。でも、きっと逃げ出すことは不可能だろう。レティシアですら、ここに閉じ込められていたというのだから。


 奥にあった扉が開く音がして、わたしは我に返る。

 そして、ディーンの背中をもう一度見つめ直した。

 この部屋は、家具がないからそう感じるのかもしれないけれど、とても明るい。少ない明かりだけでも充分に全てを照らし出すことができている。

 しかし、開け放たれた扉の向こう側は酷く暗かった。

「きたまえ」

 彼はこちらを見ずに言った。

 どうやら、扉の向こう側はすぐに階段に続いているようだ。彼の姿が階下に降りていくのが見える。

 わたしはすぐに彼の後に続いた。まだ、わたしの身体には彼の魔法がかけられたままだ。おそらく、シャーラに教えてもらった古代言語のおまじないの効力で、彼の魔法は随分弱められているのだろう。多少、わたしが魔法を使えば、この服従の魔法は壊すことができる。でも、そんなことをして警戒されるのはバカバカしい。ならば、しばらくこのままにして彼を油断させておいたほうがいいだろう。

 彼の後に続いて階段を降りながら、わたしは考える。

 このままここにいたほうがいいのか、それとも逃げ出したほうがいいのか。

 そして、その考えは中断させられることになった。

 階段を降りた先に現れた扉。そして、その奥にあった部屋に驚いたからだ。


 そこは、研究室と呼ぶにふさわしい部屋だった。

 とにかく広い。薬品らしきものが並んだ大きな棚、ガラスで作られた巨大なケース。そして、人間や動物の標本のようなものがそこらじゅうに並ぶ。

 何、これ。

 わたしは茫然としていたのだと思う。

 気づけば近くにあった棚に背中をぶつけ、そこから薬品の入ったガラス瓶が床に落ちて派手な音を立てていた。


「片づけろ」

 彼はそう言ったけれど、それはわたしに対してではなかったようだった。

「え?」

 わたしは思わず声を上げた。

 淀んだ空気が目の前でさらに歪んだ気がした。

 でも、それは。


 何かが目の前にいた。

 人間の形をしたものが、すぐ目の前を歩いていた。しかし、その肉体は透明のようだった。空気が歪むから、そこに何かがいると気づけたけれど……これは何?


 目を凝らしてよく観察してみる。

 すると、わたしよりも少しだけ身長が高いと思われるくらいの人型がそこに存在しているのだと解った。床に落ちたガラスの破片を取り上げ、片づけようとしている何かが。

 よくよく見れば、透明な皮膚の下にあるのは、きっと透明な内臓なんだろう。完全な透明ではない内臓が脈打つのが見て取れる。そして、水が流れているような奇妙な歪みは、血液?

「何ですか、これ」

 わたしは背中を棚に押し付けつつそう訊いた。

 すると、ディーンが低く笑う。そのまま彼は、近くにあったテーブルの上に置きっぱなしだった小さなナイフのようなものを取り上げ、それで『透明な何か』を斬りつけた。

 途端、金属同士がぶつかり合うような音が響く。

 透明だったそれが、ぶつかった場所だけ銀色に輝いて硬質化した。まるで、盾のように硬くなる。そして、すぐに色を失って透明になった。

「まだ、完成には程遠いが、これが研究結果だよ」

 彼は小さなナイフを手に笑った。

「何の研究ですか?」

「簡単に言えば、壊れない人間、だ」

 彼のその言葉に、わたしは目を細めた。


「あの女の研究は、なかなか興味深かった。あの女が固執したのは、『美しい人間』だった。顔も筋肉も内臓も、完璧な人工物を作ろうとしていた」

「内臓……」

 わたしはレベッカのお姉さんのことを思い浮かべた。グレイの話も。

 解剖。それは研究のために。

「私が興味を持っていたのは、美しさより強さ、だ。壊れない人工物である人間が欲しかった」

「……何故ですか?」

「捜査官が足りない、それは常々考えていたことだ」

「は?」

 思わず、そう声を上げてしまって慌てて唇を噛む。

「捜査官を一人育て上げるのに、どのくらいの年月と金が必要になると思う? この世の中には犯罪者はたくさんいるがね、それを取り締まる人間が少なすぎる。しかも、せっかく育て上げても女は結婚すれば子供を作り、退職する。男は、仕事が忙しければ疲労もする、任務の途中で死ぬこともある。我々の給料はどこからくると思う? ほとんどが税金だろう? 無駄金を使うのはもったいないと思わないかね?」

