口説けるかどうか
「時間はたっぷりありますね、エアリアルさま」
目の前にいるエリザベスの笑顔は、無邪気なのに有無を言わせぬ雰囲気があって、わたしはただ笑って誤魔化そうと必死だった。
しかし、じっと見つめられているとその圧力に負けてくるわけで。
わたしはやがて眉を顰めてテーブルに頬杖をついた。
「でもね、やっぱり言えないことってあるじゃない?」
「そうですか? でも、こちらは司法局で、エアリアルさまはそうじゃないですよね。人間、権力には弱い生き物じゃないですか。さあ、さあ、素直になりましょうよ」
「うう……」
わたしは唸りながらエリザベスの皿にナッツクッキーやブルーベリーマフィンを乗せた。
「お菓子で誤魔化そうなんて無駄ですよぉ。まあ、食べますけど」
エリザベスがクッキーをぼりぼり食べながら言う。相変わらず視線はこちらを向いている。
わたしは彼女の視線から逃げるように窓の外を見つめながら応えた。
「でもね、仮定の話だとして聞いてね。……もしも、わたしが何か不用意に言ったことで、とんでもなく悪いことが起きるのが解っていたとしたらどう? たとえば、誰かに危険が迫るとか」
「脅されてるってことですか? しゃべったら殺すぞ、的な」
「だから仮定の話だって言ってるじゃない」
「そうですね、もしもエアリアルさまが誰かに脅迫を受けているとしましょう。たとえば、グレイ・スターリングやレティシアという魔法使いにひそかに接触を受けて、それをしゃべったら周りの人間を殺すとか言うのはよくある話だと思うんですよ」
あっさりと彼女がそう言って、わたしは額に手を置いて目を閉じた。
見事にその通りなんだけどさ。うん。
「でも、秘密にしておけばいいじゃないですか。こちらは知らないふりをすればいいだけですし、今のところ、この離れは安全ですよ。エアリアルさまが使い魔を自分の部屋に閉じ込めてくださっていますし、問題の女魔法使いに盗み聞きされる可能性もないですから……ああ、あの使い魔ですか? だからレティシアが中央に逮捕されているのか気になさっていた? あの使い魔に何をされたんです?」
「違うよ。くーちゃんは今のところ何もしてない」
「ああ、じゃあグレイのほうですね」
「……」
あああああ。
わたしはテーブルにがんがんと額を打ち付けた。
違う、話すつもりはなくて! すっかりバレバレのような気がするけど、でも!
「頭から血が出る前にやめてください」
エリザベスが呆れたようにそう言うのを聞きながら、わたしはテーブルに突っ伏したまま小さく続けた。エリザベスがもしゃもしゃ何か食べている音が聞こえる。
「……でもさ、やっぱりわたしは嫌なんだよね。わたしのせいで誰かが傷ついたり、殺されたりしたら多分、絶対に立ち直れない。それなら、自分だけ傷ついていたほうがいいじゃない? だって、他人の命に責任なんて持てないよ」
「でも、話せば楽になりますよ。もしかしたら、エアリアルさまが見逃している手がかりがあることに司法局が気が付くかもしれませんし、そうしたらグレイの逮捕に一歩近づきますよね。ほら、肉体を取り戻すチャンスが」
「そう上手くいくかな。グレイって……簡単に捕まってくれると思う?」
わたしはテーブルに額をくっつけたままだ。冷たい感触が心地よい。
「うーん」
エリザベスが小さく唸った。「報告書が中央から回ってきたので、目を通させていただいたんですけど、ちょっと厄介な感じはしますね」
「でしょ!?」
がばっと顔を上げてエリザベスを見る。ちょっとびっくりしたように身を引いた彼女は、それでも手にしていたお菓子の乗った皿だけはちゃんと守っている。
「やっぱり、最近、グレイに会ったことがおありなんですねえ」
彼女がわたしを軽く睨んできたけれど、わたしはそれは聞き流して別の質問をした。
「グレイってどんなやつ? 連続殺人鬼で、極悪人で、最低最悪な人間っていうイメージだったんだけど」
「事実、殺人犯なんですからそれは正しいと思います」
と、エリザベスは頷きつつも、少しだけ歯切れ悪い口調だった。だから、わたしはさらに訊いた。
「だったら、彼は死んだほうがいいような人間? 優しさの欠片もなく、人間味もない……」
「完全悪か、という意味ですね? 魔法取締捜査官としての模範的解答を返すとしたら、『その通りです』と応えるべきでしょうが……どうでしょうね。その辺りはわたしには答えられません。ほら、わたしって鼠だったじゃないですか」
「うん?」
「あんな環境だったら、そしてその環境がずっと大人になるまで続いてたらわたしだって今頃は大量殺人を犯す犯罪者に育ってたかもしれませんし。だからちょっと、わたしはグレイ・スターリングに同情的なんですよね」
「同情的?」
「えと、マチルダお姉さまや他の皆さまには、わたしが言ったというのは内緒にしておいてくださいね」
エリザベスがそっと意味深に笑う。「多分、グレイ・スターリングは中央で散々苛められていると思います。報告書にはあまり詳しくは記載されていませんでしたけれど、外的接触による痛みに強い、とか何とか書いてあったので、きっと試してみた結果、そう書かれたのではないかな、と」
