あなたは違う
わたしが何か言おうとして気が付くのは、身体にまとわりつく違和感。
自然と身体がディーンに促されるままに座席に座ろうとして、理解した。これは服従の魔法だ、と。抵抗しようとすれば、身体が軋む。それはとても不快な感覚だった。
わたしは無言のまま座席に座り、目の前にいる二人を観察した。
ディーンの表情は硬い。僅かに俯き気味で、その隣に座っている年配の男性は酷く顔色が悪かった。
――似ている。
わたしはそっと心の中で呟いた。
年配の男性は白髪交じりの短い黒髪で、神経質そうな目つきをしていた。でも、その顔立ちはディーンに似ている。いや、ディーンが彼に似ているのだろう。
おそらく、ディーンの父親。確か、中央で働いていると言っていたと思う。
何故、彼らがここに? 何故、わたしを連れ出しているんだろう?
確かにエリザベスはわたしを迎えにくると言っていたけど、おそらく、『これ』じゃない気がする。
何だか嫌な感じがした。
緊張感で心臓が痛い。無警戒で馬車に乗り込んだ自分が情けない。
わたしは唇を噛んだ。
状況がつかめない現状で、下手に動くわけにはいかない。だから、わたしは彼らを見守ることにした。馬車が動いているうちは何もできない。窓はカーテンで覆われていて、わたしたちがどこに向かっているのかすら解らない。
そうしているうちに、年配の男性が小さくディーンに言った。
「北部には連絡を入れなくてはならないだろう。じゃないと、大騒ぎになる」
「解ってる」
ディーンは言葉少なに応えた。「後で手配するよ」
「本当に困った……」
その男性は深いため息をつき、自分のこめかみを手で揉んだ。疲れ切った様子であったけれど、それでもその目には鋭い光が見えた。
「これで本当におびき寄せることができると思うのか?」
彼はそう言いながらディーンを見つめる。ディーンは俯いたまま、どこか自信ありげに応える。
「大丈夫だと思う。グレイ・スターリングは彼女の弟子で、彼女も気に入っていたようだ」
「しかし、中身は違うと聞いたが。彼女が必要としているのは、スターリングの中身だろう?」
「いや、容器も気に入っているらしい」
「容器……」
そのディーンの表現に渋い表情をした男性は、また深いため息をついて目を閉じた。「それより、お前は大丈夫なのか。……結構気に入られてたんだろう、義父さんに。堪えてるんじゃないのか」
「捜査官だから、任務は果たすよ。個人的な感情は後回しにする」
「強いな。若さかなあ」
「……父さん」
「これからのことを考えると胃が痛くてたまらん。引退したくなるぞ」
「それは困る。今、父さんがしっかりしてくれないと」
「お前は意外にしっかりしてるなあ。いざというときに強い性格だったのか、何だか私もびっくりだが」
これはどういうことなの?
わたしは、頭の中でまとまり始めた最悪の状況を予想して笑い出したくなった。
おびき寄せる?
彼女?
「局次長が逃亡の手引きした、そういうことでいいんだろうか」
年配の男性がそう言って。
「レティシアが逃げた?」
わたしは思わずそう口に出していた。
その途端、ディーンが鋭い目つきでわたしを見た。信じられない、と言いたげな表情で言う。
「話せるのか。そう言えば、魔法を習っていたんだったか。学生だったな?」
ディーンが苦々しく笑い、少しだけ考え込んだ。
わたしは慌てて唇を噛みしめたけれど、今さら遅い。できるだけ身じろぎしないまま、唇だけを動かそうとしている――そう演じてみることにした。
「学生です」
――何を今さら。
わたしは顔を顰めて、そして。
――これは、誰?