「それは……」

 酷い言いぐさだと思う。

 わたしが何て言ったらいいか悩んでいる間に、彼はさらに続けた。

「もしも、壊れない兵士を作れたら便利だろう? 司法局のトップに立つ者なら、絶対に考えることだと思うね。優秀な部下が欲しい、と」

「……それが人間ではなくても、ですか?」

「むしろ、そのほうがいいだろう。犯罪者も無駄な抵抗はしなくなる。何しろ、追跡者が逮捕任務に特化した化け物であればあるほど、諦めるのも早いだろう」


 それはそうかもしれないけど。


 何だろう、この嘘くさい感じ。

 上っ面だけで話をしている感じ。


「本当に、それだけが理由ですか?」

 わたしは思わず、そう口にしていた。

 ディーンが言っていた。中央の局長である祖父は、トカゲとか蛇とか食べて、健康に気を使っているとか。

 健康。

 健康、ね。

「壊れない人間。でも、それはとても人間には見えませんが」

 わたしが透明な何かに目をやろうとして、それを探す。空気の歪みを見つけようとして辺りを見回す。

「それは試作品だ」

 彼はつまらなそうな口調で言う。「内臓に不備があったらすぐに見えるよう、わざとそういう造りにしてある。今のところ、強度には問題はない。ただ、人格を転移させるには問題がある」

「人格、転移」

 わたしは自分の呼吸が乱れるのを感じた。

 これに人格を転移させる?

 こんな、『人間』とは呼べないものに? 生き物とすら呼べないものに?


「問題は、知能なのだよ」

 彼はため息交じりに言った。「さすがのあの女も、人間の脳を人工で作るのは無理だったようだ。人間そっくりの心臓や内臓、血管、筋肉、そして外部からの攻撃に耐える皮膚を作ることには成功したが、その頭脳は――欠陥品としかいいようがない。犬以下くらいの行動しか取れん」

 言葉を失って、ただ彼の言葉を聞くしかないわたし。

 どう反応すればいいのか解らない。

 彼はそんなわたしを見やり、小さく微笑んだ。

「幾度か人格転移の魔法をあの女に使わせたのだがね、転移初日はまだいい。数日後から知能の低下が起こるのだよ。おそらく、その人工物である脳が問題で、もとは人間であった人格にも影響を及ぼすわけだ」

「……使わせた?」

 人格転移の禁呪。

 それを、これに?

「もちろん、研究には犯罪者を使っている。死んでもいい人間ばかりだ」


 わたしは身体を強張らせたまま、彼を見つめていた。

 気持ち悪い。そうとしか思えない。

「……まだ不完全だから、あなたは転移できなかった?」

 やがて、わたしはぼんやりと呟くように言った。「本当はあなたが転移したかった? 壊れない肉体に?」


 彼はそこで、わたしを観察するかのように見つめ直した。

 ああ、下手なことは言えない。

 でも。でも。


「ディーンの肉体に転移したのは何故ですか? ディーンはあなたのお孫さんですよね?」

「孫、か」

 彼は吐き捨てるかのように言った。「娘が選んだ男の子供だから仕方なく面倒を見てきたが、捜査官としては二流にしかなれん子供だった。それでも、健康体には間違いない」

「健康体?」

「神殿の連中でも、寿命を長引かせることはできん。私は時間が欲しかったのだ」

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