価値
「この話、他の人たちに伝えるの?」
わたしはやがてテーブルに頬杖をつき、ため息交じりにエリザベスを見つめながら言った。彼女は酷くあっさり頷いた。
「それが仕事ですから」
――だよね。
わたしは唇を噛んで目を閉じた。
もしもこのことがグレイにばれたら、どうなるんだろう。わたしが秘密を洩らしたこと、それの罰として何をするんだろう。
もしも、グレイがわたしの両親やクレアや――学校の友人たちや使用人たちを殺したりしたら。わたしは……どうしよう。
おそらく、絶対にグレイのことを許せるはずがない。
もしも、そうなったら。もしも。
「あの、質問しても?」
エリザベスがにこにこと笑いながら言う。
「グレイはどうやって接触を? 呼び出すことはできますか?」
そういう質問はして欲しくないな。
わたしはただ首を横に振った。言葉にして返答を返したくなかったから。
「じゃあ、グレイ・スターリングからの接触を待つだけ、というわけですね。あまりいい状況とはいえません」
わたしはそっと目を開け、こちらから別の質問をした。
「もしも上手く接触できたとして、どうやって身体を交換させたらいい? グレイは多分、身体を……」
すぐには返してくれないはずだ。
彼は何か、やることがあると言っていた。それが終わるまでは、何か好き勝手に動き回る。
「そうですね、簡単には身体を返してくれないでしょうね」
エリザベスはぽりぽりとクッキーを少しずつ齧りながら呟く。「かといって、無理やり身体を交換するのは無理でしょうし。人格転移の禁呪は、北部の捜査官の誰も知らない魔法ですからねえ」
「知らないの!?」
わたしはつい大きな声を上げた。エリザベスがこくこくと頷いた。
「局長ですら知りません。神殿の神官長とかでしたら知っているのかもしれませんけど、そう簡単に見せられない魔法ですから、多分、神殿に大金を積んだとしても無理ですよ」
「シャーラ様とか、誰かからに教えてもらうことは?」
「無理無理」
エリザベスがひらひらと手を振り、苦笑した。「それに、もしも教えてもらったとしてもエアリアルさまには禁呪は使えません。やっぱり、グレイを上手いこと騙して交換してもらうしか……」
「え?」
わたしは眉を顰める。わたしには使えない?
ふと、エリザベスが奇妙な表情でわたしを見つめなおした。
「そう言えば、これは伝えていなかったですね。エアリアルさまの……今の肉体では、限られた魔法しか使えないんです」
「何それ」
わたしが困惑してエリザベスを見つめていると、彼女は小首を傾げて見せた。
「もともと、グレイ・スターリングの肉体には魔法免許の永久剥奪の刻印がありました」
エリザベスは言う。「シドさまがその刻印の上から、魔法をかけてその効力を封じたわけですけども、永久剥奪の刻印は強すぎるんです。その魔法は、神殿の皆さまに協力をしてもらってかけていただいた魔法なんです。凶悪犯にだけ使われる永久剥奪の魔法で、神官さまや巫女さまたち、複数人数による人間によるものですから、それを破ることは不可能です。そこにシドさまがかけた魔法は、『安全で弱い魔法』だけを使わせるだけの魔力を引き出すというものなんですよ」
「……よく、解らないけど」
「つまり、強すぎる魔法は使えないってだけです」
「今度は説明が簡単すぎる」
「あはは」
エリザベスは頭を掻きながら笑う。「魔法科で習うような、初歩の魔法なら大丈夫。ただ、他人を傷つけるための魔法や、禁呪は絶対に使えないはずです。おそらく、使えばシドさまの魔法が壊れて、また永久剥奪の刻印が浮かび上がりますよ」
「他人を傷つけるって……」
わたしは少しだけ考え込んだ。
もし、目の前にグレイが現れて、わたしが彼を攻撃するような魔法を使ったとしたら?
「どんな理由があれ、他人を傷つける目的の魔法は禁止です。防御魔法ならいいですけど、攻撃は」
「無茶だよ」
わたしは失笑した。「じゃあ、グレイに殺されそうになっても魔法では戦えないってわけだ」
「そうならないように、我々が守ります」
エリザベスの声は力強いけれど。
そんなことより。
「……ほんと、わたしって役立たずだ。本当に何もできないんだな」
わたしの声は自分でも笑ってしまえるくらい、虚ろに響いた。
ウェクスフォードで学んだ魔法は、戦うために使えるものじゃない。本当に基礎ばかりだった。それでも、少しずつ学んでいつか強くなれたら、と思っていたのに。
これじゃあ、後は剣で戦うしか術がない。それなら確実に戦える。でも、学園での剣術部の稽古だけじゃ絶対に練習が足りない。そのくらい、わたしの単純な頭でもよく解る。
「ああ、そうだ」
わたしはふとアレックスとマチルダの腕にあった魔法を思い出した。「筋力を上げたり、魔法の刃を使うことのできる魔法、あれを誰かにかけてもらえばいいってこと? そうすれば、少しは強くなれる?」
「あ、それも無理です」
エリザベスの返答は無情だった。「それ以上、エアリアルさまの肉体に魔法をかけたら身体が持ちません。永久剥奪の刻印も、それを緩める魔法も、かけられている間はずっと、肉体の持ち主であるエアリアルさまの魔力を使い続けているんですよ。さすがにそれ以上別の魔法をかけたら、肉体の前に中身が死ぬはずです」
「中身……」
「精神も疲弊するんですよ。魔法を使えば」
八方塞がり。
そういうこと?
