中央は信用できない
「司法局に出頭するつもりはないの? もし、殺したことを後悔してるなら」
わたしはやがて、鏡に手を押し当てて言った。そこは、さっきまでグレイが手で触れていた場所。
「後悔はしていないよ」
グレイは露悪的に笑う。それから、彼は手を伸ばしてわたしと同じ場所に重ねるように鏡に手を置いた。
「君には悪いけど、僕は司法局を信用していない」
「……中央は、っていう意味なら賛成するわよ」
わたしは低く言った。すると、彼は意味ありげに目を細める。
「レティシアが捕まっているのは中央魔法司法局。そうでしょ? わたしが関わっているのは北部だもの。北部になら、信用できる人がたくさんいる」
「へえ、本当に?」
「そうよ。そりゃ、性格が悪い人もいるわよ? 例えば、エドガーとかエドガーとかエドガーとかね! でも、局長も他の皆も皆、優しいし頼りになる」
そこで、グレイが小さく吹き出した。
「エドガーね、覚えておくよ」
彼はひとしきり笑った後、僅かに俯いたまま囁いた。「……まあ、信頼できる人間がそばにいてよかった。彼らが頼りになるなら、そばにいれば安全だ」
「わたしのことよりあなたよ。もしレティシアに邪魔だと思われたら、あなただって危険だということなんでしょう?」
「僕のことより君だよ。少なくとも、僕はこの肉体でいる限り、レティシアは僕を傷つけるようなことはしないはずだ。何しろ、お気に入りの美少女だし」
「あのね、グレイ」
そこで、グレイは探るようにわたしを見つめ直し、わたしの言葉を遮った。
「君は司法局の連中が好き?」
「何よ、いきなり」
「それは、強いから?」
「は?」
「君は強い人間が好きだったから」
いきなり何を言うの、と問い詰めたいのが本音だったけれど。
わたしは軽い頭痛を覚えて鏡から手を離した。そして、額に手を置いて考え込む。
何が気になるの?
強いから好き? 強いから?
「エドガーというのは強い人間か? だから好きなの?」
「エドガーは、ちが」
わたしは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。何だろう、この感覚。何か思い出しそうなのに、思い出せない。酷くもどかしい。
「じゃあ、憧れ? 君の本当の人間性はどこにある? 今の君は、本当の君だと言える?」
「……わたしは、わたしだわ」
かろうじてそう呟く。
でも、頭のどこかでそれを否定するもう一人の自分がいる。
わたしは。
「強いから憧れる。好きになる。それのどこが悪いの?」
わたしはグレイに訊いた。「わたしの感情は偽物だといいたい?」
「違うよ。ただ、君には見えていないものがあると言いたいだけ」
「じゃあ、それが何か教えてよ」
わたしの声は、少しだけ大きくなった。声を抑える余裕がない。
グレイは苦笑していたけれど、その目は優しかった。何なの、これ。何で、そんな目でわたしを見るの?
「鏡を通じてじゃなくて……会いにきてよ」
そう口にした瞬間、何故か眦に涙が浮かび上がったことに気づいて、わたしは慌ててそれを手で拭った。
「それは魅力的な申し出だけど、今は無理だね」
グレイが苦しげに息を吐いた。わたしがそっと顔を上げると、彼は鏡から離れてわたしに背中を見せていた。
「何故?」
わたしが問いかけると、彼はわたしを見ないまま応えた。
「動くのが遅すぎた。正直、どうしたらいいか解らない」
「何が? 何をしてるの?」
「今、僕は中央に接触しようとしてるんだけどね、どうもまずいことになってる」
「中央」
わたしは鏡を手で叩いて、彼の視線をこちらに向けさせようとする。「使い魔の件はどうなったの? レティシアが中央の人間を利用して、何かしようとしているのは知ってるのよ」
「それなら話は早い」
そこで彼がわたしを振り返る。「中央の連中は信用できない。だから、君は身の回りに気を付けるべきだ。本当に北部の連中が信用できるというなら、保護してもらえ」
「あなたは?」
「僕は――ちょっと嫌いな人間に接触してみる」
どういう意味? 誰のこと?
わたしが顔を顰めて彼を見つめると、彼は苦々しく笑う。
「散々、中央では嫌な目に遭ったからね。正直、チャンスがあれば殺したいくらいだけども」
「ダメよ」
「解ってるし、まだ殺すつもりはない。せいぜい、媚を売ることにするよ」
「誰に?」
「……今は局次長と呼ばれてる男だね。権力には弱く、欲望には忠実だ。おそらく、僕が与える情報に食いつく」
グレイはゆっくりとこちらに近づいてきて、わたしの顔を覗き込む。「今は使い魔が君のそばにはいない。だからここまで色々話したけど、次はどうなるか解らない。僕があの男に接触すれば、きっとレティシアにも気づかれる。次に会う時は、きっと何も話せなくなっていると思う」
「待って」
わたしは慌てて彼を呼び止めようとした。何だか、もう会話は終わりだ、と言いたげな雰囲気があったから。
「待ってよ、グレイ!」
とにかく必死だった。
何とかしなきゃ。わたしが、何とかしなきゃ。
「お願い、何もしないで。お願いだから、わたしの……そばにいてよ」
急に思い浮かんだ言葉。
連続殺人鬼に何を言ってるんだ、なんて思いはどこかに消えてしまっていて。
わたしは自分でも困惑していた。
「凄いな、君は」
グレイは呆れたように頭を掻いた。「今のは正直、誘惑に負けそうだったよ。でも、その身体で言われたことを感謝すべきかな。これが君の肉体で言われていたら、負けてたと思う」
「グレイ」
「エアリアル」
彼は低く続けた。「いいから、北部の連中に保護してもらえ」
「わたし、あなたのこと信じてるから! だから」
「エアリアル」
「だから、これ以上、誰も殺さないで。お願い」
彼はため息をつく。そして、微かに首を横に振った。
「できない約束はしない」
そう言った後、鏡の中が揺らぐ。そして、気づけばグレイの姿はそこになかった。
「もう!」
やっぱり、彼を引き留めるというのは失敗したみたいだ。
でも、少しだけは情報を得られた。わたしはすぐにベッド脇に置いてあった通学用のカバンに近寄り、それを開けた。その中から赤い手帳を取り出して、エリザベスの名前を呼んだ。
しかし、いつもとは違って反応がなかった。
「エリザベス?」
そう続けて呼んでも、いつもだったら返ってくる彼女の返事はなく、気づけば部屋の扉のところで、ノックの音が聞こえてきていた。
「お嬢さま、何かありましたか?