急に頭の中に浮かんだこと。それは。
――あなたは、ディーンじゃない。
つまりこれは。
人格転移。
その言葉を必死に喉の奥に閉じ込めた。
「どうせ、すぐに解ることだが」
ディーンの父親が静かに口を開く。「君も知っての通り、中央にはとある魔法使いが監禁されていた。グレイ・スターリングの師匠である女性だ。昨夜、彼女が中央から逃亡してね、我々は必死に行方を追っている」
「逃亡……」
わたしの身体から血が引いていく感じがした。心の中に生まれる不安、そして眩暈。
「逃亡の手引きをした人間がいるのは確かだ。それが……司法局の人間であることも予想はつく」
局次長。
グレイが接触すると言っていた。そんな、まさか。
「彼女は現在、体力的に弱っている。だから、今のうちに逮捕したいのだ。彼女は潜伏先が必要で、さらに手下となる者も必要だ。だから、おそらく逃亡中のスターリングか――君を狙うと予測した」
「わたし?」
「そうだ。手元に残っている調書などを参考にすれば、君たち二人に彼女が執着していたらしいと我々は考える」
「何故?」
「使い魔を仕込まれた人間は、簡単に操れる。心を喰いつくされて、自分の意志を失うものだ。だから、下僕として使うには最適なんだろう」
――でも、わたしはそうじゃない。使い魔はシャーラの手によって取りだされて、完全に心を喰われたわけじゃない。
おそらく、グレイもそうだろう。
でも、中央がそう考えているなら、否定しなくてもいい。余計な情報を相手に与えたくない。
わたしは顔を顰めたまま、黙って彼の言葉を聞いていた。
彼らが言いたいのは、わたしという存在は彼女をおびき寄せるための餌。彼女がわたしに近づいてくると考えている。
正直なところ、それは信じがたいと思う。わたしがレティシアにとって何の価値がある? グレイ・スターリングなら可能性はあるだろうけど、でも。
そんなこと、否定しなくてもいい。
わたしには価値があると思わせたほうがいいのかもしれない。そう、中央の人たちには。そうすれば、きっと彼らはわたしに手荒な真似はしない。そんな気がする。
それよりも、一番先に恐れなくてはいけないのは、レティシアが逃げたという事実。
レティシアが逃げたという……。
わたしはディーンに目をやった。
彼は誰? 彼の中身は、まさかレティシア――いや、それはないだろう。さっきの服従の魔法も、そんなに強いものじゃなかった。噂に聞く彼女は、凄い力を持つ魔法使いだというのだから、あんな魔法では――。
馬車がとまった。結構長い時間、馬車に揺られていたような気がする。
彼らに促されて馬車を降りると、見覚えのない塀の中に立っていた。
北部魔法司法局に初めて入った時のことを思い出す。あの時も、高い塀に囲まれた建物が目の前にあった。
今も、とてもよく似た状況で。
北部のそれよりもずっと大きい建物が目の前にある。そして、取り囲んでいる塀もずっと高い。
ここが中央魔法司法局なんだろうか。
そう思いながら立ち尽くしていると、ディーンがわたしの肩を小突いて歩くようにと促してきた。
目の前にはディーンの父親の背中、後ろにはディーン。そして、辺りには酷く緊迫した様子の捜査官たちが行きかう光景。
建物の中に入ると、さらに異様な雰囲気が伝わってきた。廊下を歩く捜査官たちに精神的な余裕はなさそうだったし、窓のそばには見張りと思われる捜査官たちが待機している。
「バレット参事官」
そこに、わたしの前を歩く男性に向かって声をかけてきた若い男性がいた。彼はここの捜査官の一人らしく、険しい表情でディーンの父親――バレット参事官とやらに小さく訊いた。
「局長の遺体を安置所に入れさせていただきました。葬儀はどのように?」
遺体!?
わたしはふとディーンのほうを振り返った。
そこにいたのは、無表情の彼。わたしの表情に何かを感じたのか、彼は小さく舌打ちをした。
中央の局長が死んだ? どうして?
「ディーン、彼――いや、彼女か? とにかくその子を隔離室に連れていってくれるか。私は義父の葬儀の件で少し話をしてくる」
バレット参事官がこちらを見て、心配そうに言った。「一人で大丈夫か」
「大丈夫」
ディーンが薄く微笑み、わたしの腕を掴む。わたしの二の腕にぎりぎりと食い込む爪。それは、わたしに対する『何も話すな』という脅しのようだった。
「亡くなった……?」
それでも、わたしが茫然とそう呟いた時、ディーンがわたしだけに聞こえるくらいの声で囁いた。
「あの女が殺した。そういうことにしておいたほうが都合がいい」
「……あなた、誰?」
わたしの声は酷く低かった。緊張しているからだろうか。
「ディーン・リーガン」
彼は穏やかにそう言ったけれど、わたしはそっと首を横に振る。
「違う。あなたは違う」
「それなら誰だと?」
「中央の局長の名前は……」
わたしは眉根を寄せ、言葉をそこで区切った。
中央の局長が死んだ。彼が死ぬ前に……。
もしも禁呪の人格転移を行ったとして。
その後に片方が死んだら。
生き残るのは誰?
「ディーンは死んだの?」
わたしの声が掠れた。そんなこと、ないわよね? そうでしょ?
「入れ」
ディーンが言った。
地下へと続く階段を降りて、気が付けば目の前には白い扉があった。わたしはその前で立ち尽くし、横でわたしの腕を掴んでいる彼を睨みつけた。
「しばらくここにいてもらう。あの女の研究室だ」
そう言った彼の横顔は、ただ冷徹だった。