「外的接触って」
「簡単に言えば拷問ですよね。レティシアの居場所を吐かせようとして、色々やっちゃったんじゃないかと思うんです。普通、拷問してきた相手を憎むんじゃないかな、とも思うわけで。グレイ・スターリングは中央から北部に戻される時に逃亡したわけですけども、その際に中央の捜査官を殺しています。それも、即死しないように長引かせる手法というか」
わたしは眉を顰めた。随分とあっさり言ってくれるけど、その内容は重い。
「もちろん、何の罪もない女の子を誘拐して殺してきたのは、絶対に許されることではありません。そういった意味では、彼は限りなく絶対悪に近いのかもしれませんが、どうもそれだけじゃない気がするんです。だから、エアリアルさまが何か違和感を感じるなら、そこが彼の弱点かもしれません」
「弱点、か」
「もしくは、手がかりか」
「うーん」
わたしは唸りながら頭を掻いた。「よく解らないんだよね。レティシアは絶対悪? その手下というか弟子というか使用人だか解らないけど、グレイは彼女の影響を受けているのは間違いないわけでしょう? でも、何だかレティシアを心から崇拝しているってわけでもなさそうだし」
グレイがレティシアという魔法使いについて語った時の口調は、明らかに事務的なものだった。好意らしきものは感じなかったし、そして多分、レティシアもグレイには特別な感情を持って接していたわけではなさそうだった。
「崇拝はしてないんじゃないでしょうか」
エリザベスがお茶のカップに口をつけて、目を細めた。「だからきっと、レティシアの支配下から逃げることができれば、寝返る可能性は高いはずなんです。今は中央にレティシアが逮捕されているわけですし、上手く口説くことができれば……ああ、エアリアルさま、いっそのこと、グレイを好きになったとでも嘘をついて口説いてくれないでしょうか。そして、おびき寄せて逮捕……」
「そんなの絶対無理!」
「ですよねえ」
瞬時にそう返ってきたので、わたしは少しだけ唇を尖らせて不満を表してみた。
何だよ、演技力がないとでも言いたいのか! わたしだって、男性の一人や二人、口説くことくらい――。
やったことなど一度もないけど、そのくらい簡単に!
「結構、エアリアルさまは考えていることが顔に出てしまいますから」
「うう」
とても言い返すことができず、わたしはムカつきながら彼女の皿に乗っていたクッキーを一枚盗んで口に入れた。途端、「ああっ」とエリザベスが慌てたように声を上げる。
ふふん、お菓子美味しい。
クルミにレーズンが入ったほろほろとしたクッキー。これがお茶によく合うわけで。
「お菓子、か……」
わたしはふと、何か心に引っ掛かるものを覚えてそう呟いた。
すっごく美味しい焼き菓子の店がどこかにあったはずなのに、思い出せないのがとても悔しい。
「お菓子といえば」
エリザベスがラズベリーマフィンを食べながら笑う。「いつもエアリアルさまにはたくさん出していただいて、本当にありがとうございます」
「それはうちの料理人をほめてやって」
わたしは苦笑した。こんなによく食べる客はそんなにいない。しかも、いつも大満足して帰ってくれるのが解っているから、料理人たちも力を入れて作ってくれている。
「そういえば、昔、無差別に毒入りのお菓子をばらまいていた人がいたみたいですね」
「毒入り?」
「はい」
エリザベスがふと首を傾げ、痛ましげな表情で続けた。「犯人は捕まっていないんです。犠牲者はほとんどが子供たちで、もらったお菓子を食べてかなりの数の死体が出たんだとか」
「酷いね」
わたしはいつの間にか鼻の上に皺を寄せていたらしい。エリザベスもそんなわたしを見て、同じように鼻の上に皺を寄せて言った。
「酷いですよ! 子供なんて、特にわたしみたいな食べるものに困るような状況の子供だったら、迷いなく食べてしまうじゃないですか! 見知らぬ人間からのプレゼントだろうと何だろうと、絶対食べますよ! でも、それで死ぬなんて嫌ですけど」
「そうだろうね」
わたしは笑った。
「報告書を読むのはわたしの趣味ですから、わたしが関わったことのない事件の報告書も色々読んでるんですけど、解決していない事件はたくさんあるんですよね」
やがて、エリザベスが言った。「事件が多すぎるんです。そして、捜査官の人数にも限りがあって。魔法の関わらない事件だったりすると、うちは後回しにしてしまうこともあるし」
「そうなの?」
「手が回らなくて、民間の機関に依頼することもあります」
「へえ」
「そうしているうちに捜査漏れがあったりして、いつの間にか犯人雲隠れ、みたいな」
「……それは」
「だから、捜査協力してくれる人材にはとても感謝していて」
「だろうねえ」
エリザベスが真剣な目でわたしを見つめている。
「だからエアリアルさま、グレイを口説い」
「お断りします」
すぐにそう応えた。大体、ものすごくシュールな光景じゃないだろうか。
相手はわたしの肉体で、わたしは相手の肉体で。
どうやって口説くの? 色仕掛け?
――君は馬鹿か。
絶対、グレイにそう言われる気がした。何となく、確証はないけど。