わたしにできることは何もないじゃないか。皆が言う通り、おとなしくしているだけしかできない。
魔法や剣術を習っても、結局生かされることがないまま終わる?
結局わたしは、どんなに頑張ってもどんなに努力しても、それらは全部無駄。
そういうことじゃない?
情けない。
わたしは小さく笑った。
エリザベスの視線を感じながら、わたしは言った。
「わたし、馬鹿だった。あなたにばれるなんて、これ以上最悪なことなんてない。グレイにこのことが知られたら、わたしの身内が危ないの。もし、そうなったら」
「守りますから!」
「本当に?」
「本当です!」
「でもね、エリザベス。完璧な安全なんてないと思う。さっき言ってたじゃない? 捜査官の人数が足りなすぎる、って」
わたしを愛してくれているのは、両親。
それは間違いない。
そしてわたしも、お父さまとお母さまを愛している。誰よりも大切だし、守りたい。
司法局がわたしをこうして守ってくれているのは、オーガスティンの名前があるからだ。お父さまが権力を持っているからだ。お父さまの財力と、それによる発言力があるから。
万が一、お父さまやお母さまが殺されたら、わたしは何もかも失う。オーガスティンの権力を失えば、何も残らない。
わたしには、誰かに守ってもらえるだけの価値がない。
わたしには。
わたしには、何も。
「あの、エアリアルさま」
エリザベスの声が酷く遠く聞こえた。何だかもう、どうでもいいような気がした。
とにかく、グレイにばれないようにしなきゃいけない。でも、わたしは演技が下手だ。上手く隠し通せる自信はないけれど、やらなきゃ誰か殺される。
ああ、それより確実なのは。
家族を守るためには。誰も死なない方法は。
わたしが死んだら、グレイはもうわたしに接触する必要がなくなる。そうしたら、家族の誰も、他の皆も危険から遠ざかる。誰も殺されずに済む。
何でわたし、生きているんだっけ?
何でグレイは、わたしを殺さなかったんだろう。肉体を交換したら、殺してしまえばよかったのに。
何で?
「あの!」
エリザベスが大声を上げてわたしの手を掴んだ。わたしは彼女を見つめ返したけれど、何も言葉が出せずにいた。
「本当に、信頼してください! 絶対、何とかします!」
エリザベスは困っているみたいだった。その瞳には、不安げな色。何を心配しているんだろう、と不思議に思う。
「うん、大丈夫」
わたしは静かに応えた。「エリザベスのことは信頼してる。司法局にも感謝してるよ。皆、よくしてくれたし。たくさん助けてもらって……」
助ける、価値もない、のに。
微かな頭痛。
何だろう、少しだけ気分が悪い。
「あの! ええと!」
エリザベスが眉根を寄せながら言った。「そういえば、レベッカさまは学園ではどんな様子でしたか?」
「レベッカ?」
わたしは首を傾げた。なぜ、いきなりそんな話を?
レベッカは学園に姿を見せていない。彼女のことは心配だ。このまま学園にこないなんてことになったら――。
「あの事件の後、レベッカさまに話を聞きたくても寝込んでいらっしゃるようで。少し、心配していたんです。エアリアルさまはレベッカさまと仲が良いんですよね?」
「寝込んでる?」
わたしはそこで、エリザベスの声がさっきよりはっきり聞こえるような気がして戸惑った。軽く頭を振って、大きく息を吐いてから言葉を続ける。
「仲が良いと言えるのかな? 心配はしてたけど」
「あの、もしもお暇がありましたら、お見舞いにいってもらえませんか? えーと、わたしも一緒にいきます。マチルダお姉さまに許可をもらってきますので、少しだけ時間をいただけますか?」
「それは構わないけど……」
「助かります! レベッカさまも、エアリアルさまの言葉なら聞いてくださるかもしれないですし。早く元気になってもらいたいですものね」
もちろん、早く元気になってもらいたい。
でも、わたしの言葉なんて大したものじゃない。何の役に立てるとも思えない。
それでも、エリザベスが笑顔を見せてそう言うものだから。
誰かに必要にされるという感覚。
たとえそれがささやかなものでも、嬉しいと感じるわたしは矮小な生き物なんだろう。だって、わたしを本当に必要としてくれる人間なんて、誰も。
誰も、いない気がする。
何でこう思うんだろう、なんて疑問は、わたしの中のどこにも存在しなかった。