それは、心配そうなクレアの声。
「大丈夫」
そう言いながら、扉を開ける。クレアは明らかに不審げにわたしを見ていたけれど、わたしはただ曖昧に笑って誤魔化した。
そして、足元に置きっぱなしだったくーちゃんの檻に視線を落とした。檻はまだ箱の状態のままで、中の様子は見えなかった。
エリザベスからの連絡があったのは、翌日の朝のことだった。
手帳から声が聞こえてきたので、わたしは学園にいく準備の手をとめて、サイドテーブルの上に置いてあった手帳に視線を投げる。
「申し訳ありません、エアリアルさま!」
開口一番、彼女はそう言った。
手帳の上に現れた彼女の姿はいつになく慌てたようにそわそわしていて、わたしとの会話もしている時間はないと言いたげだ。
しかし、わたしも彼女には報告したいことがある。昨夜のグレイとの会話だ。
「中央で問題が起きました。すみません、今、捜査官が総出で出払っていまして」
「中央で?」
わたしは胸がざわつくのを感じた。「何があったの?」
「すみません、それはまだ言えません。でも、エアリアルさまはできれば、今日の通学はやめて欲しいんです。後でお迎えに上がりますので、それまでお屋敷で待機していただけませんか?」
――それは願ったりかなったり、かな。
わたしはただおとなしく頷いた。
グレイが言った通り、保護してもらうのが一番安全なのかもしれないし。
「解った、後でゆっくり話そう」
わたしがそう言うと、エリザベスがぎこちなく微笑んだ。そして、すぐに手帳の上の小さな姿は空気に溶けるように消えてしまう。
落ち着かない。
わたしは制服姿のまま、ベッドに倒れこむ。急にやることがなくなって、おとなしくしているだけしかできなくなったのだから、テンションも下がるというものだ。
わたしはその後、学園を休むということを両親とクレアに伝えて、離れへと移動した。
暇なのには変わらないのだから、グレイに教えてもらった防御魔法を練習でもしておけばいい。
そんなことを考えつつ、離れに引きこもる。面倒なので食事もそこに運んできてもらって、ひたすら魔法の実技、そして魔法の教科書に載っているものを繰り返し読んでいると。
「お嬢さま、お客さまですが」
眠気が差してきた午後、ソファに寝転んで一休みしている時にクレアに声をかけられた。
「誰?」
わたしはそう言いながら離れを出て、母屋へと向かう。わたしの後をついて歩くクレアが、少しだけ困惑したように言った。
「司法局からのお迎えだそうです。一体、今日はどうなさったんですか?」
「色々あってね、わたしもよく解らないんだよね」
そう笑いながら、もう一度わたしはシャーラのお呪いを唱えた。
うん、完璧。何度も繰り返していると、魔法も洗練されていくんだろうか。浮かび上がる魔法言語の並びが、どんどん綺麗になっていく気がした。
「エアリアル、大丈夫?」
お母さまが玄関ホールのそばに立っていた。
お父さまの姿はそこにはない。おそらく、外出しているのだと思う。お父さまは領地を見回るのも義務だと常々言っているし、昼間は色々なところを回ることが多いから。
「大丈夫。これは約束してあったことだし」
そう笑いながら応え、玄関の扉を開ける。すると、少し離れた場所に黒い馬車が見えた。よく司法局で使われている、何の飾り気もない馬車。
見覚えのない御者が、馬車の前に立って扉を開けてきた。
「制服のままで大丈夫……」
と、わたしが言いながら馬車に乗り込んで、違和感に気づいた。
てっきり、エリザベスが迎えに来てくれるのだと思っていた。でも、そこにいたのは。
わたしの背後で馬車の扉が閉まる。
「移動します」
そう言って、わたしに向かってその手を挙げていたのは、ディーンだった。
「え」
わたしが困惑した声を上げた瞬間、彼は何か魔法の呪文を詠唱した。その魔法はわたしの身体に絡みつき、わたしは声を失って身体を強張らせた。
何の魔法?
っていうか、どういうこと?
わたしがディーンを見つめていると、身体がみしみしと奇妙な音を立てた。
「座ってください」
彼は低く言う。そして、気が付けば彼の横には見たことのない年配の男性の姿もあった。




